その四

 廃校の中は静まり返っていた。自分達の足音の反響と服のこすれる音、そしていよいよ悪化してきた天候に伴う吹雪の音だけが聞こえる。

 学校にはあまり思い入れはない。なにしろ今で言う隠キャだったから。友達はいなかったわけではないが、女子とは上手く話すことはできず、運動部の陽キャたちをなんとも言えない気持ちで見つめる日々。10年以上がたち、一皮むけて迷彩服を着て訪れる学校の内部もまた、阿河をなんとも言えない気持ちにさせていた。


 分隊はツーマンセルに分かれるのではなく、フォーマンセルのまま廃校の中を進んでいる。敵情の解明という意味では、二手に分かれるべきであった。同時に広い範囲を索敵できるからだ。だが、多数の未知の敵と交戦する可能性が高い、いやほぼ交戦すると言っていい状況では各個撃破される可能性が高いとの玉木1曹の判断があった。なにしろ野戦ではなく市街地戦闘、しかも建物一つの中での任務だ。交戦せず敵情を解明し離脱しろという方が無理がある。上も我々に命じた時点で、斥候というよりは威力偵察の意味合いが強いことは承知だっただろう。

 

 敵がどこにいて何人いるかもわかっていながら敵情の解明をしろということは、それ以外を解明しろということ。つまり正体と目的である。どこのどいつが何をしでかしに来たのかという話だ。

 少なくともろくなことにはならないだろう。そう思いつつ阿河は廊下の角を注意カッティングパイしつつ曲がる。後方に異状なしの合図を送ると、分隊長以下が自分に続く気配を防弾チョッキ越しの背中で感じる。分隊の前進順は阿河、玉木1曹、本田2曹、上原3曹である。

 

 そこまで大きい学校ではないとはいえ、確認すべき部屋や場所は少なくない。教室に事務室、職員室やトイレ、体育館や理科室や音楽室…。どこに敵は潜んでいるのだろうか。分散して待ち伏せを狙っている可能性が高い。少なくとも警戒員は立てているはず。さっさと片付けたいが…。敵ってどんな感じなんだろう。訓練通りのやつらが来るのだろうか。…これには不安の要素も入っているのだろうか。

 他の3人の分隊の面々はどう思っているのだろう。玉木1曹は良い意味で言動と行動が一致していない男だ。普段の言動はやる気のなさに満ちているが、ここぞというときは人が変わる。本田2曹は雑談をしているところを見たことがないし、一緒に臨んだ旅団レンジャー教育で辛そうな表情を浮かべているところも見たことがない。上原3曹は…。分け隔てなく誰とでも話し、かわいいと周囲から評判だが、それに甘えることなく仕事には真面目と聞く。

 つまり、仕事はできる面々だ。陸自でよく言うさばけるってやつだ。それに違わぬように、目に入る分隊の面々の様子に不安の類は見られない。

 それぞれ思うところはあるんだろうと思う。だが表には出さない。意地、いや、演技。今求められている精強な陸上自衛官としての演技。誰かにどこかで教わったわけではないが、仕事ができる人間が皆やっていること。俺は…いや、とにかく今は目の前のことに集中しよう。きっと時間が解決してくれる。

 

 分隊は、角を右に曲がるとすぐに存在していた教室への室内掃討ルームクリアリングの準備に入る。これで用務員室等に続いて五部屋目だ。阿河、本田2曹、上原3曹が扉に向かって右側に位置し、玉木1曹が引き戸の窓から見られないよう身を屈めつつ扉に向かって左側に移動する。玉木1曹が扉を開けたならば、残りの三名から室内に突入する算段だ。


 一昔前の陸上自衛隊では旧ソ連軍との大規模野戦が想定され、その訓練が重視されてきた。しかし旧ソ連の崩壊や2000年代に入っての対テロ戦争、また国際派遣任務の増加に伴い、近年では市街地戦闘訓練も重視されてきている。阿河達の連隊もその例に漏れず、連隊独自の訓練あるいは日米共同訓練等を通して市街地戦闘要領については一定の練度に達している。

 

 アメリカでやった日米共同訓練ライジングサンダーは最高だった。自分の能力は向上したし、アメリカ軍はいいやつばかりだった。休日にはよくフーターズに行き、目が幸せという言葉の意味を理解した。確か、東京にも店舗があったようななかったような。



「たすけて!!」



 女好きな阿河に女の悲鳴が聞こえてきたのは、フーターズは銀座にあることを思い出したときだった。



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