未来人ができるまで

 「は―――?」








ここまで溜めておいて、その程度のことかと正直拍子抜けしてしまった。








 「なんだ、やっぱりからかっていただけだったのか。それにしてはネタばらしが遅くないかー? あ、わかったあれだろ、タイミングを失って中々言い出せなかったタイプだろ。全然いつ言ってくれても良かったのに―――」




 「それなら、なぜ今有栖川さんは犯罪者になりかけているんですか?」








俺の身体中に雷が落ちた気がした。そうだ、俺がこんなことになっているのは、揚羽がいた未来による因果律が、俺と揚羽の出会いから生まれたバタフライエフェクトに勝ったが故の事象だったはず。その未来が存在しないというのなら、俺は今どこに向かっているのだろうか。








 「どこからどこまでが嘘だったんだ―――?何が、どうなって―――」




 「全部、嘘だったんですよ。―――といってもすぐには分からないでしょうし、長くはなりますが、全て話しますか」








俺に少し微笑みかける彼は、まるで小さな悪魔のようだった。








 「僕が起こしたかったのは因果律ではなく、バタフライエフェクトだったんですよ」








優しい口調で、彼は俺との出会いから、一つ一つ答え合わせを始めた。




 












 揚羽しっぺいは、さまよっていました。自分たちを壊した奴らに復讐する、そんな糸口を探して。復讐なんて、何も生まないよ。そんな正論を振りかざしたくなる人もいるでしょう。でもこの世には、そんな意味のないものしか縋るものがない人だっているのです。揚羽しっぺいは、そのうちのひとりでした。
















 僕のお父さんは、自動車関連の下請け業者だった。僕も男の子として生まれてきているわけで、小さな頃から車にドハマりしていた。学校にも馴染めなかった僕からしたら、それだけカッコイイ車を作っているお父さんは、ヒーローそのものだったなあ。実際は車の部品を作っていたに過ぎないんだろうけど、それでも、カッコイイことに変わりはなかった。








 そんなお父さんみたいになりたくて、僕はたくさん勉強した。僕は幼稚園の時からお父さんに憧れていたはずだから、簡単な算数くらいは小学校に入る前に既に済ましていた気がする。だからか、小学校に入学して授業を受けたとき、その難易度の低さに拍子抜けした記憶がある。そこからは学校の進度には関係なく、自分のしたい勉強をずっと独学でし続けた。お父さんが持っていた図面にたくさんの数字や式が書かれていたから、算数はとにかく勉強を進めて、高学年の時には積分計算を統計で用いる術を学んでいた。その時には算数は数学に変わっていて、なんで名前を変える必要があるのかよく分かっていなかった。それを本来どの段階で学ぶのかは分からないけれど、多分遙か先なんだろうと思う。








 算数ほどではないけれど、他の科目も独学を進めていた。理科は小学校で習いそうな昆虫の所とかは全て飛ばして、物の動きとかに着目した。そうしたらいつの間にか理科の名前が物理と化学に変わっていて、これまた不思議だった。どれもこれも名前が変わるのは、もしかしたら中学や高校になったらそれぞれ授業が別々になるからなんだろうか。








 ここまで独学を進められたのは、さっきも言ったとおり僕が学校にあまり馴染めなかったからでもあった。原因はなんとなく、極度の運動音痴だと思う。小学校内での人気者は、勉強ができる奴ではなく運動ができる奴だった。少なくとも僕の小学校では。そのせいでいじめられていた訳ではなかったけれど、ただ友達と呼べる友達はいなかった。そのせいで割と学校を休んでしまったこともあった。それが一層周りと壁を作っていたのかもしれない。








 そうして迎えた小学校六年生のとき、惨劇は起こった。といってもその引き金はたった一つのニュースだった。それが、政府による自動車産業推進の方向転換である。この決定は、いわゆる当時の自動車産業をリセットし、新しい自動車の技術に尽力する、というものだった。しかも当時から日本が力を入れたって、他の国に勝てるわけがないようなものに予算を投じるというのだ。








 ここまで聞いてもらえば、記憶力の良い人なら気付くのではないだろうか。そう、あの”怨嗟の鬼”のましろは、僕と同じ運命を背負った青年だった。








 その方針が発表された後、僕を待ち受けていたのはましろが体験したものほぼ全てだった。僕のヒーローだったお父さんが自殺し、お母さんは壊れ、僕も正常ではいられなくなった。目を閉じればお父さんの死に顔が僕のまぶたの裏に投影される毎日。堪えられる物ではなかった。それでも他のことを考えられていたのは、目の前で僕以上に壊れていくお母さんがいたからかもしれない。自分以上にまずい状態な人を見ると、不思議と自分は冷静になってしまうものなのかもしれない。








