第6話 海の底の奇跡
初めてできた好きな人との初めてのデート。私と彼は今日、隣町の水族館に来ている。
テレビで見た恋人同士のように、手を軽くつないで水族館の中を順路に従って回っていく。自分から望んだこととはいえ、好きな人と手をつなぐという行為に私の胸の鼓動はずっと高鳴りっぱなしで、彼に聞こえてるんじゃないかとすごく気になった。
水槽の明かりと非常灯だけが光源の暗い館内だから、おそらく上気して真っ赤になっているであろう顔が見られないのが唯一の救いだった。
通路の右にも左にも大きな水槽が並んでいて、その一つ一つに愛くるしかったり、グロテスクだったり、華やかだったりする水棲の生き物たちが入っている。
私が勤めている病院の待合室にも熱帯魚の水槽があって色々な魚やエビが飼われているけど、ここで見るのは初めての生き物ばかりだった。
お腹にハートマークのある熱帯魚。扇風機の羽みたいな模様のクラゲ。あまり動かないキモ可愛い深海の甲殻類。
見るものを感じるもの全てが新鮮で、私はもう感動しまくりだった。
「ど、どうしよう。すごい感動。……もう泣きそう」
「ここでそんなに感動してたら次のコーナーが心配だなぁ」
「え?」
彼に手を引かれて薄暗い通路を抜けると、そこは海の底だった。正確には通路がガラスのトンネルになっていて巨大な水槽の中を全周囲見れるようになっていたのだ。
「………………」
私はその場に立ち尽くしたまま、ただ言葉を失っていた。
「すごいよな。俺も子供の頃初めて来た時にすっげえ感動したんだ。これを君に見せたかった。……まあ、君の部屋も海の底だから似たようなものだけど」
「……どこが。私の部屋とはぜんぜん違うじゃない」
口では強がってみたけど、すでに私の両目からあふれた涙は頬を伝っていた。まさかこんな世界があるなんて思ってもみなかった。
私はこれまでずっと、昼間は閉じこもり、夜になって外に出る生活を繰り返してきて、昼間に出かけることなど初めから選択肢として考えることさえなくなっていた。
でも、それは私が最初からすべてを諦めて、自分で作った壁の中に閉じ籠っていただけで、私の世界は私が思っていたよりずっと広かったんだと気づかされた。
彼が誘ってくれなかったら、私はこの感動をきっと一生知ることはなかった。私はこの感動を生涯忘れることはないだろう。
この時間はまるで……そう、奇跡のように思えた。終わることなくずっと続けばいいのに。
私は、私の手を握ってくれている温かい彼の手をぎゅっと握り返して、流れる涙を拭いもせずにただただこの幻想的な光景を、彼の手の温もりと鼓動を、交わした会話を、この奇跡の時間のすべてを一つ一つ脳裏に焼き付けていった。
何年、何十年経っても鮮明に思い出せるように。
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