しろゆきのメランジェ

ざらめ

序章

白のお姫さまと白の悪魔

 

 雪の神が住まう地、雪華せっか

 古来よりこの地には、白の悪魔しろのあくまと呼ばれる怪物が住んでいた。

 その怪物は、気高き雪の神と同じ力を使い、気に入らない者をみな氷漬けにしてかき氷にして食べてしまうという言い伝えが──


 そこまで書き綴ったところで、頭に凄まじいほどの衝撃が走った。顔が机にめり込んだ気がした。


「ぐぶっ!」

「まーしーろー、お前はなァにこんなとこでサボってんだァ? さっさと王務に戻ればかたれ」


 首根っこを軽々と掴まれて、真白ましろと呼ばれた少女は為す術もなくぷらぷらと揺れている。これを初めて見た者ならば、この少女がこの国を統べるお姫様とは思わないだろう。そして、そのお姫様を捕まえているのが従者の銀雪ぎんせつという青年だ。普通の者ならば不敬罪という罪に問われるが、なんでもこの銀雪という青年は真白が生まれた時から面倒を見ているらしい。従者ではなく、最早兄という存在に近いのかもしれない。なので、銀雪はこの国にとって唯一真白と対等でいられる人間なのだ。


「いやですの!毎日毎日書類とにらめっこだなんてちっとも面白くありませんわ!これ以上ばかになったら銀雪のせいよ!」


 ふんっ!と真白は頬をぷぅと膨らませて、銀雪から視線を逸らした。そんな真白に銀雪ははぁと深い溜め息を吐いた。

 そして、首根っこを掴んでいた手をゆっくりと離したのだった。


「あうっ!」

「安心しろよ真白。お前はもう既にばかだから、これ以上ばかになることなんかねえよ」

「ん、ぐぐ……!」

「ほら早く戻れ。あんま名残なごりを困らせんな」


 白のお姫さま、と銀雪は真白を見下ろしながらそう言った。白のお姫さまとは真白が愛す民たちが真白を想ってつけてくれた敬称だ。この名を呼べば、真白は渋々ではあるが言うことを聞いてくれるようになるのだ。


「戻ります……」

「はい、いい子。王務が終わったらお前のだァい好きなザッハトルテ作ってやるからさ。だから頑張れ」

「!や、約束ですのよ銀雪!」


 雪の結晶を閉じ込めたような瞳をめいいっぱい輝かせて、ぱたぱたと執務室へと走っていく真白に銀雪はぷはと思わず噴き出してしまう。相も変わらず可愛らしいお姫さまだと、傍らに落ちていた本を拾い上げる。

 先程、真白が何かを書いていた本だ。


「…氷漬けにしてかき氷にして食べてしまう、ってほんとばかだなあいつ。白の悪魔はそんな可愛いことなんざしねえよ」


 白の悪魔。

 この国に伝わる忌まわしき怪物の名だ。銀雪は本をキッと睨み付けて、何事も無かったかのように本をぱたりと閉じた。

 民たちが怖がる白の悪魔を、白のお姫さまは存外気に掛けていた。手を取り合いたいなどと、戯れ言を言うのだ。

 それから数日後、真白のとんでもない発言によって、この国全体が揺らぐことになろうとは、だれも知る由もない。



「白の悪魔さん!わたくしとお友達になりましょう!」



***



「はぁ、お前がついておきながらまさかこんなことになるなんてな」

「あはは、ごめんね銀雪」


 ふわふわのマロンブラウンの髪を揺らしながら、銀雪の目の前にいる青年──名残なごりは何の悪びれもなく笑っている。笑い事じゃねえよと銀雪は名残の額を小突いた。


「あいたっ!だって、真白さまったら可愛いんだもん。目をきらきら輝かせて、白の悪魔さんとお友達になりたいの!お願い名残!なんて、上目遣いで言われたらオッケーしちゃうじゃない」

「お前それ真白の真似か? 全ッ然似てねえな」

「うん、僕も自分でしてみてすごく後悔した。こんなの氷織ひおり冷花れいかちゃんに聞かれたら怒られちゃうね」

「怒られるどころか殺されるぞ。というかそんな話はどーでもいいんだよ!」


 銀雪が話を広げたんでしょ……と、名残はやれやれと肩をすくめた。真白の教育係にして補佐も務めている名残は、真白の突拍子も無い言動にストップをかける役割も持っているのだが、白のお姫さまの可愛さには勝てなかったらしい。

 白の悪魔と友達になるなど言語道断だ。それに、民たちの反感も買いかねない。それだけ、白の悪魔を皆が嫌っているのだ。


「民の平定も王の務めだってのにあいつは~! 内乱でも起きたらどうするんだよ」

「それについては何の問題もない」


 がちゃりと鎧同士が擦れる音がした。城内でこんな金属音をさせるのはあの女しかいないと、銀雪は顔をしかめた。


「はいはい、お前がそう言うんならそうだろうよ雪華の国の騎士団長さま」

「我が君の言うことは絶対でありルールだ。それに異を唱える者が居るならば、即刻斬り捨てるのみ。ということで、少々痛め付けてきたので何の問題もない」

「問題大ありだわ!余計悪化するじゃねえか!」


 どいつもこいつも勝手なことしやがって、と銀雪は痛む胃を押さえながら、自分は何か悪いことをしてしまったのかと平然としている[[rb:冷花 > れいか]]を睨み付ける。

 我が君わがきみと呼び、真白のことを敬愛している変人①だ。銀雪の胃を痛めさせる女でもある冷花は、女性の身でありながら雪華の国が誇る騎士団の団長を務めるほど武の才にあふれていた。白のお姫さまを守れるのは、己のつるぎのみだと過信している。なので、真白以外にはほとんど興味を示さず、彼女に刃向かう者がいるならば、それが愛する民であろうと容赦なく刃を振るってしまう狂人なのだ。

