世界の果てで君を殺す
コール・キャット/Call-Cat
◇世界の果てで君を殺す
‐1‐
「姉さんを殺してほしい」
開口一番、目の前の男はそう言った。金髪碧眼の優男然とした顔つきには似つかわしくないその言葉に、そう告げられた白髪赤眼の男、フェルディナントは表情を一切崩すことなく口を開いた。
「お言葉ですがディートヘルム様」
「ボス、だ」
「……ボス、お言葉ですが理由をお聞きしても?」
表情一変、柔らかな笑みを浮かべていたディートヘルム──現ファミリーの〝ボス〟はフェルディナントの言葉に「それでいい」と満足げに頷きながら問いに答えた。
「姉さんが組織にとって邪魔だからだ。実にシンプルで分かりやすいだろう?」
得意げな笑みを浮かべて言ってのけたディートヘルムにフェルディナントは少し思案するように双眸を伏せ、
「アーデルハイト様は組織のためにご尽力なされたお方です。末端の構成員やカタギの人間にも彼女を慕う者が多い以上、如何に邪魔とはいえ悪手かと」
「だからお前に頼んでるんだよ〝白狼〟。姉さんを慕ってる連中が多いのは充分理解してるさ。だがそんな連中が姉さんを持ち上げて内部抗争なんてことになったりすればたまったもんじゃない。無駄な抗争を姉さん一人の命で防げるんだ、姉さんも死んだ親父も分かってくれるさ」
そう言ってボスは後ろを振り仰ぐ。その視線の先には先日亡くなった彼の父親にして長くに渡り先代のボスを務めてきた男の遺影が物静かにこちらを見下ろしていた。
「やり方は任せる。やってくれるよな?」
「……ご命令とあれば」
畏まった様子で頷くフェルディナントにディートヘルムはにんまりと笑みを浮かべると「話は以上だ」と手の仕草だけで彼に退室を促す。
そんなボスに深々と頭を下げるとフェルディナントはなんら食い下がる様子も見せずに部屋を出て行った。
そんな彼の出て行った扉をしばし見据え、彼の気配が完全に途絶えたのを確信するやディートヘルムは今まで沈黙を保ち続けていた側近に言葉を投げかけた。
「……〝荒鷲〟に奴を監視するように伝えておけ」
「ハッ」
側近がそれに一言で応じ、足音も無く部屋を去っていった。
部屋にはただ一人、傍観するだけの男がふんぞりかえるだけとなった。
‐2‐
「アーデルハイト様、少々宜しいでしょうか」
ボスの指令を受けたフェルディナントは寄り道をするでもなく、真っ直ぐに標的である人物──アーデルハイトの元に足を運んでいた。
実姉のことを疎ましく思っているディートヘルムもさすがに彼女を監視下に置いておく程度の判断力は持ち合わせているらしく、組織のトップが代替わりした今も彼女は先代に与えられた自室に居を構えていた。
「フェルディナントね。どうぞ、鍵はかかってないわ」
「……失礼します」
室内からの不用心な言葉にフェルディナントは一瞬間を置くと一言だけ添えてドアを開いた。
質素な家具、学術書や実用書、何やら大量の数字が並んだファイルが並んだ書棚、眼下の街並みを望める窓には鉄格子が嵌められた部屋である。それはまるでそこに佇む鳥を囲う鳥かごのようであった。そしてその鳥はそんな窓辺に寄り添うようにして置かれた机の上の、恐らく今の今まで読み耽っていたのだろう、栞の挟み込まれた一冊の書物を名残惜しそうに一撫でしながら、客人を迎え入れるように佇んでいた。
アーデルハイト。ディートヘルムの姉にして、実の弟に命を狙われている人。
「さすがに不用心すぎますよ、アーデルハイト様」
「大丈夫よ」
諫めるように放った言葉に短くアーデルハイトは返すと、さらに一言だけ付け加えた。
「だから貴方が来たんでしょう?」
それは何かを確信し、糺すための言葉であった。
まっすぐにこちらを見据える瞳は、例えるならディートヘルムが底知れぬ水底のような瞳なのに対し、澄み切った晴天のように、どこか眩い光を湛えていた。
