第2話 アオの少女
「あなたを視界に捉えたとたん、この体の脳の副腎髄質からノルアドレナリンが分泌されて大脳皮質の『風野透』という言葉と結びついた。だからあなたは風野透くん。間違ってないでしょ?」
なんだよ、これ。
明らかに彼女は茜じゃない。
そもそも、こんなに難しい言葉なんて聞いたことがない。
だから僕は大声で叫びたかった。お前は誰なんだ――と。
「そしてこの体は夕陽崎茜。大脳皮質の一番深いところにその単語が刻まれている」
そう言いながら彼女は茜の体を見回している。
全く掴めない状況、茜の中にいる得体の知れない存在、訊きたいことが山ほどありすぎて言葉が出てこない。
「き、君は……?」
かろうじて口から出たのは、質問とは呼べぬような呟き。
「私は
理解できない。酸素分子が知性を持っている?
やっぱり夢でも見ているんだろうか?
「酸素分子……?」
「そう、酸素分子よ。だから心配しないで、健康には何も害は無いから。ただし、私が中にいる間は彼女のすべてをコントロールさせてもらうけどね」
酸素分子だから人間の体をコントロールできる。理解できそうだけど承服できない怪奇現象だ。
すると目の前の少女は伏せ目がちにふっと溜息をついた。
「やっぱり疲れるわね。脳内を解析しながら体をコントロールするのは」
少しよろけながら僕に体を預けてきたのだ。
「ちょ、ちょっと……」
「離脱するからちゃんと体を支えていてあげてね」
「いやいや待ってよ。離脱って?」
「文字通り離脱よ。この体から離れるの。いきなり脱力するから気をつけて。ほら、腕でしっかりと彼女の体を支えてあげるの」
強い口調に気圧され、僕は慌てて彼女の背中に手を回す。
何があっても茜が倒れてしまわないように。
「そうそう、そんな風にね。抱きしめる感じで」
幼稚園の頃から見慣れてきた茜の体。だから誰よりも知っていると思っていた。
が、実際に触れてみて驚く。
華奢な肩、甘い香り、そして制服越しでも分かる胸の柔らかさ。幼稚園や小学校の頃からは全く想像できない高校生の茜がそこにいた。身長だって一六◯センチだ。一七◯センチになった僕は、そんな茜のことを何も知らなかった。
「じゃあ、またね」
ドキドキと鼓動が高鳴る僕をよそに、茜の鼻から青い微粒子が放出される。刹那、彼女の全体重が僕の腕にのしかかってきた。
重い。女性に対してこんなことを言うのもなんだけどすごく重い。意識のない人を支えるのってこんなにも大変なものとは思わなかった。
「うーん……」
倒れないようにとぎゅっと抱きしめた瞬間、茜が意識を取り戻す。
「えっ、ええっ!? ちょっと何やってんのよ。エッチ! 透のバカっ!」
い、いや、これはアオというやつに命令されたからやってるだけで……。
というか僕は何も悪くないだろ? 逆に感謝して欲しいと思いながら背中に回した手の力を緩める。
その隙を見逃さず、茜は僕の手を振りほどいた。
「今はダメ。もっとロマンチックな時だったらいいけど……って、あれ? 青い光が消えてる……」
溜池を見るとすでに光は失われている。
アオもどこかに行ってしまったようだ。
知性を持つ酸素分子、アオ。
そんなものが存在するなんて誰が信じるだろうか。
今さっきこの場所で起きたことを、僕は茜に話せずにいた。
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