第三章 記憶の芽吹き

3-1

 レヴィンスの弟であるテオが死んでから約一ヶ月がたった。幸いなことなのかこの間、機械獣が都市に接近してくることもなく、パウロのレフォルヒューマン全員が体の回復と機械部の整備を終え、完璧な状態で出撃を待っている状態だ。

 レオンもこの間は、生体消化管に置き換えたあとの経過観察期間となり、おとなしくしている。経過は順調だった。移植した消化管は拒絶反応をすることなく、レオンの体になじんだ。 

 食べるものは最初こそ栄養ゼリーから始めたが、徐々に固形物を増やして、今では健康てきな人間と同じ食事をしている。

 やっとレオンが人間らしくなれると、クレハは執務室で資料をつくりながら安堵した。

 だけど、まだ胸の中に、解決できていない問題が渦まいている。

 クレハ以外の軍人は、レフォルヒューマンのことを兵器として認識している。それはレオン本人でさえも同じ。そこをどうにか変えないとレオンはいつまでたっても兵器として生きてしまう。

 クレハは、レオンが冷淡になってしまった原因がそこにあると感じていた。自らを人間と思わず、兵器と認識する。

 兵器というのは攻撃の道具だ。相手が人であれ機械獣であれ、標的を殺す、あるいは破壊することがレオンの存在する意味である。攻撃対象に同情する心は必要ない。むしろ、ない方が良いまである。

 自分のことを兵器として認識しているのなら、人の心はいらない。機械的に思考する方が効率が良いのが事実だ。生物としての生存本能が戦闘時には、邪魔になることもある。兵器にとっては不都合なのだ。だが自身に対する認識を兵器寄りにしすぎても問題が起こる。

 レフォルヒューマンの最大の欠陥、それは死をいとわないということだ。決死の特攻も平気で決行してしまう。クレハは、そうやって二度目の命をちらしてしまったレフォルヒューマンを何人か知っている。レオンもそうならないとは限らない。

 だから、レオンには人間としてどうにか生きてほしかった。自分のことを人と認識すれば、いまより人情が増して、レオン自身が過ごしやすくなるだろう。

 そのために、いま上層部に取り合うための論文を作成している最中なのだ。

 クレハはくうっと上に伸びた。時計に目を向ければ、時刻はとっくに正午をすぎている。クレハは作成途中の論文をデバイスに保存して、電源を落とした。

 もともと人間だったレフォルヒューマンは、感情の仕組みが人とほとんど変わらない。何が起こるとうれしいのか、なにをされたら不快なのか、その仕組み自体は人間と一緒なのだ。だから……、といつもそこで思考が行きづまってしまう。

 だから、どうすれば良いというのだろうか。

 兵器として生きてきた記憶しか持たない人が、人らしくなるのには、どうしたら効果的なのかをクレハは知らなかった。おそらく歴代のインスペクター全員が知らなかったのだろう。それか、いままでマニュアル化されてきた規則を誰も疑ってこなかったということも考えられる。  

 考えながら部屋を出た。廊下の窓からは中庭を見下ろせる。レフォルヒューマンがいつもくつろいでいるその場所に、今日はレオンしかいない。

 レオンは木陰のベンチに座り上の方に顔を向けていた。枝葉の隙間から空を覗いているのだろうか。レフォルヒューマンになる前のレオンは空を見上げるのが好きだった。オゼインシェルターに抑え込まれている反発だったのか、ただ単純に自由になりたいという思いが強かったからなのか、今となっては記憶のある本人がいないのだから確認のしようがないけれど、憧れの空に向けた眼差しは真っ直ぐで印象に残っている。

 もしも断片的な記憶が残っているとしたら……。単一では、記憶という情報を形成できないほど細分化された記憶が脳内にあって、機械化する前の習慣が呼び起こされているのなら、それは、レオンが、レオンという人間性をとりもどす有効材料になるかもしれない。

 思い立ったクレハは、急いで階段をおりてレオンに会いへ向かう。一階までおりて、正面にある鉄扉を開けると、飛び出した。

 扉を開けた音でレオンが振り向いた。あの時と同じ顔。学生のときによくお昼を一緒に食べていた。中庭にあるベンチでレンガ先に座っていて、クレハが公売で買ってくるサンドイッチを持ってくるのを待つ。その時と全く同じ顔だ。誰が来たのか気になって反射的に振り向く、ちょっと期待を含んだ顔だ。