そんな彼女の問いにフェルディナントは参ったと言わんばかりに肩を竦める。
ボスが、そして彼の側についている幹部の多くが疎ましく思っている才女の冴えは先代亡き今も衰えてはいないようだ。
「抵抗はなさらないのですね」
「無駄な血は流したくないもの。少なくとも、その点においては弟も一緒でしょう」
「えぇ、その点においてはボスも同じお考えです」
「ならよかった。素敵なデートを期待してもいいのかしら?」
どこか達観したような、それでいて子供じみた悪戯な笑みを浮かべるアーデルハイトには微塵も恐怖の色は窺えない。
そんな彼女につられるように、フェルディナントは微笑を浮かべながら応じる。
「勿論ですとも。明日の朝、出立と致しましょう。宜しいですか?」
「わたしは構わないけれど……いいの? 気が変わるかもしれないわよ?」
「そういう方ではないのは充分承知してますから。それに、女性は準備に時間がかかるものでしょう?」
「そうね。ありがとう。じゃあ楽しみにしてるわね」
「えぇ。では本日はこれで失礼致します」
どこか愉快そうなアーデルハイトに一礼してフェルディナントは彼女の部屋を後にする。
彼女のあの様子であれば四六時中監視をするほどではないし、他の構成員が早まった行動に移ることもないだろう。
「さて、しっかり用意をしておかないとな。──それで、いい加減出てきたらどうだ?」
「おっと。気付いてたのか。さすが〝白狼〟、鼻が利くことで」
アーデルハイトの元を離れ、彼女に声が聞こえない距離まで歩いたところでフェルディナントは暗闇に向かって言葉を投げかけた。するとくつくつと卑しい笑みを浮かべながら一人の男が音もなく姿を現した。
「〝荒鷲〟」
「おいおい、そんな怖い顔すんなよ、お互い先代にゃ世話になった仲じゃねーか」
そう言って気安くこちらの肩に腕を回してこようとする〝荒鷲〟をひょいっとかわしながらフェルディナントは鋭い視線を向けたまま言葉を返す。
「アーデルハイト様には一切関わるな。この件についてはボス直々の命令だ」
「まったく、取り付く島もないな。安心しな、デートの邪魔をするほど野暮じゃねーさ。ただ一つだけお前さんに聞いときたいことがあるだけさ」
そう言ってやれやれと肩を竦める〝荒鷲〟に顔をしかめながら、「聞きたいこと?」とフェルディナントは先を促した。
そんな彼に〝荒鷲〟は嗜虐的な笑みを浮かべて問いかけた。
「世話になった先代の娘を殺す気分はどうよ?」
「別に。ボスの命令とあれば実行するだけだ」
「へっ。模範的だねぇ。まっ、そういうことならこれ以上は何も言わねーよ、じゃあな」
それだけ告げるとひらひらと腕を振りながら去っていく〝荒鷲〟の背中を見据えながら、フェルディナントは一人何かを問い質すように空を見上げるのだった。
‐3‐
翌朝。普段と変わらぬ格好をしたフェルディナントはアーデルハイトの元を訪れていた。
「おはようございます、アーデルハイト様」
しかし部屋の中からは聞き慣れた声が返ってこない。不思議に思いフェルディナントは改めてノックをし部屋の主に呼びかける。
「アーデルハイト様。おいでですか?」
それでも返事はない。昨日の彼女の様子からして人目を忍んで部屋を抜け出すようなことはしないことを重々理解しているフェルディナントは自分達の会話を盗み聞きしていた男のことを思い出してわずかに表情を曇らせた。
「アーデルハイト様、失礼します」
最後に一言だけ室内に向かって呼びかけつつ、フェルディナントは懐にしまったナイフをいつでも取り出せるようにしてそっとドアを押し開けた。
「…………」
