一日限りの往復きっぷ
オキノタユウ
「うっわやっべ。スイカ失くした。」
半ばヤケで突っ走ってきた海辺には先客がいたらしい。それも大分絶望した声を出している。今の僕より絶望感のある声を出すところを見るとスイカは非常に大事なものだと見える。
だが今は三月。スイカの季節ではない。それに先客が先ほどから漁っているリュックにはスイカが入るほどの容量は持ち合わせていないように見える。
というかそもそも何故スイカ。彼女の見慣れない女子制服を見る限りスイカを求めて田舎から来たといったところなのか。
「あっ! ねえ、スイカ見なかった?」
遠くから観察していると、見つかってしまい声をかけられる。
紺色ネクタイと紺色ジャケットという見慣れないデザインの制服をきた女学生だった。顎にある機能してなさそうな不織布のマスクが目についた。
「いや見てねえけど。」
「緑色の紐付きカードケースなんだけど。」
「えっ、カードなの?」
スイカは西瓜ではなかった。
「果物じゃなくて?」
「カードケースにあんなどでかいの入らねえだろ。」
「確かに。」
「なに、お前は定期券って言った方が通じる人間?」
「え、何? 君定期のことスイカって言ってんの?」
「もしかしてイコカ派?」
「なんだよそれ……?」
どうしてかはわからないが、彼女と僕の間に大きな認識の乖離があるのはわかった。スイカにしろイコカにしろ僕は知らない。定期券がそんな名前で呼ばれているなんて僕は知らない。
「そんなスイカもイコカもねえような田舎に来たわけじゃねえはずなんだがなぁ。関西じゃねえからイコカはねえか。」
砂浜との境にある塀に座り込んで、彼女はそう言った。口が非常に悪い。まるで不良のよう。
僕らが来ているところはそこまで東京から離れた場所にあるわけではない。
「ここ横須賀だよな。」
「そうだけど。」
まあ東京の学生が来るには遠いが。
「どこから来た?」
「東京。そっちは?」
「神奈川の女子校。」
神奈川の学校で不良。あまり関わりたくない人種だ。
「卒業式嫌になって抜けてきたのか?」
ちなみに僕はしっかり最後まで出てからここまできた。
「違うけど。まだ先だしまともに出席する予定だが。」
「君みたいな不良はサボるものだとばかり。」
卒業式のために服装をまともにしたかわいい不良ではないらしい。となると、優等生ぶった態度を取る不良か。
「ハァ?! 不良じゃねえけど?!」
「不良じゃないんだ。」
「生まれてこの方一度も不良と言われたことないが? なんなら小動物と言われて育ってきたが?」
「そうか……。」
人は見た目ではないとよく言われるが、どうやら態度でもないらしい。
「送別会抜けてきたのは確かだけどさァ。」
「やっぱり……。」
「違えし。……顧問と揉めてやめた部活の送別会はちょっとキツいものがだなぁ。」
「……やることやってんじゃねえか。」
揉めたのか。不良ではないと言う割に破天荒なことはしているらしい。女子校なのに顧問と揉める勇気があるのは凄いことだと思う。
「んで、お前は?」
「なに?」
「いやなに、あんなこと聞いてくるからさ、そっちが卒業式抜けてきたんじゃねえかと思って。」
「あー、なるほど。最後まで出てきた。」
「つまんねえ奴。」
彼女は一体どんな返答を期待していたのだろう。知らぬ存ぜぬの赤の他人の解答に面白いかどうかを求めないでほしい。
「まあちょっと嫌になってこっちまできたのはあるけど。」
「へぇ。」
「馬鹿にしない?」
「しねえけど。」
「僕だけ浪人なんだよ……。」
僕の家は代々酒屋で、周りからは将来家業を継ぐものだと押し付けられていた。それが嫌で最高峰の大学を志望校に選んで、見事に散っていったのだ。
「夢あんじゃん。」
知らない黒い板をいじりながら彼女はノータイムでそう言った。
「はぁ?」
「追っかけてんだろ。行きたいとこのために進むんだろ。かっけーじゃん。」
「浪人だぞ?」
黒い板から目線を上げて海を見ながらため息をつく。
「まァ、わからんでもない。別に浪人をいいとは言わない。世の中諦めが肝心とも言うから、夢なんて見過ぎないでちゃっちゃと決めちまった方がいいのもわかる。
だけどさァ、夢見て追っかけんのも大事だと思うのよ。それもこの受験は将来かかってるわけじゃんか。夢見て頑張ったのに諦めたくないだろ。」
「……。」
「ちなみに共通何点よ。」
睨むように目線を投げかけられる。確かに小動物感のある丸い瞳は、睨む用途で使われてしまうと少し怖かった。
多分彼女とはこれっきりの縁だろうから、諦めて点数を言うことにする。
「680。」
「それジブンの1.5倍な。451。」
「うわ……。」
「低いだろ、ってお前『うわ』ってなにさ。」
