6 イレギュラーな男

 王太子殿下が居なくなっているのを確かめて少しホッとする。

「紹介するわ、友人のヘディ・リール。こちらファッハール王国のナジュド・ブン・イスハーク・アル=イバーディー」

 ミシェルが紹介してくれる。コーデリアはもう知り合いのようだ。


『クレイジーブルー』

 私の顔を見て驚いたように両手を開いた。ブルーって瞳の色の事だろうか。

 この方は日焼けした顔に鼻すじ通ってキリリとした眉と、二重の瞳は深く青い群青色だ。


 リンデン王国と交易もある西の海の対岸の国ファッハール王国の方だという。コーデリアのお兄様と親しいそうでお仕事関係だろうか。二回目の時に外国語もお勉強したので少しはお話ができるかなと思ったのだが。


『私はへディ・リールです。イバーディーさん、ハジメマシテ』

『よろしくへディさん、私のことは名前で呼んでくれていいよ。ナジュドね』

『ナジェドさん?』

『ナジュド』

『ナジュドさん、失礼シマシタ』

 名前を間違えてしまった、恥ずかしいわ。でも、あちらの国は家名とかで呼ぶんじゃなかったかしら。本で勉強するのと実際に話すのは全然違うし、慌ててしどろもどろになってしまった。


「まあ、恥ずかしいこと」

 公爵令嬢はチラリと蔑んだ目をくれて、さっさと行ってしまった。ご一緒に来ている取り巻きの女性もころころと笑って「お似合いですわ」と追いかけて行く。


 また「男と見れば色目を使う」とか「男を惑わせるふしだらな女」という噂が立つのだろうか。

 ぼんやりとそう思っていたら横から「大丈夫ですか?」と声が降って来た。見上げると群青の瞳が見返す。今の言葉はちゃんとこの国の言葉だわ。そうか、この国に来るくらいだし、ちゃんと話せるわよね。私ったら恥ずかしい。

 両手で頬を押さえた。座り込みたい。


「ごめんなさいね」とミシェルとコーデリアが謝って来る。

「え、何が?」

「いや、エドウィン殿下にどうしてもお誘いするように言われて」

「え」

「大丈夫よ、私たちが守ってあげるから」

「最終的には彼が助けてくれるわよ」

「え?」

 守るとか助けるとか何?

「分かった」

「え??」

 何でこの異国の人が請け負うの?

 頬を押さえたまま目を丸くして突っ立った。

 私を中心にして一大陰謀が渦巻いているとか? いやいやいや、ただの男爵家の庶子にそんな事ある訳がない。


 私はジェイラスの時みたいに不埒になっていないか、傲慢になっていないか。

 あの時みたいに酷い噂をされたり、嘘をつかれたらどうしよう。


 私はもうやり直したくないのだけれど。

 でも、私の思いに関係なく予定は消化されて行く。



  * * *


 ボート遊びはコーデリアの商会のお得意様が乗せてくれた。

 ウィンクをして「彼、独身よ」とコーデリアが言ったけれど、どう見ても四十半ばの男だ。


 湖畔の湖は綺麗に澄んでお城が影を落とし、絵のような景色だった。

「いや、まあ妻が亡くなって、子供もひとり立ちして独身のようなものですが」

 男は櫂を握って手堅くボートを漕ぎながらニコニコ笑って説明してくれる。優し気な男だ。きっとお父様が見つけたお金持ちの商会の会頭みたいな人だろう。でも、そうだったらゲームオーバーになるわね。