息を殺し、足音を立てぬように踏み込む。部屋は特に荒らされた形跡はない。昨日訪れた時の記憶のままだ。そして、記憶を頼りにアーデルハイトのベッドに近付いていく。そこには──
「すぅ。すぅ……」
──規則的な寝息をたて、心地良さそうに寝ているアーデルハイトの姿があった。
そのあまりにも無防備な姿にフェルディナントは毒気を抜かれ思わずため息を吐いてしまった。
「……? んぅ? ……っ! ふぇ、フェルディナント!? な、なんで!?」
それでアーデルハイトも人の気配を感じ取ったのか、もぞもぞと顔を上げるとこちらの存在に気付いたらしい。一瞬で顔を赤らめるとバッと布団の中に身を隠してしまった。
「お休み中すみません、お声掛けしたところ返事がなかったもので」
「そ、そう。それは……わたしが悪かったですわね、ごめんなさい」
「いえ。それでは、私は部屋の外で待っていますので」
「え、えぇ。すぐ着替えるわね」
布団越しの声に頷き返しながらフェルディナントは部屋を出る。扉越しにアーデルハイトがベッドから起き上がる音と、微かに続く衣擦れの音。
そうして待つこと数分。恥ずかしさもだいぶ引いたのか、いつもの顔色に戻ったアーデルハイトが部屋から出てきた。そんな彼女に向かってフェルディナントは頭を垂れる。
「では、向かいましょうか」
そう言って彼女に歩幅を合わせるようにして歩き出す。
外はまだうっすらと暗く、道行く人々の姿はまばらだった。とはいえ、もうじきそれも活気に満ちていくだろうが。
「それで、今日はどこに連れて行ってくれるのかしら?」
「少し遠くへ行こうかと。なのでまずは駅に向かいます」
「そうなのね。ちなみに行き先って」
「それは着いてからのお楽しみ、ということで」
アーデルハイトの言葉に被せるようにして返すフェルディナント。そんな彼の言葉を受けアーデルハイトは「それもそうね」と微笑んだ。
「列車に乗るのも久しぶりだし、なんだか楽しみだわ」
「そういえばアーデルハイト様達は移動の際は車でしたね」
「そうね。まぁ、ファミリーのことを考えれば仕方のないことなのだけれど。そう考えるとこうやって過ごすことが出来るのも悪くないわね」
屈託ない笑みを浮かべながら言うアーデルハイトにつられて口の端を緩めながらフェルディナントは色々な話に花を咲かせた。
先代──アーデルハイトの父が生きていた頃のこと。
アーデルハイトやディートヘルムの前では厳格な父親であったようだが、自分達部下の前では幾度となく二人の自慢話を聞かされたこと。
そういえば、と自分がアーデルハイト達に紹介された時はその厳格な父親としての姿を初めて目にして困惑していたこと。
先代についてお互いに知っていることや知らなかったことを語り合ってはその姿のギャップに驚き、あるいは納得しているうちに気付けば目的地である駅に辿り着いていた。
「さて。時刻は……うん、丁度良いですね。行きましょうアーデルハイト様。こちらです」
「え?」
構内を突き進むフェルディナントについていきながらその足の向かう先を見たアーデルハイトが意表を突かれたような声を漏らした。
「え? ねぇ、フェルディナント。これって……」
「おや、お気付きになられましたか」
驚きを隠せないのか、わなわなと震える指先を眼前のそれに突き付けながらフェルディナントに視線を向けるアーデルハイト。そんな彼女とは対照的にフェルディナントは落ち着いた物腰で微笑みかける。
「少し遠くへ、とお伝えしましたよね?」
「いやいやいや、でも、これは、これって……嘘でしょ!?」
「アーデルハイト様、あまり大声を出されますと他のお客様の迷惑になりますよ」
いつもは理知的で落ち着きはらった姿ばかりを見せていたアーデルハイトが慌てふためいているのを見てフェルディナントは微笑んだまま「しー」っと指先を自分の口元にあてがう。それでもアーデルハイトは信じがたい事実を叫ばずにはいられないらしかった。
