2-6
レオンは久しぶりに外へ出た。久々に太陽の光を全身に浴びてすがすがしく感じる。
市街区までクレハが運転する車に乗って、個人営業の小さな花屋で花束を買って軍人用の霊園へ向かった。
霊園に着いてクレハに案内されて歩くと、ある墓前に男が集まっているのが見えてくる。その中にユーインもいた。
黒のタキシードを着たユーインは、色鮮やかな花束を持って墓石の前に立っている。
その傍らに墓前で跪き、俯き続けている男がいた。テオの実の兄であるレヴィンス。
そんな状況にも関わらず、ユーインが割り込むように横から花を手向けたものだから、航空隊の一人がユーインの腕を掴んだ。ロン毛のロールした髪の男。名前はキャメロン・バルテル。移動中にクレハから聞いた話だと、彼も迎撃作戦に出撃していたらしい。
「お前は場違いだろうが」
「酷いな、オレだって命を預けあった仲なんだけどな」
ユーインは笑って言った。だけど、その笑顔はまるで苦いものを口に含んでいるように歪だった。言いたくなるのはわかるけど、言われる筋合いはないよということを言いたげに。
「お前が命を預かんなかったからテオが死んだんだろ」
「じゃあ、聞くが、君はいったいあの時何をしていたというんだ? 初っ端からフォーグルに落とされて砂漠の上を漂浪してましたとか。命預かるどころか早々に離脱した君にオレを責める資格があるのかい」
怒りの限界だったかキャメロンがユーインの胸ぐらを掴んだ。ぐっと引き寄せると怒りの形相を幼顔に突きつける。
「とぼけるな。お前が一発目で仕留めていたらああはなっていなかった。テオは、お前が殺したんだ」
「それは君らも同じだろ。ジェームには爆撃用のミサイルも搭載してあった。いち早く異変に気付けていたら、飛行能力を失ったフォーグルにとどめを刺すこともできただろ。すべての責任をオレにおしつけるなよ、軟弱な人間ども」
キャメロンのこめかみに太い血管が浮き上がる。怒りが沸点に達したのだろう。
マルクが収拾のつかないと察したのか、今にも殴りかかりそうなキャメロンをユーインから無理やり引き剥がした。
「おい、そのへんにしておけ。こいつに落ち度はない。オレたちも油断していた。それは事実だ」
マルクの静止に憤りを感じたか、キャメロンはユーインから距離をとるように後ろへ下がった。
ユーインは乱れた服をぱっぱと引っ張ってなおす。
「さて、僕は場違いみたいだからさっさと帰ることにするよ。最後にせめて彼の遺言だけでも言わせてくれ。——兄さん、レオンを頼む」
その場が騒めいた。嘘なのか本当なのか判断がつかない戸惑いの声。最初から嘘なのではと断定して「よくもそんな嘘をつけるな」と糾弾する声があがった。だが、その声を振り払うようにユーインは声を張り上げた。
「オレの通信機器が最後に拾った声だ。嘘だと思うのなら後でオレのところまで来てくれ。音声データならくれてやる」
帰ろうとするユーインと目が合った。すれ違いざま彼はこんなことを口にした。
「レオン。正直オレは君が羨ましい。だから、君は周りの人たちのことを大切にするんだよ」
ユーインはそう言い残して去っていった。おそらく、航空隊の誰もが聞き取れない声量だったろう。
ユーインがその場から離れても、航空隊の面々の視線はユーインを追っていた。かなり憎しみのこもった表情をしている。仲間を失った悲しみというのは、誰かにぶつけないといけないくらい重たいのか——、と思った。
レオンは後ろめたさを感じながらも重たい足を前に運ぶ。
「レオン、来てくれたのか」
マルクが歓迎するように両腕を開き手のひらを見せてくる。彼は、厳密にいえばレヴィンスもだが、歓迎してくれているのだろう。
だが、他の航空隊の面々はあまり歓迎ムードではない。煙たそうな表情。自分のことを恨めしくて邪魔な存在だとみなした目をしている。
レオンは、持ってきた花束を持ったまま、墓石の前に歩み寄る。なるべく急いで置くと軽く頭を下げて、立ち去ろうとした。
しかし、レヴィンスの憤った声にレオンは足を止めた。
「おい。もう終わりなのか」
「レヴィンス。君とマルクがどう思っているのかわからないけれど、他の奴らからはオレは邪険にされているみたいだ。オレは先にお暇させてもらうよ」
「お前は他のレフォルヒューマンとはちげえよ。もっといてもいい」
「残念だけど、レヴィンス。オレも他の連中と同じだ。記憶がないんだ。あいつと遊んだ頃の記憶が。懐かしむべき記憶はほとんどない。だから、お前と一緒に悲しみに暮れてやることはできないんだ。だから最後に一緒にいた彼らを優先させてやってくれ」
逃げるように立ち去ったレオン。その背中を目で追いながらも、クレハは動けずにいた。寂しそうに小さくなっていく背中を呼び止めようと、口を開いても声が出てこない。
「追わなくていいのかよ」
レヴィンスが問いかける。でも、動けなかった。
「いい。もう私は彼女じゃないんだし、好き勝手にさせておけばいいの」
と言いつつも、インスペクターだし追わないとだめだよね、とは思う。