「君みたいな若い綺麗なお嬢さんがそんな顔をしてはいけないよ」

 私はどんな顔をしていたというのかしら。



 ピクニックは湖が見える高台に行った。

 紅葉の始まった綺麗な景色に目を奪われていたら、いきなり後ろから声をかけられて驚いた。


「君は一度訓練の見学に来たことがあるだろう」

 ジェイラスも来ていたのだ。いや、殿下の護衛だから一緒に来るだろうが。

「はい、ミシェル様とコーデリア様とご一緒に見学いたしました」

「野蛮な所で怖くなったか?」

「いえ、そんな。素晴らしいと思っていますわ」


 騎士団の練習を見るのは楽しかった。ただ……、いや考えるのは止めだ。

「君は早く帰ってしまって、騎士達が残念がっていた。また来てくれるか」

「はあ、えっと、ミシェル様とコーデリア様のご都合がついたら──」

 せっかく考えるのを止めたのに心を抉ってくれる。あんな怖い事はもう絶対にごめんなのだけれど。


 どうやってここから逃げ出そうかと思っていたら、金髪碧眼の王子様が見えた。

「ジェイラス!」

 エドウィン王太子殿下だ。ジェイラスが振り向いて引き下がる。

「これはヘディ嬢。ここに居たのか」

 カーテシーをして挨拶の言葉を述べる。

「はい、エドウィン殿下にはご機嫌麗しく──」

「堅苦しい挨拶はよい。そうだ、君は夏にもここに来たそうだな、この辺りを案内してもらおうか」

 ああ、夏に此処に来たこと知られていたのね。でもどうして私が来なければいけなかったのかしら。ご令嬢をたくさん引き連れていらっしゃっているのに。

「はい」

 殿下が手を差し出す。エスコートする気か。怖い以外の何物でもないが。

 ジェイラスは助ける気はないようだが、私も助けて欲しくない。


 この辺りは夏に来たけれど、秋は空気が澄んで木々は紅葉して湖にお城のような別荘が映って、落ち葉も風情があって素敵だ。

 狼狽える私の手を強引に取ってエスコートするエドウィン殿下は青い瞳を少し眇めて私を見る。

「私は考え違いをしていた」

「はい?」

 思わず顔を見上げる。青い瞳と目が合った。

「君は頭が空っぽの人形のような人かと思っていた」

 いや、この人めちゃイケメンなので見惚れてしまう。さすが王子様だ。

「だがそうじゃないんだな、何にでも一生懸命だ。そのくせ側にいると温かい」


 今日の空のような青い瞳に金のサラサラの髪で肩幅広くて騎士服にレースたっぷりのジャボとクラバット、足がスラリと長くて長いブーツが似合う。その上、その顔でそんな甘い言葉をポンポンと囁かれると、うっかりどこまでも付いて行きそうになる。


「私は側にいて支えてくれる人が必要なんだ」

 あの方が側にいるじゃないの。私を嵌めたあの人が、私を指さして「この女は魅了を使います」と言うのよ。そしたら私の前にハルバードが──。


「君を不幸にするようなことはしないと誓うよ」

 どうしてそんなに甘い事を言うの。ハルバードが追い払われてしまう。

「騎士様みたいですね」

 思わず弾んで言ってしまって、心がひやりとした。バカね私。

「君は騎士がいいのか」

「いいえ」

「君の為ならナイトになっても良いが──」

 いや、だからその甘い言葉は止めて。この人の口から出ると、どんな言葉も甘く聞こえる。拷問のようで砂糖菓子のような時間は、しかし長く続かない。


「殿下、こちらにいらっしゃいましたの」

 まるで本妻に浮気がバレたように身体をびくっとさせてエドウィン殿下の身体が私から離れた。離れた所から熱が逃げて行くよう。代わりに冷気が忍び寄る。

 殿下の護衛の方もちゃんと知らせて下されば……、ああ、今日はジェイラスだったのか。もしかしてわざとだろうか。


 いや、余計な事を考えている場合じゃない。

「失礼いたしますわ」

 殿下に頭を下げてその場を離れる。大丈夫だ、まだゲームオーバーじゃない。


 でも何が大丈夫なんだろう。この先があるのだろうか。終わるならさっさと終わって、そして……、またやり直すのか。

 逃げるようにその場をあとにした。

 私は──。

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