偉そうに聞いてくる割には不良っぽく馬鹿で、それなのに不良ではないと言い切る。そんな様子が少し面白かった。
「これでも頑張って半分越えてんだよ。数一平均超えたんだよ。」
神社に神頼みしにきた狂った学生のような顔をする彼女に少し励まされる。
「そうなの?」
「そうだよ。これで国立理系に出願してんだよ。明日が合格発表日じゃい。」
あまりよくない状況と言う点で、彼女も割と僕といい勝負をする。僕はすでに崖から落ちていて、まだ彼女は崖の淵に立っているだけと言う違いはあるが。
「なんか安心した。」
「どこで?」
「君も落ちそうで。」
「お前もいい性格してますね。」
「褒めるなよ。」
「褒めてねえし。つーか受かるから。どうにかしたんだから受からせるしか大学には選択肢ねえからァ!」
気取った言葉をかけながら、かけた本人が一番それどころではなかったらしい。非常に面白い。
「笑うなァ!」
そうマスクを指で下げて口が見えるようにして吠える。子犬のようにキャンキャン言ってくるところは確かに小動物っぽい。言い得て妙だなと思った。
「明日合格したらお前にジュース奢らせてやるからな!」
「楽しみにしとく。」
「アァァ! ムカつくぅ!」
「ハハハ」
笑っていればちゃんと人を殴る時の形をした拳で軽く殴られる。思ったより痛い。
「つか時間やべえじゃん。ぜってえおごらせっから!」
腕時計を見てサッと立ち上がって大声でそんなことを言う。
そして急いで荷物をまとめると振り返りもせずに去っていってしまった。
「僕も帰るか。」
***
懐かしい夢を見た。
四十一年前の高校卒業の時の話。見たことも聞いたこともないカードの話から始まり、挙げ句の果てには碌でもない点数をした共通一次の話で幕を閉じる。
馬鹿な学生同士のなんてことのない話。
リモート会議が終わり、疲れてしまっていたらしくそのまま眠ってしまったらしい。現在時刻十七時。妻は多分今しがた帰っている途中だろう。
だが帰ってきているはずの娘がいない。辞めた部活の送別会に出るだとかなんだとかと言っていた気がしないでもないが、流石に遅すぎるのではなかろうか。
「ただいまー。横須賀ですげえやけに失礼なやつに会ったわー。」
噂をすれば影。
「横須賀? どうしてそんなところに。」
「気分?」
気分でそこまで遠い場所に行かれてたまるか。神奈川県の高校生(東京在住)が行くには遠すぎるだろうが。
「スイカ無くした時はビビったね。」
「失くした?!」
「いやあるある。見つけた見つけた。じゃなきゃ帰ってねえし。」
あれ、どこか既視感を感じる。娘の姿と彼女の言動に。
「スイカもイコカも知らねえやつに会ったんだが。イコカ知らねえのはわかるよ? ここ関東だし。東京でスイカ知らねえのやばくね? 定期券は通じたけど。」
スイカを知らない? イコカを知らない? 確かにイコカは関西だ。定期券は通じる。
「流石に共通テストは知ってたっぽいけど。つか点数あった瞬間『うわ……』とか言いやがったぞあいつ。」
この口の悪さ。愛娘に対してこんなことを思いたくはないが、あの時代からするとやけに男子不良学生じみた口調だ。
「あれで浪人とか、もうマジで。ハァ〜? 萎えるが?!」
「あーまあ、うん。着替えてきたら?」
思わず気まずくなってそう声をかける。
「? うん、わかった。つか先充電するわー。電池が死んでいくんじゃあ。」
そう言ってテーブルに置かれる娘のスマートフォン。彼女がいじっていた黒い板と酷似している。
「失礼なやつ僕じゃん。」
詰まるところそういうことになる。あの日横須賀で会った不良風の女学生は、のちの娘だったのだ。
あの日『今日限りの縁』だと思い明かした点数は、僕のは『大学入学共通一次』のもので、娘のものは『大学入学共通テスト』のものだったのだ。
そしてマスクは三年経った今でも終わらないコロナ禍のため。
「マジで……?」
あの時、僕は彼女の発言に励まされて——結局二浪してしまったのだが——どうにか志望校に受かった。あの言葉が確かに僕を救っていた。
「なんか言ったー?」
「いや?」
しかし、訳のわからない形で知り得ることになった娘の点数は少し低い。いやだいぶ低い。これでよく国立を目指すと言ったものだ。今まで散々点数をぼやかされてきた意味がよくわかった。
「あっそう。……あっ、しまった。ジュース奢らせようとしたのに名前とか聞いてねえ!」
そういえばそんなことも言っていた気がする。仕方がない、ジュースを買いに行くとしよう。明日の合格通知次第で娘のものか自分のものかが決まる。
僕のものにならないといいなぁ。
一日限りの往復きっぷ オキノタユウ @arms0429
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