「だってこれ──国外行きじゃない!」
そう。今彼女の前に聳える列車は国外行きの列車であった。
光沢の美しい黒い車体に走る黄金のライン。
早朝の冷たい空気にまるで葉巻をくゆらせるかのように吹き上がる煙。
大陸中を横断する列車が、その威容をもってアーデルハイトの言葉を受け止めていた。
見上げる自分達の顔を映すほどによく磨き上げられた車体を一瞥して、フェルディナントはアーデルハイトの悲鳴など素知らぬ様子で手を差し伸べた。
「どうぞ、お手を」
「え、えぇー……」
まだ納得はいかないものの、発車が近付いていることを知らせる汽笛の音にアーデルハイトは意を決したように差し伸べられた手を取った。
その手を強く握ってフェルディナントは彼女を車内に引き込む。そうして車内を進んでいき、個室の一つに腰を落ち着けていく。
それと同時にもう一度汽笛が鳴り響き、重い車輪が揺れ動く。
ゆるりゆるりと窓の外に広がる景色が構内から街の風景へ、速度が上がっていくのに合わせて流れるように街を出て、やがてその速さを感じさせないのどかな田園地帯へと移り変わっていったところでようやく落ち着きを取り戻したのか、「ふぅ」と小さく溜息を吐きながらアーデルハイトが口を開いた。
「どうりで家を出るのが早かったわけね。でもいいの? ディートヘルムがこんなことを許可するとは思えないけれど」
「この件に関しては全て私に一任されてますから。それに、組織にはあまり迷惑をかけないよう金銭は私の方で工面してますので」
「そ、そうなの……そういえばあなたの私生活って全然想像出来ないわね。あまり散財するタイプにも思えないし」
「まぁ、最低限必要なものしか買わないので」
「よね。なんだかそんな感じだもの。趣味とかもなさそうだし」
「ただ、そのおかげでこうしていられるので悪くはなかったなと私は思っています」
「そ、そう……」
何故か頬を赤らめ外の景色に顔ごと視線を移したアーデルハイトを眺めていると不意に個室のドアがノックされた。
見るとそこには制服に身を包んだ車掌が制帽に手をあてがうようなポーズで立っていた。
「切符を拝見いたします」
「あっ、は、はい。──って、フェルディナント!?」
「アーデルハイト様はそのままそこに!」
車掌の言葉に顔を窓の外から車内に戻したアーデルハイトの目と鼻の先、いつの間に立ち上がっていたのか、フェルディナントが車掌の腹に鋭い蹴りを放っていた。
そしてそのままの勢いで個室を飛び出すとピシャリと扉を閉ざす。
閉ざして、その手に握りしめたナイフを──アーデルハイトには見えてなかっただろうが、車掌が袖口から抜き出したそれを──なんの躊躇いもなくその胸に投げ返す。短い呻き声と共に車掌が二度と目覚めない夢に旅立ったのを冷徹な眼差しで見届ける。
「さすが《白狼》。見事なお手並みだ」
「……お前達が未熟すぎるんだ。下手な変装もそうだが殺意ぐらいは隠せ」
パチパチと軽い拍手の音と共に投げかけられた軽々しい称賛にフェルディナントは冷徹に冷える瞳をそのままに声の主へと視線を向けた。
〝荒鷲〟。
昨夜自分達の話を盗み聞いていた男がその背に数人の構成員を引き連れて嘲笑にも似た笑みを浮かべて立っていた。
「ご忠告どうも。しっかり部下にも言い聞かせておこう。──お前達を始末した後にな」
「馬鹿なことを。この件に関してはボス直々の命令だと伝えたはずだが?」
眼前の〝荒鷲〟へと言葉を投げかけつつ、その意識は鋭く周囲へと向いていく。
足音は最小限に殺しているようだが、自分を挟み込むように後方の車両からも人の接近してくる気配が複数。