レヴィンスは、そっか、と声を漏らした。彼の表情は、何か思い詰めた様子だった。
「あいつの記憶がなくなったことをどれだけ悔やんだか。テオはあいつをずっと追っていたのに、途中で道から外れて、戻ってきたと思ったら記憶がなくてよ。テオはよ、それでも道から外れなかったよ。追うべき人間がいなくてもちゃんと自分で進むべき道を進んで航空隊に入って空を飛んだ。でも、テオは……、あいつは報われていたのかどうかなんてわからない。先に空に旅立っちまったし、あいつの人生はこんなんでよかったんだろうかって思っちまう」
レヴィンスが空を見上げ、つられてクレハも見上げた。オゼインシェルターよりもはるかに高いところには、薄い巻雲が浮かんでいる。まるで筆で描いたような雲。
元々はレオンもあの雲と同じくらい高いところからこの世界を見下ろしてみたかったのではないだろうか。
でも、そのレオンはもういない。その背中を追った少年も今は雲の上だ。自分達には彼らが報われていたのかなんて、本人に聞くことができなくなってしまった今では知りようもない。
だから……。
「考えたってしょうがないよ。私たちができることは忘れずにいてあげることしかない。だから、思い出に浸ってあげて、ああ、この人たちと一緒でよかったなって送り出してあげたらいいんじゃない。私はそれだけで、報われたと思えるよ。きっと」
「お前に好かれてレオンがうらやましいわ」
「な……」
何を言ってるの——て、問い詰めようとしたけど、先にレヴィンスが言葉を連ねた。
「冗談だ。冗談。でもよ。ありがとな。テオはさ、オレにレオンのこと託したかったみたいだけど、俺には荷が重すぎる。だからお前に託すわ」
「なんで」
首をかしげるとレヴィンスはまだわからないのかと言いたげに笑った。
「友情は愛情に勝てねえってことだよ」
「な——‼」
クレハは、絶句した。まさか弟が死んで傷心中だと思っていた友人がそんなこと言うとは思っていなかったからだ。しかもこんな大勢の前で。
顔から湯気がたってるんじゃないかというぐらいに暑くなって、穴があったら入りたいぐらいの羞恥に駆られた。半ば混乱状態で踵を返すとレヴィンスがくすりと笑う。
「もう帰るのか? 献花は?」
「ああー、もうー」
もう一度振り返って、クレハは墓前に立つ。手に持っている花束から一輪だけ抜き取って献花した。
(ごめんなさい。テオ。後で必ず会いに来るから)
手を握り合わせながら心の中で謝罪する。集まる視線から逃げるようにクレハは、レオンの後を追った。
やっと帰ってくれた。
去っていくクレハの背中を横目で見やりながらレヴィンスは、心の中で呟いた。
レヴィンスの発言によって、注目がクレハに集中したのは当然。何を今さら——という目を向けるものもいれば、そうだったの——と混沌の目を向けるものもいた。そんな冷やかしを含んだ視線を一斉に浴びたのだから逃げるように去ってしまう気持ちもわからなくもない。むしろそうなるように仕向けたのだから、ある意味思惑通りだ。いいかげん一人にして欲しい。
だいたい、どいつもこいつも身勝手がすぎる。人の顔を執拗に伺いやがって。
航空隊という前線部隊に自ら進んで入ったのだから、こうなることは想定済みだった。いつか弟は、戦場で死ぬ。その覚悟もできていたし、とくに今、悲しいというわけではない。
それにあいつ自身、悲しまれるのを望んでいなかったから辛気臭い顔で哀悼されても困るだろう。
「さて、一番うるさいのはいなくなったな……」
あとは、航空隊の面々だが……。
「俺たちもそろそろ帰ろうか。次の出撃命令がいつくるか分らねえからな」
航空隊の面々が帰る雰囲気を作る中、レヴィンスはもう一度墓石に向き直る。
その背中に声をかけたのはマルクだった。
「レヴィンス。お前は、まだここにいるのか?」
「ああ、もう少しだけな。あいつが憧れた空をもうすこしだけ、一緒に眺めてくよ」
「そうか、ごゆっくり」
マルクはそう言い残して航空隊の連中を連れ帰った。彼なりの気遣いなのだろう。
これでやっと二人きりになれた。レヴィンスは周りに人がいなくなったのを確認してから墓石に向かって口を開いた。
「テオ、おまえってやつは、本当に馬鹿野郎だ。みんなを置いて先に逝っちまったんだからな。言っとくが、レオンはまだ連れて行かせない。きっと、あいつは平和な世界を取り戻して、シェルターもなにもない、まっさらな空を俺たちに見せてくれる。だから一人で逝ってくれよ。それと、父さんと母さんによろしく頼む」
一人、呟くように言った言葉を聞く人は誰もいない。墓石が音を冥界に届けてくれるわけでもないのだから。だが、それでいい。
テオの意思を引き継いでくれるやつが一人でも残っているのなら、きっとテオも救われる。
最後の一人となったレヴィンスも踵を返した。歩きながら、ひらりと手を振った。
——じゃあな、俺の最後の家族。
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