「レオン、調子はどう?」

「体調は良好だよ」

「そう。よかった。ねえ、訊いてもいい?」

 レオンが了承の返事をしたのを聞いてクレハは、疑問を口にする。

「レオンは、どうしていつも空を見ているの?」

 訊くとレオンはもういちど空を見上げた。つられてクレハも見上げると、青空に横たえるシェルターのフレームが目に映る。その上を、刷毛で描いたような巻雲がまばらに広がっていた。

 レオンはその空をどこかうらめしそうに見つめて答える。

「なつかしい夢をみた。木々の生い茂る山の中で、オレは木に登っていた。空が見たくて上の方をめざして——。下の枝には幼い姿のテオがついて登ってきて、根方には同じく幼い容姿のクレハとレヴィンスがいて、こっちを見上げていた。身に覚えはないんだけど、まったく自分に無関係だとは思えなかった。なにかあるのかなって、空を眺めていたんだけど、結局なにも思い出せない。クレハは、なにか思い当たることとかある?」

 大ありだった。レオンがいま話したのは、幼いころ、まだ小等学院に入学して間もないころにクレハがレオン、レヴィンス、テオの四人で遊んでいたころの記憶と合致している。

 レフォルヒューマンになる前の記憶が、レオンに芽生えようとしているのかな。

 それは、クレハにとっては喜ばしい事ではある。もしも、レオンが昔のことを思い出してくれたら、レオンは人間性を取り戻すだろうし、自分との関係も自然と再構築される。拒む理由なんてクレハにはなかった。

 だけど答えられない。

 それは、軍規に反している。レフォルヒューマンはそもそも兵器として起動するまえに記憶を消される。それは、レフォルヒューマンをとことん従順にするため。自我を形成する記憶のすべてを失くせば、ひとは人の道を簡単にはずれる。操り人形と同じだ。

 だから、軍はレフォルヒューマンの過去の記憶を残さないし、他者が吹き込むことも許さない。都合の良い状態を保てるように軍規にまで組み込んだ。破ればクレハは、まず、軍を追い出されるだろう。そして、レオンはもういちど記憶を消去される。クレハは徹底的に接触を禁じられ、いままで構築してきた関係は全てリセットされてしまう。

 二度と失いたくない。

「どうした、クレハ」

 突然、レオンに手首をつかまれる。唐突すぎてクレハは、レオンを見入ってしまった。まっすぐな目がのぞき込んでくる。

「手が震えているぞ」

「どうして……。人の考えることは、わからないんじゃなかったの?」

「わからないことが多いけれど、理解はしようとしている。手が勝手に震えるときが、良い状態ではないことぐらい、本を読んでいるからわかる」

 クレハはレオンから目をそらした。悟られてはいけない。とにかく目線を逸らしたくて、木陰に佇むベンチを意味もなく見つめる。

 レオンが夢を見るようになったのは、おそらく、テオが死んだことと無関係ではない。身内が死んだという情報が刺激となって、間違いなくレオンに影響を与えている。いま消された記憶をよみがえらせてはいけない。

「べつに、ちょっと嫌なことがあっただけよ。レオンが心配するようなことではない」

 レオンは、怪訝そうに顔をくもらせたが、一応は今の説明で少しの理解は示してくれた。 

 レオンはクレハの手をはなして、そっぽを向く。ただ、完全には納得していないみたいで不貞腐れたようにも見える。このまま、会話を終わらせるのも釈然としないなと思ったので、ある提案をした。

「ねえ、レオン。まだお昼を食べてないでしょ。いっしょに行かない?」

 レオンから返ってきた言葉は、行く行かないの返事ではなかった。振り向くレオンの怪訝そうな表情は変わっていない。

「先にさっきの質問に答えてくれ」

「ごめん、その質問には答えられない」

「言えない理由は、クレハにとって不都合だからか?」

 それに答えるかクレハは少し迷ったが、レオンの不満をこれ以上募らせても仕方がないと、静かに頷いた。

 レオンの表情から怪訝さは消えた。けど、そのぶん複雑に濁ってしまう。まるで、理不尽に怒られたあとの気持ちのやり場を探している子供のようだ。

「それで、いっしょに食べに行く?」

 クレハはレオンの顔をのぞき込む。今度は逆にレオンが目線をそらした。

「べつに、適当に食べるからいい」

「適当に食べるって、何を食べる気なの?」

 逸らされた顔をもう一度のぞき込んでも、レオンは、さらに体ごと向きを変える。全く目を合わせてくれないレオンに、なるべく顔を顰めさせてにじり寄る。

「私、食堂の人に聞いてるんだよ。レオンが来るのは、いつも決められた食事の時間が終わったあとで、残っている甘いパンだけ食べて出ていくって。なんでちゃんとした食事をとらないの?」

