うらしまたろう

神在月ユウ

1日目

 海の中で生きていくのは厳しい。

 海の生き物たちは、日々そう思って暮らしている。

 海を統べる竜宮城に君臨する乙姫の機嫌を損ねることは、死を意味するからだ。

 誰も彼女には逆らえない。

 彼女の言うことは絶対だ。

 だが、彼女に従えば生きていけるかといえば、それも正しくはない。

 一思いに殺されるか、無惨に苦痛を伴って殺されるか。

 そんな選択を迫られることもあるからだ。


 海の生き物たちは恐れている。

 を。



        *   *   *




 竜宮城にはたくさんの生き物が働いている。

 知恵者の文官である石鯛いしだいたこ、門番を担う荒事担当の虎魚おこぜ、舞踊で乙姫を楽しませるひらめ海月くらげなど、多種多様な生き物たちがいる。

 そんな、いつも通り続くはずだった日常が、今日は少しばかり違っていた。

「あれは…」

 門番をしている虎魚は、厳つい顔に似合わず、ただ言葉を失った。


 亀が、人間を乗せてやってくる。


 それが示す意味を理解し、自分の職務さえ一時忘れ、虎魚はおののいた。

「か、亀よ、そちらの御仁は、ま、まさか、きゃ、客人か?」

「……はい、そうです」

 動揺を隠せず、虎魚が尋ねると、亀は申し訳なさそうに首肯した。


 竜宮城にやってきた人間は、乙姫に礼を言われ、しばらく滞在することになった。何日泊まることになるのかは、はっきりしていない。

 乙姫は終始笑顔で人間―――太郎というらしい男を迎え入れ、好きなだけここにいていいと、歓迎すると、話していた。

 周囲の魚たちは、必死に笑みを浮かべていた。

 そこにいない、竜宮城にいる海の生き物たちは、目に見えて怯えていた。

 

 もう、これまでの日常は崩れ去ってしまうのだと、恐怖に慄いていた。



 その日の夕方、竜宮城の中に詰めている生き物たちが集めれた。

 乙姫の招集令に、一同は緊張の面持ちで待機していた。

「みなさん知っての通り、本日浜でいじめられていた、大変かわいそうな亀を助けた、心優しい人間をこの竜宮に招くという、大変栄誉なこととなりました。実に十年ぶりの吉報であります」

 淡い桃色の羽衣を纏う妙齢の女傑たる乙姫は、この海を統べる権力と実力を備えた、頂点に君臨している存在である。彼女の口にする言葉は全てに優先され、果たさなければならない命題と同義であった。

「名を太郎様とおっしゃいます。皆、をもっておもてなしするように」

 彼女の言葉は誠実なものであったが、聞くものからすれば、それは黄泉からの手招きと同義であった。

 乙姫は歩き出し、海の生き物たちの元へと歩み寄る。

 まるで乙姫の周りに見えない壁があるかのように、集まった者たちの集団が左右に分かれる。乙姫が一歩を踏み出すたびに、道が広がっていく。

 皆一様に目を伏せる。

 目を合わせてはいけない。

 

「あなた」


 乙姫の声に、全員の体が震える。


 声をかけられたのは、大ぶりのすずきだった。

 鱸は細く呼吸をしながら、ゆっくりと左右を見回し、両隣の魚が自分と距離を取っているのに気づく。

 スポットライトに当てられているかのように、ぽつりと自分だけが周囲から取り残され、周りからは恐怖と憐憫の表情が向けられていた。

 ゆっくりと、顔を上げる。

 優雅に佇む乙姫が、にっこりと笑顔を向けている。


「おめでとうございます。今夜の宴の主役はあなたです」


 乙姫は、誇りなさいと、最後に付け加えた。

「…………は、……はい…………」

 青い顔をして、鱸は頷いた。いや、頷く以外に選択肢はなかった。

 


        *   *   *



 太郎は目の前に出された料理と酒に舌鼓を打っていた。

 今日は亀をいじめていた子供たちに釣った魚をあげてしまったせいで、今晩の食事をどうしようかと悩んでいたところだった。だいぶ腹も減っている。

 目の前に並んでいるのは、白身魚の洗いに煮付け、海藻の酢漬けなどなど。特に煮つけがうまい。空腹ということもあり、肉厚の身に濃い目の煮汁が染みた煮付けは箸が止まらない。洗いも身がぷりぷりしていて旨い。酒も進む。

 普段酒など飲まない太郎であったが、乙姫が酌をしてくれることもあり、注がれる度に杯を空け、どんどん気分がよくなっていく。

 料理の席を挟んだ向こうには、たいひらめが舞を見せ、太郎の目を楽しませてくれる。

 乙姫と魚たちのもてなしは最高だった。

「お気に召しましたか?」

「ええ、とてもおいしいです」

 見目麗しい乙姫の問いに、照れと酒のせいで顔を赤くした太郎はにこやかに返す。

「ところで、これは何という魚ですか?」

 太郎の素朴な疑問に、乙姫は太郎に酌をしながら答えた。



すずきでございます」

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