〝荒鷲〟とてフェルディナントが何の策もなく言葉を投げかけているわけではないことは理解しているのであろう。理解していて、それでも肉食獣がか弱い獲物に対して見せる傲慢にも似た余裕をもって会話に応じる。
「外行きの列車に乗り込んどいてよく言うぜ。先代への恩か、はたまた色恋沙汰か……まぁどちらにせよボスの期待通りにはなったわけだ」
「……ボスは私も消すつもりなのか?」
「皮肉だよなぁ。先代の頃にゃ重宝されたからこそ〝
組織に貢献した姉に、先代の懐刀。確かに自身が組織のトップになった以上ディートヘルムからしてみれば自分以上の功労者達の存在は疎ましくて仕方ないのであろう。
しかし、そんな利己的な考え方で動いていては多くの構成員を抱える組織の長としてはとてもじゃないが務まるはずがない。
その上でその判断を誰も咎めず、止める様子がないということは──彼を持ち上げている幹部達もその腹によほどのものを抱えているのか。
「まったく、先代が知ったら何とおっしゃるか」
「だったら伝えてみけよ、あの世に行く手伝いぐらいはしてやるぜ!」
「ッ」
それを合図と見たか、後ろからじわじわと接近していた気配が一気に間合いを詰めてきた。そしてそれとほぼ同時、フェルディナントは前方の〝荒鷲〟から視線を外すことなく後方へ肘を叩き込んだ。
「ガッ!」
ノールックによる肘鉄を顔面に受け、接近する自身のスピードを上乗せしたその威力に呻く構成員にフェルディナントは慣れた動きでその胸倉を掴むと立ち位置を入れ替えるように構成員の体を〝荒鷲〟側へと突き飛ばす。
それとほぼ同時にその〝荒鷲〟はといえば背に従えた構成員達と共に銃の引き金を引いたところであった。サイレンサーによって発砲音が抑えられた弾雨が突き飛ばされた構成員の体に降り注ぐ。
「死ねや! ──っ!?」
そんな前方の光景には一瞥もくれず、フェルディナントは入れ替わった勢いをそのままに怒号を上げる構成員の腕をその手に握られた拳銃ごと蹴り上げる。
その流れるような動作に反応出来ず、蹴り上げられた痛みから反射的に銃を手放してしまった構成員の無様をフェルディナントは笑わない。そんな余裕をかます暇があるのならその余裕をより効率良く敵の殲滅に回していく。そんなどこか機械じみた冷徹さこそが彼の〝白狼〟たる所以であり、彼の恩人たる先代から授かった生きる術である。
フェルディナントは銃を手放した構成員にまるで握手をするかのようにその手を掴むや、相手の腕に自らの腕を添えるように身を翻し、決して軽くはないその構成員の体を背負うようにして軽々と床に投げつけた。そうしながら、もう片方の腕で落下の途上にあった銃を掴み取るなり床に向かって引き金を引く。
眉間と胸。自らの銃で両の急所を撃ち抜かれた構成員は床に叩きつけられた痛みに呻く猶予さえも与えられず絶命する。
「殺す、と決めたなら言葉より先に実行に移せ、三流が」
わずか数秒。たった数秒で二人の構成員を死に追いやり、その間一言も発さなかったフェルディナントの一声に、その瞳に見据えられた構成員達が本能的に後ずさった。
そしてその一瞬の隙を見逃すほどフェルディナントも甘くはなく、直後一発の銃声と共に額を撃ち抜かれた死体がまた一つ床に頽れる。
「びびってんじゃねぇ! 一斉にかかれ!」
そんな構成員達を鼓舞するように、あるいは脅すように声を荒げながら〝荒鷲〟が引き金を引く。それをフェルディナントは床に伏せるようにしてかわすと共に車掌に変装していた構成員の胸に刺さったままのナイフを引き抜いて投げ飛ばす。
その投げられたナイフを〝荒鷲〟は首だけを動かしてかわす。本来の標的を仕留め損ねたナイフは彼の背後にいた構成員の喉に深々と突き刺さった。
「ひゅっ、ひゅー……ッ!」
