魔女っ子居酒屋24時

蒼機 純

第1話 魔女と豚汁

「・・・・・・」

 営業先への資料をまとめ終わった私は目頭を押さえて息を吐いた。

 PCの電源を落とし、私しかいない営業部を見渡す。

 残業を少なくしていこう! 効率化大事! 君ならできる!

 笑顔で圧をかけてくる上司からの指示で営業部全体の残業は削減できたが、そのしわ寄せは全てに私に回ってきている。ここ最近はほぼ毎日、家に着くのは24時越え。

 今年で34歳。役職は課長代理という名の中間管理職。休日は大抵猫の動画を見て過ごしてしまうが、疲れは溜まる一方だ。

「もう少し頑張らないとな」

 退勤手続きを行い、施錠して会社を出る。

「っ!」

 冷たい夜風が体を打ち、思わず身震いしてしまう。

 季節は1月。冬真っ只中だ。雪は降っていないものの気温は氷点下だろう。

「・・・・・・少し腹が減ったなぁ」

 口から吐く息が白く昇る。この時間から帰宅して自炊する体力はない。かといってもうこの時間では飲食店も期待できないだろう。

 考えたのは一瞬。自然と足はいつもの道への向かう。

 すれ違う人はベロベロに酔っ払った人や、私と同じく残業を終えて帰宅中のサラリーマンが多い。中には毎回に見る顔をあって互いに苦笑して会釈することもある。

 煌々と明るい光を放つ行きつけのコンビニが見え、私は今夜の夕餉を思い浮かべる。一先ずこの空腹が満たせればいい。

「栄養ドリンクはあるし、菓子パンを買って・・・・・・ん?」

 足を止め、私の視線はコンビニの反対に立つ1件の建物に釘付けになった。

「居酒屋か? でもあんな場所に居酒屋なんてあったかな?」

 ここら辺一体はオフィス街で、そこそこ飲食店は多い方だ。だがそれでもこんな深夜まで空いている店はあんまり見かけない。

 高層ビルに挟まれる形で立つそのお店。暖かな光が引き戸から漏れ、近づくと暖簾が揺れている。暖簾には達筆な字体で『魔女の居酒屋』と書かれていることに気づく。それに何だろう。凄くいい匂いがする。

 ・・・・・・店名あやしすぎだろ。そっち系のお店か?

 チラっと周囲を確認するが、私の他に通行人はいないようだ。

 あやしいものには手を出さない。手を出すからには下調べが済んでから。これは私が先輩から教えて貰った心得だ。

 引き返すべきだ。コンビニに向かい、おでんを買うべきだ。明日も早い。早く寝なければいけない。明日も仕事。早く帰るべき。

 色々な考えが過り、ただ腕は吸い込まれるように引き戸へと向かう。

「・・・・・・え?」

 引き戸を引き、私は店内に一歩足を踏み入れて硬直した。店内は営業の接待で使うような小料理屋風の店内。木造のカウンターに席数も4~6人分ぐらいだろうか。優しい照明が柔らかい雰囲気を出している。

 ただ私の思考を硬直させたのは厨房にいる人物があまりにも突飛な格好をし、私を見ていたからだ。

 くりっとした紫色の眼。ショートボブの黒髪。幼いものの整った顔立ち。年は14~16歳ぐらいだろうか。店主の娘、と言われれば信じるかも知れない。

 でもそれはない、と私は思ってしまう。だってこの少女の姿はいわゆる魔女そのもので、滲み出る雰囲気が少女のそれではなかったからだ。

「あ。貴方、お客ね! 座って座って! ようやくカモがーーーーおほん。お客様が来た! 今夜は冷えるでしょ。はい、おしぼり」

「あ、あのーーーーあったかい」

 少女の圧に負けて私はカウンターに座る。差し出されたおしぼりはじんわりと熱を帯び、握っていると指先が温かくなっていく。

 私はふと顔を上げると少女と目線があった。少し気恥ずかしくなり、咳払いをする。

「店主は君なのか?」

「そうよ。ここが私の工房。現代を生きる大魔女アウラ・G・デニラ。またの名前を星海の魔女とは私のことよっ! ゆっくりしていきなさい」

「そうか。私も若い頃はそういう妄想をしたことがあったよ。で? 店主はどこだい? メニューをいただきたい」

 微笑ましいな、と思うあたり私も年を取ったのかもしれない。いや、まだまだ心は若くなければいけない。

 だが少女は私の言葉が不服だったのか頬をパンパンに膨らませて抗議してくる。

「だから。店主はわ、た、し! 私よ、全く! 貴方、女を見た目で判断していると痛い目見るわよ? 全く私の機嫌が良くなければリヴァイアサンの鱗を口に放り混んでいる所よ」

