第2話

 バイト帰りに商店でメンチカツと鶏の唐揚げを買い食いしながら帰宅すると、キヨヒトは勝手に台所で料理を作っていた。

「お腹すいたでしょ。もうできたから座って」

 テーブルに出されたのは、白菜の浅漬、納豆、豆腐とわかめのみそ汁、キヨヒトが持ち込んで炊いた玄米。まるで江戸時代の貧乏農家だ。どうやら酒はオーケーなようで、脳を麻痺させて粗末な食事を酒で流し込んだ。食事を終えると、おすすめの海外や観光地、ご当地限定の何やかやについて質問した。日付をまたぎ、そろそろ寝ようかという時になって、キヨヒトは神妙な面持ちで言った。

「あのさ、こんなことは言いたくないけど、君、もっと素直になったほうがいいよ」

 初対面の相手に心を開くのが当たり前と思っている? そんなはずはない。彼は犯罪だらけの国を旅してきたのだ。ということは、僕に対して個人的な苦言があるということだ。彼の非常識さを気づかせるための助け舟として、にこやかに言った。

「本音トークをするには酒が足りないよ」

「俺は別に酔ってない」

「何か気に触ることを言った? だったら謝るけど」

「いまさら謝られても仕方がない」彼の目は真っ赤だった。「君は俺のサインを幾度も無視した。君は自分が家の主人であるという立場を一度も手放さなかった。話している内容が問題じゃないんだ。君が心を閉ざしていることで、誰かを苦しめていることに気づいてほしいんだ」

 うっせえ! おめーの知ったことか! 

 と思ったが、殴られるのはごめんだ。

「オッケー。明日からは心を開く」と答え、さっさと後片付けを始めた。


 次の夜も酒を飲んだが、一時間もしないうちに話題は尽きた。キヨヒトは不満げな顔つきを隠しもしなかったが、今夜は説教を控えることにしたようだ。

 僕は寡黙なタイプではないが、キヨヒトには心を許さない方がいいと感じた。これまでの流れをあらためて振り返ると、不自然な様子が幾つか思い浮かぶ。妻の態度もそうだし、突然大昔の知り合いをうちに呼ぶのも変だ。

 妻とキヨヒトの間で何かしらの密約が交わされた?

 祖母の容態の変化さえも狂言だとしたら──ずいぶんと大掛かりだ。深刻な夫婦の危機といってもいい事態だが…。

 翌日のお昼休憩に妻に電話をした。すぐに留守電になり、吹き込もうとした折、キヨヒトの鼻で笑う声が聞こえた気がして、すぐに切った。言い訳のメッセージを送ろうとしたが、なんて書けばいいのやら。仕事終わりにまたかけたが、やはり留守電。折り返しの電話すらこない。キヨヒトに直接聞く? バカな。夫婦の絆の脆さをバラしてどうする。ふいに、乗船時の仲睦まじそうな二人の姿が蘇った。いかにも地球に優しそうな理想のカップル的な二人の像は、監視カメラのような島人たちの記憶に刻まれたはずだ。自分の影を踏む足音が次第に荒々しくなる。人影がないのを確かめ、空き家のシャッターをどがんと蹴っ飛ばした。


 自分の家なのにドアの前でかかとの痛みと胸のもやもやでしばらく立ち往生した。ようやく開けると、リュックを背負ったキヨヒトが仁王立ちしていた。思わず、「あっ」と声が漏れた。

「おかえり」

 と彼は棚から車のキーを取った。

「出かけるの?」

「ああ。ドライブに付き合ってくれないか」

 とサンダル履きで外へ出た。 

 キヨヒトは僕に一言もなく運転席に乗った。携帯電話を確認すると、誰かからメッセージが来ていた。名前も見ずに、即座に主電源を切った。ドライブしようと誘ってきたわりに、話しかけても彼はどこか気もそぞろだった。



 海岸近くの駐車場に停車し、しばらく来た道を戻り、傍目にはわからないほどのやぶの隙間から茂みに入った。細い獣道をかき分ける際、何度かシャツを棘で引っ掻いた。ようやく歩道らしき場所に出た頃にはすっかり汗ばんでいた。水を持ってこなかったことを後悔したが、キヨヒトに恵まれるのも癪だ。呼吸が乱れていることを気づかれないよう、やや距離を置いて後をついていった。

 それにしても、こんな獣道と見間違えそうな場所をなんだって彼は躊躇なく歩けるのか。背丈の低い草木を避けながら斜面を上がる。ガサガサと獣が草をかき分けるような風の音がした。しばらく進むと、一見して岩の裂け目にしか見えないくぼみの前で彼は立ち止まった。

「これさ、洞窟の入り口には見えないよな」 

 と彼は屈み、ピンと伸びた雑草に頰を擦り付けるようにして、岩盤の端の脆弱な箇所をカリカリと爪先で擦った。

 洞窟は島の至る所に点在している。そのほとんどが先の世界大戦で掘られた防空壕だが、この辺りは一般人の立ち入りは禁止されている。

 一体、どうやって彼はここを見つけたんだ?