〝荒鷲〟はそんな瀕死の状態にある構成員には目もくれず、その喉を切り裂くような強引さでナイフを抜くや床に伏せるフェルディナント目掛けて投げ返していった。これをフェルディナントは車掌姿の構成員の死体を持ち上げて壁にすることで防ぐ。そして間髪入れずに脇の下から背後に向けた銃の引き金を引く。
「うっ!」
床に伏せた彼の動きについていけなかったのであろう、後方の車両からようやくフェルディナントへと銃の照準を定めた構成員が小さな呻き声を上げて倒れる。
(これで残りは前方の二人だけ)
ちらりと後方車両を一瞥し、確かに残党がいないことを確認してフェルディナントは軽い身のこなしで起き上がる。
無論、その瞬間にも〝荒鷲〟ともう一人の構成員が発砲してきたがそれをフェルディナントは向けられた銃口から射線を予測して最低限の動きだけでかわしていく。
「ちっ、化け物め!」
その光景を目の当たりにして罵声を浴びせつつありったけの弾丸を撃ち込んでいくうちに弾切れになったのか、〝荒鷲〟と共に弾幕を張っていた構成員がマガジンを抜いた。
その瞬間、フェルディナントが真っ直ぐに駆け出す。
「──っ!?」
狙いすましたかのようなその動きに構成員は一拍反応が出遅れる。
だが、出遅れたのはその構成員だけだった。
フェルディナントが駈け出すのとほぼ同時に〝荒鷲〟は同じく弾切れになっていたらしい銃を躊躇いもせずフェルディナント目掛けて投げつけていたのだ。
だがそれはほんの一瞬フェルディナントの視界から彼の姿を隠すだけの役目しか果たせず、軽く首を傾けたフェルディナントの頬を掠めて後部車両へと消えていく。
だが、その一瞬が〝荒鷲〟と構成員の命運を分けることとなった。
「うっ、がぁ!」
〝荒鷲〟は自身が投げつけた銃が稼いだその一瞬の隙に後方へ飛び退り、自分の隣でリロードをしようとしていた構成員の背後に身を隠していた。
それによりフェルディナントはこの好機に対して構成員を仕留めることしか叶わない。どころか端から部下を切り捨てるつもりであったらしい〝荒鷲〟がフェルディナントに向かって構成員の背を蹴飛ばしていたためにこれを真っ向から受け止める形になってしまった。
自らが仕留めた最後の構成員の体を衝突した際の衝撃すら利用して自分ごと回転するようにして突き放しつつフェルディナントは大きく後方へと飛び退る。
「ほぉ。そいつをかわそうもんなら仕留められたんだがなぁ。やるじゃねぇか」
「これぐらい判断出来ないとアーデルハイト様を守れないからな。お前の動きだってそうだろ?」
「あー、そりゃあまぁ、な。全く、先代に学んだ者同士だと面倒だな」
先程の攻防、フェルディナントは弾幕をかわしながら〝荒鷲〟と構成員の持つ銃の残弾数をカウントしていた。そうして二人の残弾数が同時にゼロになったのを見計らって距離を詰めたのだ。そんな彼に対してほぼ同時に身を守るための動きを取れた〝荒鷲〟の方も残弾数を正確に把握していたに違いない。
それこそ、〝荒鷲〟が言葉にした通り先代から戦う術を教わった者同士にしか理解出来ない領域だからこそ起きた命のやり取りであった。
「……」
「……」
そして互いに睨み合うこと数秒。先に動いたのは〝荒鷲〟だった。ただし──
「あー、やめだやめだ、バカバカしい」
──拳ではなく、言葉であった。
〝荒鷲〟は自分達の周りを仰々しく見渡しながら、されどフェルディナントがとびかかってきた場合にはすぐにでも対処出来るように警戒は緩めずに続ける。
「テメェを相手取るのは面倒がすぎる。だから交渉といこうじゃねぇか〝白狼〟」
「交渉だと?」
先に仕掛けておきながらどの口で言うのだか。そんな風に返したフェルディナントであったのだが、〝荒鷲〟にはその意図が伝わらなかったか、はたまた気付いていてあえて無視を決め込んでいるのか「おうよ」と頷きながら
「あくまでボスからの命令はお嬢の始末だ。お前はおまけでしかねぇ。だから」