 少女はローブの袖を捲り、手を洗い出す。

「何をしているんだ?」

「手を洗っているのよ」

「手を・・・・・・本当に君が。いや、貴方が店主なのか?」

 驚く私に少女は唇を真一文字に結び、食材をまな板の上に置いていく。

 じゃがいも。玉葱。ごぼう。豚バラ。ネギ。

「・・・・・・すまなかった。本当に貴方が店主だったのか。だが、私はまだ何も頼んでいないのだが? できればメニュー表をいただけると助かるのだが」

「ないわよ」

「え?」

「この魔女の居酒屋にはメニューはないの。でも、安心しなさいな。私には貴方が食べたい一品が分かるもの」

「そんな滅茶苦茶な」

「あら? 魔女は基本的に自由奔放で、滅茶苦茶なものよ?」

 機嫌良さげに言う少女は手際よく調理を開始し始める。

 私も勝手にことを進める少女に付き合う必要は無く、店を出れば良かったのだが、体が動かなかった。その動きに目を奪われていた。

 本当に魔法使いのようだった。

 じゃがいもとごぼうは自ら皮を剥かれ。玉葱、ネギと共に一口大にカットされていく。ボッ、と何もない宙に茜色の炎が浮かび、少女は鍋に油を引いて食材を炒め始めていく。

 次に薄切りの豚バラ肉を鍋に入れ、ジュワッと店内に心地よい油の音が躍る。

 ごくり、と喉を鳴らす音が聞こえて私は思わず周りを見渡すが、店内に私しか客はいない。

 水を入れ、アクをすくい取り煮だたせていく少女は微笑む。

「いい感じね。えっとマンドラゴラさんは何処かしらっと、いたいた」

 少女は宙に腕を突き入れる。するとどうだ。空間に穴が開き、少女は何かを取り出して、目にもとまらない早さで細切れにして鍋に入れる。

 気のせいだろうか? 何か悲鳴を上げそうな表情をした何かに見えたが幻覚だろうか?

 味噌を溶かし、最後になんとバターを鍋に入れてかき混ぜていく。

 お椀に注ぎ、私の前に出されたのは一杯の豚汁と白米のおにぎり。

「豚汁・・・・・・これが私の食べたい一品?」

「そうよ」

 自信満々な少女の表情に私は言葉を失い、豚汁を見下ろす。正直なことを言えば口の中の涎が止まらない。鼻を擽る味噌の風味。汁に浮かぶ豚とバターの脂。根菜類も柔らかそうだ。

 ちらりと少女を見る。少女は腕を組み、頷く。

「・・・・・・いただきます」

 お椀を持ち、汁を飲む。口から胃に熱が落ちていく。火傷しそうな熱が冷えた体を巡っていく。旨い。本当に旨い。バターの風味が特にいい。

 玉葱は甘く。じゃがいもはほろほろと口の中で砕けていく。

 白米のおにぎりを一口囓り、再び汁を啜る。

 気がつけば夢中で食べていた。こんなに夢中で夕餉を取ったのはいつ以来だろうか? 食べ終わったときには額に微かに汗が滲んでいた。

「・・・・・・ごちそうさまでした」

「ふふ。ご満足いただけたようね。お代は500円丁度よ」

「そんなに安くていいのか?」

 財布から千円札を取り出そうとして、私は尋ねてしまう。

「欲しいのお金じゃないからね。私も、貴方も欲しいものが手に入ってWin-Winよ」

「・・・・・・分かった。でも、本当に美味しかったよ」

 私の一言に少女はにんまり笑う。

 帰り支度をして、店を出る間際声が届いた。

「また元気を出したいときに来なさいな。魔女の居酒屋はいつでも頑張る人の味方よ」

 びゅう、と夜風が体を打つ。だが寒くはない。むしろ体から元気が湧いて出てくる。

 振り返ると魔女の居酒屋の明かりは優しく闇夜に浮かび上がっていた。

「空腹を満たせればいい、か。これは少し我慢が必要だな」

 苦笑し、私は歩き出す。気のせいかいつもより帰り道が楽しく思えたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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