「別に、オレが何を食べても自由だろ? クレハにあーだこーだ言われる筋合いはない」

「あなたの栄養管理も私の仕事なんですけど?」

 クレハは呆れながら言うと、レオンはバツが悪そうに表情をくもらせる。やがて、声をくぐもらせながら吐露した。

「居心地がわるいんだ」

「居心地がわるいって、食堂の?」

 レオンは頷く。何とか話を引き出した結果、どうやら他のレフォルヒューマンとうまくいっていないらしい。すぐ、打ち明けなかったのは、余計な心配をかけたくなかったとのことだ。

「ふつう、レフォルヒューマンと人間の間には少なからず溝があるんだよ。それはインスペクターとだってそう。基本的に一緒にはいられない。オレとクレハが異常なんだよ。それに関してあいつらは、何か言ってくることはほとんどないけど、目は訴えてくる。なんでおまえだけ、気遣われているんだって。オレたちは、物みたいな扱い受けているのに——て。オレはあの中で食べるのは無理だ」

 クレハも、レフォルヒューマンが機械化されていない人よりも仲間意識が強いのは知っている。同類同士であつまって精神をなんとか保とうとしているのだろう。兵器として生き、精神をすり減らす彼らは、防衛本能を働かせているに過ぎない。しかも通常、彼らは三人から六人でミッションをこなすから、仲間意識が強いというのは、連携がとれてむしろ好都合だった。

 しかし、レオンは戦闘能力が抜きんでて高いため、単独で動くことが多い。それが余計に反感を買ってしまっているのかもしれない。本物の機械人間だったらこのようなことは絶対に起こらない。だけど、レフォルヒューマンは人間だ。表建ては、兵器であっても器は人のままだ。記憶を消したとしても心までは兵器になり切れない。日々体を虫食む痛みにさいなまれ、精神がすり減っていくなかで、明らかに自分たちと扱いの違うものが現れれば、自分たちの輪から排除したくなるのだろう。

 クレハは、いままでレオンとは普通に接してきたつもりだったが、まさか自分の行動がここまで影響するとは思っていなかった。

「ごめんね。私のせいだよね」

「なんで、クレハのせいなんだよ」

「なんでって、私がもっとマニュアルに準じて行動していればレオンは仲間はずれにはならなかったから」

「マニュアルって、オレたちのことを人間としてではなく兵器として接しろ、て書いてあるあれのことか」

 クレハは頷いた。

「オレ、思うんだけど、あれは人間側を守るためにそう書いてあるだけだと思うぞ」

「へ?」

「だって、機械獣と直接やりあうオレたちは、いつ死んじまうかわからない。入れ替わり立ち代わりでそいつらの面倒をみなくちゃならねえのに、いちいち人として接してたら精神もたねえだろ。そうならないように、上のお偉いさんたちはオレたちを兵器として扱えとマニュアル化したんだ。でも、いつの間にかその言葉だけが独り歩きしちまい結果として、人間どもはオレたちを物としてぞんざいに扱うようになったってわけだ」

「そうなのかな」

 レオンの言ったことはあくまで仮説だ。マニュアルを作り上げた人間は、とうの昔に機械獣に殺されてしまってこの世にいない。あのマニュアルの意図を正確に把握している人なんておそらく誰もいないだろう。

「それにオレはクレハに感謝しているんだ。他のインスペクターとあたってたら、たぶんオレはどこかで特攻でもしかけて死にに行ってたと思うから」

 突然の告白にクレハは戸惑いつつも嬉しかった。そう言ってもらえると、すこし気が軽くなる。自分のしてきた行いが、レオンにとっての支えになっていたのなら、それだけで嬉しい。

 自然と口元がほころぶ。

「それで、クレハ。一緒に食べに行きたいんだけど」

「え? だって、適当に食べるんじゃなかったの?」

 と、ちょっとからかうように言ってみる。それに関しては、レオンは両手をがしゃんと合わせた。

「ごめん。一緒に行きたいです。連れてってください」

 両手をすり合わせながら、縋るように言ってくるレオン。

「もう、しょうがないなあ」

 と言いつつも内心では、ちょっと面白い。

「じゃあ、行こうか」

 クレハは、初めてレオンと一緒に基地を出た。これがきっかけで何が起こるのかも知らずに。

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