「断る」
〝荒鷲〟の言葉に食い気味に返すと同時、フェルディナントは〝荒鷲〟が瞬きをしたその瞬間に距離を詰めた。一見すると拳を握りもしない、掌をそのまま押し当てるかのような突きを〝荒鷲〟は本能レベルに刷り込まれた体捌きで受け流すと同時、フェルディナントの下腹部へと勢いよく足を蹴り上げる。だが振り上げようとしたその足は同時に突き出されたフェルディナントの靴底に抑え込まれて動かない。どころかフェルディナントは〝荒鷲〟の足を踏み砕く勢いで全体重を乗せたスタンピングを放っていた。
「甘ェ!」
だがそこに想像した手応えはない。〝荒鷲〟は自らの足に加えられたフェルディナントの一撃を利用して跳ねるように飛び上がっていた。そのまま宙返りの要領で回転しながらフェルディナントの頭部目掛けて踵を振り下ろしにかかる。
「ッ!」
それに気付くのがわずかに遅れるもフェルディナントは両腕をクロスさせることでかろうじて致命傷となる一撃を防いでみせる。だがそれによって咄嗟に両腕が使えなくなった彼に〝荒鷲〟は受け止められた足を軸にするとまるで振り子のような軌道を描きながら膝蹴りをフェルディナントの胸部へと叩き込んだ。
「ゥ……ッ!」
その衝撃で吹き飛ばされた──否、その衝撃を利用して距離を取ったフェルディナントに〝荒鷲〟は疑問の眼差しと共に言葉を投げかける。
「……何故だ?」
投げかけられた疑問には答えず、フェルディナントは真っ向から突っ込んでいく。それを迎え撃とうと構えた〝荒鷲〟にこれもまた正面から拳を放つ。その真っ直ぐすぎる拳は当然の如く弾かれる。いや、弾かせた。
「ヲッ!?」
彼の腕を弾いた〝荒鷲〟自身の腕で生じたほんのわずかな死角、その僅かな死角からフェルディナントは突き刺すような蹴りを〝荒鷲〟の鳩尾へと見舞う。
その確かな手応えにフェルディナントは満足しない。むしろ容赦なく、間断なく追撃を仕掛けていく。そしてその脅威に晒されている〝荒鷲〟自身、彼がそうするであろうこと、それが自分の立場であったなら間違いなくそうするであろうことは理解していた。胸を突き刺すような痛みに歯を食いしばりながら追撃の手をいなしていく。
一手。二手。三手。四、五、六……十……二十……もはや常人には数えきれない応酬を繰り広げていくが、それも長くは続かなかった。
「チィッ!」
「ッ」
フェルディナントの拳をいなそうとした腕が直下からの蹴り上げに対応出来ずに鈍い音と共にだらりと垂れる。
後退しようとした瞬間、爪先を杭の如き勢いでフェルディナントの足が穿つ。
足を穿たれ逃げ場を失ったその肩を鷲掴みにした腕が力任せに関節を外しにかかる。
苦し紛れに反撃を試みるも放った頭突きは空を切る。その側頭部に裏拳が突き刺さる。
「──ッァ、ゴッ、ァ……ゲェッ!」
腹に鋭い蹴り。もはやろくに受け身を取ることも出来ない〝荒鷲〟は背中を激しく打ち付け、その激痛に血の混ざった吐しゃ物を吐き散らした。
「ハッ、ハッ……ハァッ!」
その姿はもはや敵ではなく狩られる獲物であった。その獲物の息の根を止めるべく、足元に転がっていた銃を拾い上げ残弾数を確認するフェルディナントへと〝荒鷲〟がほくそ笑む。
「ヘッ、容赦、ねぇーな〝白狼〟ォ! そんなに大事か、お嬢がよォ」
返答は無い。それでも〝荒鷲〟は嘲笑の混じった言葉を止めることはしない。
もはやそれだけが彼に出来る唯一の反撃なのだろう。
そう割り切ってフェルディナントは銃の装填を終えていく。
「ハ、ハハッ。情に、絆されやがって。見損なったぜ、〝白狼〟」
「一つ訂正しておくが」
「アァ?」
銃口を向けながらフェルディナントが口を開く。まさか反応があるとは思いもしなかった〝荒鷲〟は、だからこそ最期のその瞬間、その言葉の意味を測り損ねた。
