2日目

 太郎が目を覚ますと、眼前には乙姫の顔があった。

「お目覚めですか、太郎様」

「んん……おはよう……、あれ……?」

 記憶がはっきりしない。自分は何をしていただろうか。

「昨日の宴はいかがでしたか?大変お疲れのようで、途中で眠られてしまったようですが」

 そう、確か子供にいじめられていた亀を助けて、そうしたら竜宮城に案内されて、そして宴が催されて、振舞われた料理と酒、たいひらめの舞に、美人の乙姫の酌までついて、ついつい浮かれ—――

「すみません。ご迷惑をおかけしました」

「とんでもございません。ゆっくりしていってください。この程度では、亀を助けていただいたご恩をお返しすることはできません。もう夕刻です。もう一晩お泊りください」

「そんな大したことでは……。夕刻?そんなに寝ていたのですか」

 太郎は昨夜からずっと、夕方まで眠り続けていたことに驚いた。

「大変お疲れなのでしょう。ささ、宴の準備を致します。どうぞごゆるりと」

 そう言って、乙姫は宴の準備に向かっていった。



       *   *   *



 遡ること、数時間前—――

すずきの献身により、太郎様には大変ご満足いただけました。たいひらめもご苦労様でした。見事な舞でしたよ」

 乙姫に召集された海の生き物たちは、皆緊張の面持ちのまま、彼らの女帝の話を黙して聞いていた。

 次に彼女が語る言葉は何であろうか。

 何を言われる?

 何を命じられる?

 そんなことばかりを考えてしまい、気が気ではなかった。

「ありがとうございます、乙姫様」

「日々練習していた成果でございます」

 その中でも比較的表情穏やかなのは、乙姫から賛辞を受けた鯛と鮃であった。

 いわゆる特別な技能を持っている、替えが利きにくい存在である彼らは、可能性が低いこともあり、他よりも心穏やかにいられたのだ。

 一方で、一番緊張しているのは竜宮城で雑事をこなす面々だ。掃除や力仕事を担っている面々は、気が気でない。いつ自分の番が回って来るのか。目が合ったら「お前に決めた」と言われるのではないか。そんな考えが頭を満たす。


「さて、今夜の主役ですが—――」


 乙姫の言葉に、全員の緊張が一気に高まる。

 誰だ?俺じゃないよな?私だったらどうしよう。

 怯えが声として出そうになるが、こらえる。少しでも目立つことをして、乙姫の目に留まりたくないからだ。


あじにしましょう」


 視線が一点に集まる。

 そこには、互いに寄り添う鯵の夫婦の姿があった。

 緊張の面持ちから、顔が一気に青ざめる。

「あなた……」

「おまえ……」

 鯵の夫婦は抱き合いながら乙姫の柔和な笑みを受ける。

「さぁ、参りましょう」

 乙姫は鯵に向かって手を差し伸べる。

 ダンスに誘うかのような優雅さだが、示しているのは終焉への片道切符だ。

「おれが、行こう」

 一匹が前に出る。

 妻を庇うように、夫はなけなしの勇気を振り絞った。

「一緒になるときに、言っただろう?ずっと守り続けるって」

「あなた……」

 妻の鯵は夫の言葉を聞いて涙ぐむ。

「乙姫様、おれが行きます。だから妻には—――」


「何を言っているんです?」


 意を決した鯵に対して、乙姫は笑みを崩さずに小首を傾げた。

「来るのはお二方ともですよ?」

「え……」

「そんな……」

 鯵の夫婦は揃って愕然とした。

「え…、だって、……え?」

すずきは体が大きかったから一匹で大丈夫でしたけど、鯵は体が小さいですから、せめて二匹はいないと」


 こうして、鯵の夫婦は揃って乙姫に連れられて、調理場処刑場へ向かった。



(冷たい……)

 鯵の妻は朦朧とする意識の中で、目の前の光景を見ていた。

 凍えるほどに冷えるのは、自分が氷水に漬けられているからだ。

 少しぼやけた視界の先で、乙姫はニコニコ笑いながら、鋭利な刃物を手にしている。

 乙姫の手元には、微動だにしない夫の姿があった。

(あ……なた……)

 垂直に立てた刃物が肌に当てられ、頭の方に動き、鱗をかかれる。

 足元から腹にかけて鋭い刃が入り、せいごが削がれる。

 夫の体がビクンと震えた気がした。

 恐らく、夫も自分と同じように、体が冷え切っているのだろう。痛みを感じているのか、ただの反射なのかわからないが、もしかしたらまだ意識があるのかもしれない。

 乙姫が夫の胸びれを持ち上げた。

 首筋に刃が当てられる。

 ザクッ!

 夫の首が、斬り落とされた。

 衝撃的な光景—――のはずなのに、なぜか感情が動かない。冷え切ったせいで、頭が正常に働いていないのかもしれない。

 胴体の切断面から刃が入り、腹を裂いていく。

 いつも寄り添ってくれた夫の体が、今は中央からゆっくりと二分にぶんされていく。

 刃物でごそっと、中身が掻き出された。

 臓物だ。

 夫の体は綺麗に水で洗われ、再び刃が当てられる。

 何度か刃が往復し、身だけが取り除かれると、最後は恨みを込めているかのように、夫の身をその刃で何度も何度も叩きつけ、細かく寸断していく。

 もう、見る影もない肉塊になり果てたその姿に、夫の面影などなかった。


 乙姫が振り返る。

 鯵の妻の方へ歩み寄り、氷水の中から引き上げる。

 自分も首を落とされ、原形を留めないほどの肉塊になるのだろうか。

 漠然とそう思った時、

 乙姫は鯵の首を摘み、

 一息に、引き千切った。

「ぁ……かひゅ……」

 思わず声が漏れた。いや、ただ口のエラの隙間に入った空気がたまたま声のようになっただけだろう。

 乙姫は引き千切った喉から指を入れて、一気に力を入れ—――

 

 びちびちびち—――


 肉と肉が無理やり引き剝がされる不快な音がして、


 一息に、エラと内臓を引きずり出され、抉り取られた。


 鯵の微かに残っていた意識が、ついに途絶えた。

 


       *   *   *



「今夜は、あじの塩焼きとなめろうです。お酒に合いますよ」

 乙姫は太郎に酌をしながら料理の説明をする。

 太郎は杯を煽り、箸を取ると、塩焼きになった鯵の身を解す。

 つい先ほどまで夫婦で寄り添っていたその体が箸によって解体されていく。


「ん?」

「どうかいたしました?」

「……いや、なんでもないです」


 太郎は一瞬手を止めたが、すぐに塩焼きの身を口に運んだ。



 白く濁った鯵の目が、こちらを見ている気がしたが、気のせいだと思うことにした。

 

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