 入り口をくぐると、やや屈まなければいけないほどの高さで、幅は二メートルほど。キヨヒトが先導し、僕は彼の足元の光を頼りに足場のよくない岩場を注意深く進んだ。暗がりのあちこちで何者かが息を潜めているような気がし、何度か振り返った。サンダルばきできたことを後悔した。先に目的を言ってくれよと思ったが、気遣いのできる人間ではないのだ。そもそも気遣いの問題ではないのか。どん、とキヨヒトの背中に追突したが、彼は細身の割に電柱のように微動だにしなかった。

「どうしたの?」

「これ、かなり昔のものだぜ」

 彼は未開封の缶詰を手に取った。古めかしいフォントで「山羊肉」。戦時中の備蓄品だろうか。ツールナイフで蓋をこじ開けると、赤茶けた砂がさらさらと落ちた。

「有機物は土に帰る」

 と彼は空き缶を端に放り、さらに奥へと歩き出した。喉の奥がちりちりする。黴だろうか。しばらく進むと、再び彼は立ち止まった。

 今度は何だ。

「見ろよ」

 彼は奥の壁を照らした。

「ひいっ!」 

 ひっ、ひっ、ひっ… 

 ライトアップされたしゃれこうべが、僕の声で笑っているようだ。

「戦時中にしては新しすぎるよな」

 カチ、カチ、カチ、と彼は懐中電灯を明滅させ、頭蓋骨のくぼんだ眼窩に指を這わせた。

「首から下の骨がまるで見当たらないのも変だし、まるで展示されているみたいなのも妙な話だよな?」

 よな、よな、よな…

 暗がりから聞こえてくる返答を確認するように、彼は頭蓋骨の耳の箇所を自らの耳に充てた。

「と、とにかく、警察に通報しなきゃ」

「まあ、あわてるなよ」

 と懐中電灯で僕を照射した。

「どうせ誰も来やしないさ」

 逆光で見えないが、どうせ不敵な笑みでも浮かべているのだろう。

「これを見せたかったってこと?」

 返答なし。

「ていうか、どうやってこの場所を見つけたの?」

「ダウジングだよ」

 と彼はリュックから刀でも抜くように二本の針金を出した。鉤爪のような形の先端がほのかな青の光を発している。 

「本来は地下水とか金属を振り子の動きで見つける昔ながらの道具だが、迷子になった猫だって探すこともできるぜ」

 と彼はにゅっとタコのように後方に腕を折り、元の鞘に戻した。

「島中、それを持って骸骨を探し歩いたってこと?」

「まさか。ドライブしながらだよ」

 どうやら、勝手に僕の車を乗り回していたようだ。

「実はね、この島に来る前に若い娘さんの霊が語りかけてきたんだ。この島で無念の死を遂げたと彼女は言った。さぞかし無念だったろう。きっと誰かに骨を拾ってもらいたかったんだね」

「それが来島の目的?」

「ワン オブ ゼム。いくつかの目的の一つ」

「とりあえず戻ろうよ」

「待て。このことは誰にも話さないでほしい」

「それはまずいんじゃないの?」

「三日後に発見したことにしよう。誰も疑ったりはしないさ」と彼は懐中電灯の光を頭蓋骨の歯列に当て、研究者のように目を細めた。「この人がどんな目にあったかを調べたいんだ。三日後に迎えに来てくれないか」

「島ではキャンプは原則禁止なんだけど」

「島が禁止しているわけじゃない。暇人が決めたルールだ」

 彼こそがもっとも暇人だが、これが自由人ってやつだ。

「水と食料は?」

「二ℓのペットボトルが三本、野菜、毛布、寝袋、これ以外に必要なものある?」

「ムヒ!」

 ひっ、ひっ、ひっ…

 しゃれこうべの笑いが聞こえた。

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