クズニートと引き籠り娘の母
あれから三日後の午前中。
実家暮らしである仁翔のスマホに事件の翌日に一度だけ会った弁護士から電話が掛かってきた。内容は被害者の少女の母親が今日午後、時間が取れたのでお礼を言いたいということ事だった。
突然すぎて面倒臭いがどうせ暇だから二つ返事で了承したのち、痛みで軋む身体に鞭打ちながらサクサクと支度と場所の確認をして弁護士の事務所へと向った。
弁護士が構えている事務所はビル群の中に埋もれる様に立つ特に特徴のないビル。出入りする人たちは皆スーツ姿で私服で入るのは仁翔くらいだ。
緊張と場違いな雰囲気で居た堪れないがエレベーターで指定の階に行く。
エレベーターから降りるや否やオフィスの入り口にでかでかと木の板に『成田法律相談所』と墨で書かれた看板が視界に入った。
「ここで良いんだよな?」
スマホに映したサイトの写真と何度か見比べて確認をした上、ドアの近くにあった呼び出しボタンをゆっくり押す。少し待つとドアが開かれオフィスから紺のスーツを着た身長高めの男性が出て来た。
「お待ちしておりました。葛城さん」
「あ、はい……」
「……では、こちらへどうぞ」
応接室で軽く資料の照らし合わせなどの確認をしたのち、更に奥にある書斎まで案内された。
入ると奥にはスーツをキッチリ着た女性が座っていた。
「葛城さんはそちらにお座りください」
「あ、はい」
促されるままに仁翔は女性の対面にある椅子に腰を下ろした。男性は仁翔に粗茶を用意してから女性の隣に座った。
「まずは自己紹介からですね。改めまして私、弁護士の成田と申します。そしてこちらの方は――」
スーツの女性は手を軽く上げ、発言を制止させ自ら喋る。
「私は
重々しくそして深々と頭を下げた女性――御手洗亜弥から差し出された名刺を受け取ると仁翔の目はその名刺に釘付けになった。
(嘘だろ……?)
二回ほど名刺の文字を呼んだ後、目の前の人物と見比べる。
この人は仁翔が知っているくらい近年、著しい成長をしている最先端最大手ICT企業の社長秘書だったのだ。
驚きすぎて阿保みたいな面で固まっている仁翔に成田は軽く咳ばらいをする。
「――あっ、スミマセン。俺の名前は葛城仁翔と言います。娘さんを助けたことに関しては、たまたまそこに居合わせただけなのでお気になさらず」
慌て過ぎて自身も何言っているのか分からなくなっていた。取り敢えず今考えたことをそのまま言葉に出した仁翔だが、当たり障りのない言葉の羅列になり少しばかり後悔する。
「そんなご謙遜をしないでください。怪我をしてまで娘を助けて頂いたことは揺るがない事実です。このご恩はしっかりと返したいと思っております」
「……そうですか」
「ええ、そうなんです」
そもそも仁翔の人生の中でこういった面と面を向かって本気で感謝される機会など無かった影響が露骨に出てしまい、言葉が詰まる。褒められているのに素っ気ない態度になってしまったことに申し訳なさが募った。
(そう言われればこんな怪我してまで救う人なんてよっぽどの正義感の溢れた人かただの馬鹿だよなぁ……)
しかし、それ以上に両腕に巻かれた包帯に視線を落として納得する。因みに仁翔は後者だと自負していた。
「――それで今回、成田さんにこの場を設けて頂いたのには二つ理由があります。一つは娘を助けた人物に直接お礼をするため。もう一つが娘に会って欲しいとお願いするためです」
目を軽く細め憂いに満ちた表情で話を進める姿に朧げな期待をしている雰囲気を感じとる仁翔。同時に、あの時見た少女の儚げに少し微笑んでいるように泣いていた顔が脳裏にちらつく。
(なんでもう一度会わなきゃいけないんだよ。裁判で加害者から金を巻き上げてさよならでいいじゃん。何も生産性ないニートに関わっても良いことないのになぁ……面倒くさい。けど――)
押し黙り頭の中でグダグダと考えている。結局のところ、ニートになってから自分の意志を持って何かを選ぶ行為に酷く億劫になって避けているだけだ。けれど心の片隅ではそんな自分に強く嫌悪しており、どうにかこうにか変わりたいと願っている。
(――キッパリ断れるメンタルがあればなぁ)
このまま承諾するか否か即決したいところだが出来ない。
優柔不断な仁翔は少しでも判断材料と決断する時間を増やすために足りない脳みそをフルに使って言葉を捻り出す。
「……えっと、なんで娘さんと俺を合わせたいのでしょうか?」
「葛城さん、貴方に娘が興味を――いえ、一目惚れをしたからです」
「はぁ――?」
サラッと言われたことに思考が追い付かず、全て無に帰してフリーズした脳内が出す信号は素っ頓狂な声となって出ていった。
もともと仁翔は自身を過小評価する癖がある。それをカバーするように一丁前に自分を俯瞰して自己分析が出来るので概ね自己評価は第三者目線の評価と同等になる。
だからこそ何処に惚れる要素があるのか何度考えても分からないのであった。
「――あ、スミマセン……変な声出してしまって」
「いえいえ。私も最初は困惑しました。あの子が色恋沙汰、しかも異性に恋心を抱くなんて思いませんでしたので……」
「えっと、それってどういう意味ですか?」
普段なら含みのある言い方をされてもそのまま受け流すが、好奇心が先行して興味本位で反射的に聞き返した。
「当事者である葛城さんには本来、お話すべきことなのですが、娘の根幹に関わるプライベートなお話なので、申し訳ないのですがここから先のお話は娘に会って頂けるならばお話します」
先延ばしにしていた二択が急に時間切れとなる。あまりにも短い時間稼ぎだった。
(何事もそう簡単に思い通りに行かないか)
仁翔は考える。
人生に置いて選択というのは何時だって自分の想像出来うる既知の範囲の事柄か自分が想像出来ない未知の領域かの二択だった。
ここで会わないを選択すれば一生、その少女と会うことはないのは確実だ。それが後悔するかどうかわからない。だが、会うを選択した場合はこれから何が起こるのか分からない代わりに退屈しないことだろうことは本人も分かっている。
「――再度、聞きます。娘に会って頂けますでしょうか?」
一拍置いてもう一度、問いかけられる。
仁翔は目を瞑り数秒だけ思い見た。脳裏に浮かぶのは先程思いだした少女の印象的な泣き顔。
そっと目を開いて決めた。
「……分かりました。会います。会ってみたいと思います。」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げられると心の中で歯車がカチリとはまり動き出す音を感じる。
仁翔は驚いた。自身も変わりたいと願っていることよりもまたあの少女に会いたいと願っていたことの方が強いことに。
(なんだろうな、この感じ。早く会って確かめたい気持ちが先行しているな)
今はまだ名を付け難い感情が心の片隅に芽生え始めたことをしっかりと自覚しつつ、いつもより少しだけ前向きな気分になった。
この後に話される話がどれほど重いかという事など露程知らずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます