第3話 凱亭
シミュレーターに座ったアルティナは無邪気に瞳を輝かせる。実際、カインの私物であるこれはゲームセンターにあるシミュレーターなんかより数段グレードの高い代物だ。ありとあらゆる地形、天候、兵力差をあらゆる兵科を用いて攻略することが可能であり、マニュアルで地形や兵力差を設定するまでもなく、過去の歴史上の戦例のほとんどがプリセットされているというすぐれもの。
たとえば「237、桃華帝国、凱亭」と入力するとシーザリオン帝紀237年、桃華帝国最初の王朝「虔」の祖である兵法鼻祖・女帝馮媛(ふう・えん)が隣国「祁」の韓鐘璃との戦いに愛弟子・霍明(かく・めい)を信じて出馬させ、敗北して帝国統一を10年遅らせることになったといわれる「凱亭の戦い」が再現される。
霍明は優秀であったが才を誇りすぎ、また応変の運用を知らず、高所を取れば圧倒的有利と信じてそこにこだわった結果、祁軍の名将韓鐘璃(はん・しょうり)に水路を断たれて敗北した(※この部分はもちろん「三國志」街亭の戦いから引いたものです)。水を断たれ士気を欠いた霍明はやけになって逆落としの突撃をやってのけたが、もちろん韓鐘璃に通じるはずがなく。彼女はとらわれるも解放され、命運を女帝馮媛自身にゆだねられ、馮媛は寵愛する霍明を自ら斬った(※このくだりはそのまま三国志の「泣いて馬謖を斬る」)。
韓鐘璃としては馮媛が霍明の罪を問えばその呵責のなさを鳴らして反帝国の口実を得られるし、馮媛が霍明を庇うなら公私混同を鳴らすことができた。どちらにしても韓鐘璃にとって有利であり、帝国の完成は霍明敗北の時点で遠ざかったのであるが、この心労で桃華の主神混元聖母から200年の寿命を約束されていたはずの馮媛の寿命は大きく目減りし、実際の彼女は韓鐘璃ら反帝国勢力を殲滅できず、57歳で世を去ることになる。
「それにしましょう」
カインの注釈付きで戦例をひき、魔女装束の少女、アルティナ・カイロスは軽く三角帽子のつばを調整する。彼女が勝てばここにいるカインと4人の少女は皆殺しだというアルティナ。だがカインの見たところこの少女がそこまで邪悪かと言うとそうも見えない。
(まあ、まずは軽くひねるとするか)
「霍明の戦術が失敗で最初から逆落としを仕掛けていれば勝てる、そう思うのなら甘いぞ。戦術とは生き物だ」
「センセーうざい。そもそも担任も持ってないような非常勤講師がえらそーにほざいてないでよ」
「確かにそうだが……しかしここで俺が勝ったら態度は改めてもらう」
「いーわよ? アタシ、負けないけど」
「ガラドリエル先生、大丈夫なんですか? あんな約束して……?」
穏奈が言った。サムライとして高い技量を持つ彼女はアルティナがその気になればこの場の5人をたやすく殺しうることを理解している。そして持ち前の正義感が無力であることに悔しさを感じていた。
「大丈夫、彼女は約束は守るタイプだ。あとは俺が負けなければいい」
カインは気負うところなく平然と言ってのける。これまで彼はシミュレーターで負けたことは3回しかない。その3回の土をつけたのがカインの幼馴染で現在アジュナーダインの隣に盤踞する中規模国家クズルバシュの軍師・ニルフェルなのだが。
(あいつにも、戦場では負けてない。ましてや学生に負けられるか!)
