2 瓶底眼鏡でひたすら勉強してみました


 目の前が暗転してしばらくすると周りが明るくなった。目を開くとそこはリンデン王立魔法学園の門の中だった。思わず自分の顔から身体から触りまくる。

 取り敢えず生きているし牢にも入っていないことに少しホッとした。


 恐る恐る周りを見回すと、新入生らしき真新しい制服を着た生徒が、次々に目の前にある立派な建物の中に入って行く。上級生が誘導しているようだ。

 そういえば私も真新しい制服を着ている。今日は入学式の日だろうか。


 今までずっと夢の中に居るようだった。話す人の声も半分も聞こえない、ふわりふわりとした夢の中の住人だった。今は意識がすっきりと明瞭になった感じだ。


 頬に両手を当てる。私、私は誰──。

 名前、私の名前はヘディ・リール。リール男爵の庶子。魔力があったので父が引き取ってこの王立魔法学園に入れられた。貴族の常識なし。知識なし。


 先程のゲームオーバーといい、自分自身の情報といい、私の役は、どう考えてもざまぁされるヒロインのようだが。

(ざまぁとか、ヒロインとか何?)


 入学式なのだ。ホールに行かなくてはならない。しかし走ってはいけない。転んではいけない。誰かと話をしてはいけない。

 それは誰かに口を酸っぱくして言われた事だ。多分リール男爵は王立魔法学園に入学するに当たってへディに付け焼き刃で淑女教育を施したのだろう。

 まっすぐ前を見て決して急いでいないように歩くのだ。

『まったくめんどくさい』と心の中の何かが呟く。

 しかし、誰かと出会ったらゲームオーバーが待っている。


 少し俯いて、手で顔を隠して、隅っこをこっそりと歩く。

『犬が歩いても棒に当たってはいけない』

(え?)

「君──」

 誰かに声をかけられそうになる。

「あ、ごめんなさい」

 急いでいないように急いで逃げる。

「おい」

 スイスイと避けるように──。

「あ、すみません」

 出会ってはいけない。誰とも──。ゲームを始めてはいけないのだ。

 私はまだこの世界を知らない。



 入学式の式典のあいだに必死で自分の頭の中にある知識を掻き集めた。


 リンデン王立魔法学園は王都にある魔法学校で、十四歳になるまでに国中の子供が魔力検査を行い、素質のある者は貴族に限らず入学が許可される魔導士及び魔道具士養成の学校である。

 学校は十五歳から三年間で全寮制、平民には奨学金が支給され、優秀であれば学費寮費等全て免除される。卒業すれば魔導士、魔道具士として国に仕えるか更に上の学校に行くことも出来る。



 私は入学式が終わると真っ直ぐ寮の自分の部屋に帰って、自分の顔をはっきりと確認するために鏡を見た。

「うわっ、どうすんの、この顔」

 そんな言葉がぽろりと口から飛び出る。


 キラキラと輝くプラチナブロンドに淡くピンクが乗った髪がゆるゆると畝って卵型の顔を縁取り流れ落ちている。二重のぱっちりとした瞳はアイスブルーに輝き、小ぶりの鼻と柔らかな頬、花びらのような赤い唇が驚きに少し開いている。

 華奢で均整の取れた身体に透き通るような白い肌、そしてこの顔は凶悪過ぎる。


 これが私?

 ちょっと待って。コレは私じゃないわ。

 え、どういう事?


 自分の顔を覚えていないわ、私。


 しばらく額を押さえて鏡の前で考える。

 鏡の中で妖精のような美女が、その白い手で額を押さえて耐えがたそうに眉を顰めている。

「はーーーっ」

 とても現実とは思えない、シュール過ぎて溜息しか出ない。


 コレはきっと異世界転移とか転生とかいう奴じゃないかしら。この世界じゃない別の世界を薄っすらとだが覚えている。本とかネットとかゲームとかそんな言葉を覚えている。よくあるゲームの中の世界なのだろうか。

 こんな美少女に生まれ変わったら普通人生勝ち組だろうに。

 何でゲームオーバーになっているの?


 とにかく目立たず穏便に卒業できたらいいんじゃないか、と思ったけれど無理かもしれない。今日、この寮に帰るまでにどれだけ話しかけられたか。



 まず瓶底眼鏡。髪はダサく三つ編みにして、そしてまゆ墨でそばかすを描いて、誰とも仲良くしないで……。

 それはちょっと辛いけれど、仕方がない。

 頑張って勉強するんだわ。この空っぽの頭にどんどん詰め込んで。

 とにかく無事卒業できればゲームオーバーは回避できるはず。


 付き合いが悪いといわれようが、根暗といわれようが、図書館で本の虫になってガリガリ勉強するしかないのだ。

 そして分かったことがひとつ。

 私は魅了の魔法なんか使えなかったのだ。私の魔力は水属性で、生活魔法以外は水属性しか使えないのだ。今回頑張った結果、上位の氷魔法も使えるようになったけれど、熱を冷ます効果だ。魅了と反対だわね。


 魅了は闇魔法で禁呪である。それに王族方は魅了の魔法を防ぐアミュレットを標準装備されているのだ。私はクラウス公爵令嬢アルヴィナに嵌められたのだ。


 王太子殿下は私の顔にふらふらと迷ったのだ。私は虫を誘う誘蛾灯だったのか。それともエドウィン王太子殿下が浮気性な方なのか。どちらにしても排除されるのは男爵家の庶子という下位貴族の私の方でしかなかった。



 そうして本に噛り付いた三年間。この頭はスポンジのように何でも吸収する。お勉強は出来るようになったが目立ってはいけないので成績は抑えた。お付き合いも殆んどしなかった。

 エドウィン王太子殿下には、瓶底眼鏡にそばかすの上に鼻の穴を少し黒く塗ってチラリと対面したら裸足で逃げ出して、以降洟も引っ掛けられなかった。


 こんなの女性としてどうよって思う。乙女心は著しく傷つく。綺麗に着飾って恋もしたい。だけど仕方がない。私の人生は卒業後にあるはずだ。

 そして、どうにか無事に卒業できた。



 しかし、家に帰ったらお父様が冷たく言ったのだ。

「私は誰でもいいから男を引っ掛けて来いと言ったはずだ。仕方がない、お前は金持ちの商会の会頭の妾になる事が決まった」

 目の前でドアがバタンと閉まって、私は部屋に押し込められた。

『ゲームオーバー』の文字が出る。


 何で、どうして。結婚しなくてもひとりで生きていけるはずだ。お勉強を頑張ったし、魔法も氷魔法が使えるまで頑張っていたのに。

 どうしてゲームオーバーなの? やり直しなの?



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