落ちぶれ将軍と軍略少女たち

遠蛮長恨歌

第1話 剣は一人の敵

 八葉大陸アルティミシア。


 9大国といわれる大国覇権主義が廃れ、小規模な都市国家の林立を招いて100年ほどが経った。それは1000年間にわたって要石として各国ににらみを利かせていた新羅皇家が、男子が絶えたことで滅亡してしまったことに起因する。大国を率いる俊傑はそうそう出ないが、都市国家を率いる程度の小野心家はそれこそ無数にいたのである。


 かつて赤き竜の皇家の女帝エーリカ・リスティ・ヴェスローディアが機械兵器とその文明を駆使して正統・新羅乕を苦しめたということがあって以来、進んだ文明は禁忌とされている。ゆえに1000年が経過してもこの町の風景が赤レンガの道路とバロック建築以上に進展することはなかった。町にはファストフードやコンビニが立ち並び乗用車が走りはするものの、根本的には1000年前、赤竜帝の御代と世界はそれほどの差異がない。


「俺、スパイシーチーズバーガー。スパイス多めで」

「カイン……そういうカスタマイズされると面倒なんだ、やめてくれ」

「いーじゃないかよ、そんなに忙がしいわけでもないだろ?」

「忙しいんだよ。昼のこの時間がヒマなわけないだろうが!」


 ここは旧神聖王国ウェルス北端部の都市国家アジュナーダイン。四方を兵力豊かで精強な雄藩に囲まれた小さな都市国家だが、この国は過去8年間、敵に国土を踏ませることを許していない。宰相アベル・ライゼンの外交手腕もさることながら将軍カイン・ガラドリエルの武略によるところが大であり、カインはつい半年前まで国家の守護神として讃えられる大将軍の地位にあったのだが……いまは昼のファストフードでハンバーガーの味に注文を付ける程度にヒマな立場にある。いまの彼はアジュナーダイン公立ミネルウァ智賢学院の非常勤講師であった。


「オラよ、スパイシーチーズ、スパイスマシマシ。とっとと食って帰れ!」

「なんでそこまで悪しざまにされるんだよ、態度悪い店だな……」

「うるせぇ! お前が将軍やめたことでアジュナーダインの人間はみんな困ってんだよ!」

「……それは、すまんが。そこは宰相をどうにかしないとどうしようもない」

「お前が宰相暗殺なんか考えたのが悪いんだろーが!」

「考えてねぇよ!」


 カインは武略に関して比類ないが、政略と人間心理の駆け引きにおいて老巧の宰相にかなうはずもない。アジュナーダインの民が信じるのはアベルの布告した「事実」であり、カインは民を裏切った鼻つまみ者として人々から嫌われていた。


 そんなわけで、おちついてハンバーガーを食すという気分でもない。いそいそと口に放り込むと学院に退散する。


 おりしも今は4月1日。神聖王国ウェルス系の国家としては国祖シーザリオンの建国記念日であり、明日2日は学院の入学式である。地理的にアジュナーダインに桜は芽吹かないが、かわりに萌える緑が春の香りを連れてくる。カインとしてはあまり好きな季節ではなかった。春に出会った相手が翌年の春生きているかどうかわからないというのが理由であり、その程度にはアジュナーダインと言う国は殺伐としている。


(まあ、学院では生きるの死ぬののことは考えなくて済むだろうが……)

 カインは端正な銀髪の美貌に秋波を乗せて、小さくため息をついた。18歳から26歳まで、戦場軍旅のことしか考えていなかったカインはどうしてもそちらの思考が抜けない。せっかくの美貌だがそうしたことばかり考えているせいで、御面に皺が寄って厳めしいものになってしまっている。


 職員室にもカインの居場所などない。宰相の布告が信じられている以上、基本的に全員が敵なのである。カインは自分に与えられた部屋……歴史編纂室……に逃げ込み、書肆で購入したハードカバーの本を開く。かなり古くなってはいるが、歴史上の名将とその軍略が記してあるものだ。もと軍人であり、非常勤講師として歴史編纂室を開設し、そして軍略書を好む当たり、カイン・ガラドリエルという青年は筋金入りの軍略オタであるといえた。


「この教室に生徒がいれば、楽しいのかもしれんが……」


 軍書をパラパラめくるものの、内容はほとんど頭の中にある。せっかくならこの知識を若人に(カインだってまだまだ若いが)講釈して伝授したいと思う……が、まずカインのところに軍略を学びに来ようという人間はいないだろう。天下御免の嫌われ者だ。


 宰相暗殺の冤罪を晴らす手段はいくらでもあるのだが、それをすると宰相の立場が危うくなり、近隣諸国にアジュナーダインを攻める口実を与えてしまう。それが透けて見える以上、カインが自分の冤罪を晴らして名誉回復、などと言えるわけがなかった。


「あのハゲがつらくなるだけなら構わんのだがなぁ……、国が巻き込まれるとなるとどうしようもない」


 宰相アベルをハゲと罵りながら、再び軍書をめくる。何度も読んで頭の中に入っていることではあるが、軍事オタにとって軍略知識の上書きと言うのは性的興奮に等しい快感がある。


そうして時間を潰したカインが帰宅の途上についた時だった。


ドン!