「ごめんねー、センセ。お詫びにおっぱい揉む?」
キリッと決意するカインに、大きな乳房を寄せてくるのは四枚羽根の天使少女。レミナリエルと名乗った彼女はまぎれもない上位のてんし天使であるが、普通のひとびとが天使に思い描くイメージ……清廉で純潔……とは程遠い。ずいぶんと俗っぽく、性欲も強いらしい。
「アンタなにカインをゆーわくしてんのよ!? 殺すわよ、公女権限で!」
「黙ってなさいな、幼児体型。……それで、わたしたちにできることはないですか、先生?」
ノエルとエフェメラも口々に言う。カインは一人でアルティナと雌雄を決すつもりだったが、この際この一挙を兵法講義にしてしまうのも悪くないと考える。
「アルティナ。こちらは5人がかりでいいか?」
「……いーわよ? ズルしたら殺すけど」
「ズルはしない。兵力も、こちらが少勢で構わない。ただ、コンピューターに任せる各部隊長の操作を、彼女らに任せる」
「ふぅん。それってセンセに損しかないんじゃない?」
「そうとも限らないさ。研ぎ澄まされた人間の頭脳はコンピューターを容易くしのぐ」
そして。カインは4人にそれぞれ策を授け、いよいよ「凱亭の戦い」対戦を開始する。霍明を演ずるのはアルティナ、これを攻める韓鐘璃役がカイン。4人の少女はカインの指示で各所に伏せているが、それはアルティナの側からはわからない。もちろんアルティナの操作するコンピューター武将の動きも、カインたちの側からは見えないのだが。
作戦は両軍が戦場に到着するところから開始される。先に動くのは韓鐘璃=カイン。彼は8000の軍を4000の主軍と4000の遊軍に分け、遊軍に4人の学生少女を配す。
ついで霍明=アルティナ。韓鐘璃いたる、の報せを受け、馮媛の命を拝命して12000で出撃。本来の霍明の戦術であれば韓鐘璃に先んじて丘を扼すはずだったが、今回アルティナはその定石を外す。丘を迂回し、一挙行軍中の韓鐘璃=カイン攻撃を目指す。
しかしカインの4000を捕捉することが、アルティナにはできない。アルティナは索敵を疎かにしており、カインは下世話な天使の少女・レミナリエルを間諜に起用して敵の動きを丸裸にしていた。
「センセ、あたし役に立ってるー? 褒めて褒めてー!」
「ああ、予想以上の才能だ。これは赤竜帝陛下の晦日皇妃に匹敵するかもな……」
さらに、小出しにしたアルティナの兵力が、出した先で虫に食われるように消失する。巧妙に誘引して殲滅する巧みな伏兵は、新入生トップ、ノエル・リウィウスの手並みだった。
「ふふーん、これが兵法の神髄ってモノよ! どう、魔女さん?」
「く……まだ!」
アルティナは苦戦しつつ、川沿いに出る。
「はい、行き止まり。ちんちくりんの伏兵とは一味違うわよ」
そこにはエフェメラが待ち構え、川の堰を切った。水責め。数千の兵力が一撃でなぎ倒され、流される。川をつっ切って渡ろうとするなかを弓矢の集中砲火がアルティナ勢をまた削いだ。
「ちょ……丘の上に!」
周章狼狽して捨てた丘上に逃れようとするアルティナの前で、旌旗がひらめく。紋章や意匠をこらしていないただの白旗は敗北のしるしのようでもあるが、もちろんそうではなく。
「これで、終わりです!」
獅堂穏奈が騎兵500を率いて、一気に逆落としの突撃を仕掛けた! 衝撃力は速力×衝突面積×士気。圧倒的優勢に士気で勝る穏奈は面白いように斬りたて……そして、勝負はついた。
………………
…………
……
「……負けたわ」
ぶすーっとした顔で、アルティナ。負けは認めたくないが、見苦しく言い訳するのはもっといやらしい。存外に素直に負けを認めた魔女に、少女たちは毒気を抜かれる。
「それで、どうだった?」
カインが聞く。
「どうって?」
「面白くなかったか?」
「……うん、まあ。面白かった、かな?」
「なら、軍人を目指してみないか? アルティナだけじゃない、レミナリエルの索敵力、ノエルの冷静な洞察力、エフェメラの地形と自然を巧妙に利する技、そして穏奈の天性と言うほかない突破力。どれも将軍として得難いものだ! もし、君らにこの道を征く気があるのなら、俺が全力で支援させてもらう」
カインは熱っぽい口調でそういうが。
「あの……先生? お誘いは嬉しいのですが、将軍、ということは実際に大勢のひとを殺すことになるのですよね? さすがにそれは……」
「今はまだ、そうだな」
穏奈の言葉に、カインはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「今は?」
「ニルフェルという幼馴染の軍師がいてな。彼女と会談したことがある。『実際に人死にを出すことのない戦争は出来ないものか』と」
「人死にを出さない……そんなの無理でしょ。このシミュレーターならともかく……って、あ!?」
アルティナは気だるげに投げやりにいいかけて、途中で気づいて叫ぶ。
「そういうことだ。もっと高度で完成されたシミュレーターを作り、世界中の戦争の概念を変える! その下地になるシステムは俺たちがつくる、その先を行くのは、君らだ! かつて神力をもって世界に存在した『聖女』、君らは電脳軍略世界の聖女になる!」
失脚させられた将軍、カイン・ガラドリエルが考えて考えついた境地がそこだった。いまのカインには力も信用もない、まだこの構想は夢想でしかない。だがいずれ、人間が血を流しあう戦争は消える、消してみせる。カインは強く、そう誓うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます