小さなきっさてん
雪待ハル
小さなきっさてん
「あなたの“いかり”、わたしがひきうけましょう。」
小さな小さな、きっさてん。
そこで一杯のコーヒーを注文して、のんびりと飲んでいたわたしはびっくりした。
目の前のカウンターごしに立つ店長さんが、いきなりそんな事を言い出したからだ。
「なぜ、わたしが“いかって”いると思うのですか?」
温かいカップを持ったまま、わたしは店長さんに聞いた。
店長さんは、少しだけ、首をかしげた。
「あなたがくるしそうに見えたので。」
「・・・。」
くるしそう、か。
わたしはとっさに言葉が出てこなくて、口ごもってしまった。
なぜなら、店長さんが言ったことは、正しかったからだ。
そうだ、わたしは、くるしかった。
息も上手く吸えなくなるほど。
だからこの店に来た。
一杯のコーヒーを飲んでいるあいだだけは、心を休ませることができたから。
「・・・でも、どうしてあなたがひきうけてくれるのですか?」
思いきって顔を上げて、聞いた。
“いかり”なんて、重たい荷物のようなものだ。
ずしりと重い荷物をせおい、長い長い道のりを歩いていかなければならない。
それは、つらくてくるしいだけなのに。
そうしたら、店長さんはこう言った。
「だって、そうしなければ、あなた、・・・こわれてしまうでしょう?」
とうめいな目で、まっすぐわたしを見つめて、そう言った。
そう言われたわたしは、ふと涙がほおを流れおちるのを感じた。
泣いている。
そうだ、わたしは・・・かなしかったのだ。
泣くほどかなしくて、でも泣けなかった。
自分がかなしかったと自分で気づく力すら、もうのこっていなかったから。
ぼろぼろと、次から次へとあつい涙がこぼれおちた。
どうしよう。
「そうです。このままではわたしは、こわれてしまう。たすけてください。」
そう、言ったあとで、はっとした。
あわてて言葉をつづける。
「・・・でも、店長さんにわたしの“いかり”をわたすわけにはいきません。だって、そうしたら、今度はあなたがこわれてしまう。」
わたしの言葉を聞いた店長さんは、しずかに目をとじた。
こくん、とうなずく。
「はい、そうです。でも、そうじゃない。」
「?」
そうじゃない?どういう意味だろう。
わたしがぼうぜんと店長さんを見つめていると、店長さんはゆっくりと目をひらいた。
そうして、にこり、と笑った。
やさしい、笑顔だった。
「あなたがこわれてしまったら、わたしもこわれてしまうでしょう。かなしくて、かなしくて。」
あまりにかなしくて、きっとわたしは、それにたえられない。
たえられなければ、生きてゆけない。
だから。
「だから、ひきうけましょう。あなたの“いかり”。それであなたが笑えるなら、わたしは生きてゆけるから。」
そうしたら、きっと、こわれてしまいそうな重い荷物も、かかえていける。
ぜんぶぜんぶひっくるめて、丸ごと抱きしめて、歩いていける。
“いかり”と、戦うことができる。
そんな気がするから、と。
そう、店長さんはわたしに言った。
「“いかり”と、戦う・・・あなたが?」
わたしのために?
・・・どうして?
わたしは何が何だかよく分からなくて、どうして?どうして?と頭の中でなんども思ったけれど、なぜだか心の中ではこたえが分かった気がした。
とっくの昔に、こたえを知っていた気がした。
「・・・店長さん、あなたは・・・。」
「わたしにあなたの“いかり”を、わたしてくれますか?」
わたしが何か言おうとしたのをさえぎるように、店長さんはわたしにしつもんした。
わたしは、だまった。
・・・重たい、荷物。もうこれ以上は、がんばれないくらい、くたくたにつかれはてていて。
あとはもう、自分がこわれるのを待つばかりで。
・・・。
わたしは、しつもんにこたえる前に、店長さんにさいごのしつもんをした。
「それが、あなたのやりたいことなのですね?」
「はい。」
店長さんのこたえは、迷いがなかった。
きっぱり、はっきり、あっさりと。
こちらを見つめる、とうめいな目。やさしい目。
小さな小さな、きっさてん。
その店長さんに、わたしはこたえた。
「はい。あなたにわたしの“いかり”をわたします。」
わたしを、どうかたすけてください。
それをきいた店長さんは、あざやかにほほえんで、こくりとうなずいた。
「はい。―――あなたの“くるしみ”、わたしがひきうけましょう。」
それが、わたしがそうしたいと思ったことだから。
店長さんのその声が、まるでかくざとうがコーヒーにくるくるととけていくみたいに、おだやかにわたしの心にとけていった。
おわり
小さなきっさてん 雪待ハル @yukito_tatibana
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