 今回も恐らく、白の悪魔と友達になると宣言してしまった真白に不信を抱いた民たちを数人黙らせてしまったのだろう。民と国を守る騎士団の、しかも団長がこんなことをしてタダで済むわけがない。

 今からその被害の範囲と民たちへの謝罪文を考えるだけで、銀雪の胃がきりりと悲鳴を上げた。壊れるのも時間の問題だ。


「あのね、冷花ちゃん。さすがに民たちに手を出すのは駄目だよ。もっと、こう、穏便に……」

「はっ!兄上の言う通りだな!これだから脳筋共の長は!野蛮極まりない!」


 聞き慣れた声と共に此方に向かって優雅に歩いてきたのは、名残とよく似た顔立ちをした男だった。

マロンブラウンの長い髪をさらりと靡かせ、眼鏡を押し上げる仕草がなんとも様になっている。

 変人②のご登場だ。


「そんなことをして、白のお姫さまが喜ぶとでもお思いかな? 騎士団長殿」

「むっ、貴様にだけは言われたくないな氷織ひおり殿。私より先に民たちを粛清していたではないか!」

「粛清? なんと人聞きの悪い!注意をしていただけなのですよ。白のお姫さまが何よりも大切に思っている民たちに手を出すだなんて私にはとてもとても……」

「ああもー!お前ら余計なことを!」


 変人②。冷花と並ぶほど、いやそれ以上に真白のことを敬愛──いや違う、狂愛している氷織と呼ばれた男はこの国の魔導士たちを束ねる長であり、名残の双子の弟でもあった。

この男も銀雪の胃を痛めさせるのが上手く、自分とよく似た思考を持った冷花によく突っ掛かっていく姿を度々見掛ける。そんな氷織も、どうやら冷花と同じことをしてしまったらしい。

 こいつらはもう駄目だと、銀雪と名残が呆れて物も言えない中、そこに一人の救世主が現れたのだった。救世主……というよりは、この騒動を引き起こした張本人でもあるのだが。


「あら? みんなで仲良くお喋り? わたくしも混ぜやがれ、ですわ!」

「真白さま、お口がきたないですよ。混ぜてくださいまし、です」

「しっ、失礼いたしましたですの。混ぜてくださいまし!」


 白のお姫さまこと、雪華の国の王である真白は、レースとフリルがふんだんにあしらわれたふわふわのドレスを身に纏いながら、ひょこひょこと此方へ歩み寄ってきたのだ。

 まるでその姿が神々しい雪の神様のようで、冷花と氷織は瞬時にその場に跪いた。


「ああっ!ご機嫌麗しゅう、白のお姫さま。今日も変わらず大変お美しい!いかがですかな、私と二人きりで夜のお散歩にでも…」

「我が君、お疲れ様でございます。城下に御用がおありならこの私、冷花だけをお側に。軟弱者──おっと失礼、氷織殿だけでは心持たないかと」


 ぐぬぬと冷花と氷織の間で見えない火花が散っている。自分に気があるなどとそんなこと微塵も思っていない真白はふふと笑って、二人は仲が良いのねと冷花と氷織を微笑ましそうに見つめていた。


「……真白、お前本気なのか?」


 そんな二人をよそに、銀雪は口を開く。

 主である真白の決めたことであれば従うのが従者の役目であるが、今回ばかりはどうしても賛同することができなかった。あの名残でさえ、考え直した方がよろしいかと…と、苦笑いを浮かべている。


「…銀雪、名残、冷花、氷織。わたくしはね、この国に住む者たちはみな大切な家族だと思っているの。どんなに恐れられていても、それは白の悪魔さんとて例外ではないわ。彼もわたくしの大切な家族なの、手を取り合いたい。お友達になりたい。……そう思うのは、わたくしのわがままかしら…」


 しゅんと肩を落として表情を曇らす真白に、銀雪たちは何も言えなくなった。まさかあの真白が、こんなにも白の悪魔のことを思っていたなんて。いやでもしかし、ここで折れては、民たちやこの雪華の国が危険に曝されてしまうかもしれないのだ。

 慎重に考えて、答えを出すぞと名残と顔を見合わせた銀雪だったが、ここで想定外のことが起きてしまう。

 真白の熱い言葉に真っ先に心打たれた輩が二人ほど出てきてしまったのだ。言わずもなが、変人①②なのだが。


「我が君…!一生ついていきます…!貴女様の命であれば、私も白の悪魔とお友達になりますとも!ええ!」

「貴女様の家族はこの私、氷織と兄上だけで十分なのですよ!…と、言いたいところですが、他ならぬ貴女様のお望みということであれば、私も白の悪魔と友好な関係を築いてみせましょう!」

「本当…!?」

「ちょっと待てそこの真白過激派共ッ!なに丸め込まれてんだ!あの白の悪魔だぞ!? あんなやつ、友達になれるわけッ」


 そこまで言って、銀雪の声がぴたりと止まった。

 悲しそうな目をした真白と目が合ってしまったからだ。なんでお前がそんな顔するんだよ、あの白の悪魔に……なんでだよ……と、底知れぬ怒りを感じた銀雪は、もう勝手にしろよと力なく呟いた。

 あの銀雪が、急に折れたのだ。


「銀雪…?」


 そんな銀雪に名残は違和感を覚えたが、真白の従者である彼が了承したのであれば、自分から言うことは特に何もないと、真白の『白の悪魔友達計画』を正式に進めることにしたのだった。

 それが、更なる騒動の幕開けとも知らずに───

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