「アーデルハイト様はこの手で殺す」
‐4‐
〝荒鷲〟との交戦から数刻。フェルディナント達は別の車両に乗り換えて国外に向かっていた。
追手は〝荒鷲〟だけとは限らない。自分達の動向がバレていた以上どこまであの列車が安全か分からないというのもあったし、なにより──命を狙われていたとはいえ彼らは組織の人間だ。アーデルハイトならば良心の呵責に苦しむことだろう。そんな背負う必要のない罪悪感を彼女に背負わせるのは望ましくなかった。
「すぅー、すぅー……」
不意に聞こえてきた寝息に視線を向ければそこには安らかな表情で眠っているアーデルハイトの姿がある。
ほんの数分前までは気を紛らせようと外の景色を眺めていた彼女だが、彼女なりにずっと気を張り詰めていたのだろう。フェルディナントはその安心しきった寝顔を見つめながら物思いに耽る。
──『アーデルハイト様はこの手で殺す』──
〝荒鷲〟に告げたその言葉に嘘はない。相手が誰であろうと、受けた命令は遂行する。
それが先代に拾われた自分が心に誓った生き方であるのだから。
‐5‐
遠い遠い異国の地。
この世の果てと称される島国の、その片田舎。
一人の老婆が永い眠りにつこうとしていた。
その傍らには一人の老人。年のせいだけではない、生まれもった白い髪に赤い瞳を持つ、目鼻立ちの整った男だった。
「ねぇ、フェルディナント」
「なんでしょう、アーデルハイト様」
フェルディナント──そう呼ばれた老人は優しい声音でベッドに横たわる老婆──アーデルハイトに話しかける。
その声音にアーデルハイトはどこかくすぐったそうに口元を綻ばせると、どこか悪戯を仕掛ける子供のような無邪気さで問いかけた。
「あの日。貴方はわたしをいつでも殺せたはずでしょう? なぜ、そうしなかったの?」
「今も殺すつもりでいますよ。そういう命令ですから。なにせ──」
その問いにフェルディナントは間髪入れずに言葉を発する。まるでその問いかけへの答えをずっと用意していたかのように、本当に即答であった。
「──貴女の殺し方については一任されているので。貴女がどういう最期を迎えるのかは私次第というわけです」
言って、フェルディナントは滔々と語り始める。その言葉をまるで子守唄でも聞いているかのような穏やかさで、アーデルハイトは静かに聞き入る。
「貴女の最期には静かな場所こそが相応しい
どこまでも広がる空のもとこと相応しい。
草花が揺れる音が聞こえるほど穏やかな場所こそ相応しい。
心優しい隣人に恵まれた場所こそ相応しい。
柔らかで暖かなベッドの上こそ相応しい。
貴女の死を悼む者に看取られながら……
笑いながら貴女は息を引き取る。
そんな──そんな最期こそが、貴女の最後に相応しい」
「ふふっ。わたしのことを悼んでくれるのね?」
ずっと耳を傾けていたアーデルハイトがくすりと微笑むのにつられながらフェルディナントが頷く。頷くだけでは足りないと思いなおし、さらに言葉を重ねる。
「勿論ですとも」
その言葉をしばし噛みしめて、アーデルハイトは「嬉しいわ」と返した。返して、それ以上の言葉は続かない。
まるで寝入っているかのように安らかなその表情を見つめながら、フェルディナントはずっと握りしめていた彼女の手を名残惜しそうに離していく。
何も言わず、彼女から背中を向けながら、フェルディナントはここ数十年久しく吸っていなかった煙草を取り出した。吸って、あまりの不味さに顔を歪ませる。
「あぁ、不味いな」
言い聞かせるように言葉にし、そそくさと火を消しながらフェルディナントは言う。
「不味すぎて涙が止まらない」
その涙交じりの強がりを聞く者は、もういない。
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