突き飛ばされて荷を奪われる。スリ、と気づいた時には相手につかみかかっていた。


 が、再び突き飛ばされ、さらに強力に殴打される。カインはもと軍属であり優秀な軍事的才能の持ち主ではあるが、暴力自体の腕前にはさしたる覚えがない。学生の運動部員にも負けるであろう程度だ。


が、それでも立ち向かった。秩序の守り手として犯罪者に屈するわけにはいかないのと、なにより荷物の中には彼が自らものした兵法書の草案がある。描き上げずに死ねるかという大作であり、これをどぶに捨てるぐらいならカインは死を選ぶ。金を払って返してもらえるなら払うが、いま手持ちは300ウェロチ(300円)しかない。


ドガッ! ゴス!


よって必死に挑みかかる以外の手だてがないのだが、しかし根本的な力量差が埋まるわけではない。集まってきた弥次馬もカインを救おうとはしないし、カインの事をカインと認識したものはむしろ積極的に罵り声をあげすらする。まったく世評に形成された悪名の公かというのは大きかった。


「カイン、得意の兵法でどうにかしてみせろよ!」


 一番答えたのは誰かが投げかけたこんなセリフだ。なめとんのかと思う。兵法知らん奴がなに言いやがる、とは思うのだが、それでもプライドが傷つく。


ともかく。しつこくすがるカインに暴漢はナイフを抜いた。金目の物などほとんど入っていないかばん一つにナイフを抜くのはどう考えても割にあっていないが、中身のことなど防寒にはわからない。カインが必至で暴れるからにはそれだけのものが入っていると思い込んだ。


暴漢は洗練された挙措でナイフを突き出し……、


それが中空でキン、とはじかれる。


いつの間に間を詰めたのか、すぐそこに少女がいた。黒髪をオレンジのリボンでポニーテールにした、快活で真面目そうな少女だった。ついでにいうとおっぱいがデカい。旧アカツキの甲冑ベースと思われるプロテクターをまとっているのだが、その下に着用したシャツの前が閉じられないくらいだ。


 そのおっぱい……もとい、少女は手にした短刀で暴漢のナイフを受け、くんと手首の返しでナイフを跳ね飛ばす。宙に浮いたナイフを反対の手でぱし、とつかみ、それを暴漢の面前につきつける。


「ひ、退いてください……!」

「アァ!?」


 少女の技量はあきらかに暴漢を圧していたが、暴漢はなお荒々しく柄悪くクダを巻く。少女は怯えた顔になり、一瞬途方に暮れた。


「なにしているの、穏奈。そんな相手に」

 暴漢の後ろで、声。すらりとした水色の少女が立っていた。少女は軽く当身を加え、一撃で失神させて片を付ける。


「エフェメラさん、暴力は……」

「サムライのくせに博愛主義が過ぎるのも困りものね、穏奈は」

「そ、それよりこちらの人です!」


 シズナと呼ばれた少女はカインを抱き起す。軍略オタで女性に免疫がないカインはそこにもってきて凶悪無比の肉体に抱きかかえられて狼狽えたが、そこは狼狽えていない風を装う。このへんの鉄面皮は軍で鍛えられた。


「あー……ありがとう。キミらは強いな……」

「いえ、わたしなんかまだまだですよ!」

「そうね。剣は一人の敵。万人を相手にできる術を学びたいところだわ」


 謙遜する穏奈の横から、エフェメラと呼ばれた少女がそう言って昂然と胸を張る。その言葉に、カインの胸が燃えた。


「それなら兵法を学ぶべきだ!」

「?」

「ひょう、ほう?」

「俺はカイン・ガラドリエル。8年間軍隊にあって後れを取ったことはない。その要諦が」

「兵法、ですか?」

「そう! 決して無理をせず、流れに逆らわず、機をうかがい、勝機を逸さず。そうしたものだ」

 熱く語るカイン。軍略兵法を語る相手が現れたかも、と鼻息も荒い。


「へぇ~。エフェメラさん、どうしましょう?」

「問題外。後れを取らない男があんなチンピラに負けないでしょう。詐欺の手口よ」

 穏奈は興味をひかれたようだが、エフェメラの態度は冷ややかだった。実際ブザマを晒した身としてはなかなか、説得力がない。


「むう……」

「わたしは詐欺だとは思いませんが」

「どちらにせよ、わたしたちは忙しいでしょう。明日からミネルヴァ智賢学院に入学することになるのだから」

「そうなのか? なら、俺の職場だ」

「は?」

「もし、キミらが本当の強さを手にしたいと思うなら。学院の歴史編纂室を訪ねてくれ。決して損にはならないと約束する」


 カインはそう言いおいて自分の下宿に帰った。切れた口の中や腫れた瞼が痛んだが、胸は高揚感に満ちる。自分が死蔵させるしかないかと思った兵法、それを伝えるべき相手が、見つかったかもしれない。

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