 結局ましろの母のように、僕のお母さんも突然どこかに消えてしまった。父の借金を返してくれたのかは正直定かではないけれど、僕の元に借金取りが来てないということは、そういうことなのだと思う。でもお母さんが返したのなら、きっとお母さんは一文無しになっているはず。しかも定職に就いていた訳でもないし、あの憔悴っぷりだ。その後お金を稼げている気がしない。―――そう考えると自然とお母さんの行く末も想像できてしまう気がして、無理矢理にでも考えないようにした。それでも時々一人残された家で二人の夢を見たときには、嗚咽混じりに泣いていた。夢の中で鮮明な映像を見せられたときは、吐いてしまうことも珍しくなかった。あれを地獄といわずして、何を地獄というのか。生き地獄とは、まさにあのことだろう。








 それでも、残された小学校生活はなんとか通いきった。当然、いきなり風貌やらなんやらが変わった僕を、周りの人間が見逃すはずはなかった。一人だけお弁当もなく、初めのうちは服も汚いままだった。けれど元々友達が少なく、人と交流していなかったのが不幸中の幸いで、厳しいいじめを受けることはなかった。けれどそれは自分を慰めてくれる人がいないということでもあって。いつ死んでもおかしくなかった僕を心配してくれる人は一人としていなかった。先生すら僕のことを厄介扱いして、はやく卒業して欲しそうな感じだった。その時点で、僕は人を頼ろうという考えは捨てた。僕が、自分一人で、生きていかなくてはならないんだ、と。








 勉強だけはずっとしていたおかげで、小学校は簡単に卒業できた。だから僕は卒業までの間、色々な作戦を立てていた。お父さんを殺した奴らを、できる限り多く地獄に送りたいという一心で。それでも中々具体的なものは思いつかなかった。その時、案外人を殺めることは難しいのだと悟った。








 そんな状態で中学校なんかに進めるはずもなく、学校では不登校扱いになりながら数ヶ月が経とうとしていた。そんなある日、僕はふらふらとさまよい歩いていた。何か、僕の大復讐劇のきっかけはないかと。そんなとき、僕の目にきらびやかな女性が目に写った。当時の僕からしたら目を背けたくなってしまうようなキラキラの向こうに、更なる輝きがみえた。初めは不愉快としか思わなかったけれど、半分死んだようだった僕は、ふらふらとその光の中に吸い込まれていった。敷地内に入ると、そこはいろいろな匂いがして頭がクラクラした。しかも周りには多くの人がいて、僕はいわゆる人酔いしてしまった。








 見た感じ、建物の中の方が人が少なそうだったので、とにかく人の少なそうな所に流れていった。するとある一室にたどり着き、そこには不格好な本が何冊か展示されていた。








 「ご自由にお手にとってくださいね」








 部屋の奥から透き通った声が聞こえて、無人だと思っていた僕は少したじろいだ。よく見ると、一人の女性が姿勢良く座りながら、自分の詠んでいる本の上から目だけを覗かせてこちらを見ている。外にいた派手な女性たちとまるで空気感が異なっていたので、また少し動揺してしまった。まともに人と会話するなんていつぶりだろう。








 僕は一言「ありがとうございます―――」と小さく答え、並んでいる本を眺めていた。作者の欄には少なく見積もっても四、五人の名前が見えた。一つ一つ手に取って見ていると、それぞれ特色が大きく異なっていて面白かった。とにかく情報量を詰め込んでいるようなものがあれば、異世界の情景描写に力を入れているものもある。その中に、僕はひときわ目を引かれる一冊があった。その作者が、有栖川照也だった。








 内容はありきたりな部活モノで、僕にはそこまで縁がなく、親近感も感じにくい題材だった。だから僕は正直読み始めた時点ですぐ他の小説に移ろうと思っていたけど、気付いたら既に真ん中まで読んでしまっていた。ハッとして部屋にある時計を見ると、あっという間に十数分経っていた。








 「それ、気に入りましたか?」








室内に再び澄んだ声が響く。しまった、そりゃこんだけ一冊に時間をかけていたらそう思われても仕方ない。でも、確かにこの小説は人を魅了する”何か”があった。








 「あ―――はい、面白いですね。すごいと思います」




 「そうですね、私も彼の作品には毎度彼の色を感じます。ある一種の才能かもしれませんね」








僕も薄っぺらい返答にも丁寧に返してくれる。この人には、自然と会話したくなるオーラのようなものがあった。








 「なんか、頭で想像はしにくいんですけど、この話の流れみたいなのが自然で、無理矢理引き込まれる感じがありました」




 「きっとそれは”解像度”が問題でしょうね」




 「解像度―――?」今まで得たことのない視点を目にして、僕は面食らった。




 「ようするにその世界の設定のようなものです。私たちは小説を読んで、その世界に没入しますよね。当然その世界は自分のいる世界とは大なり小なり異なるわけです」








僕は首を大きく縦に振り「うんうん」と頷いていた。








 「なので私たち作家は、読んでもらう人にその世界の案内をしなくてはならないんです。この世界はこういう世界ですよ、といった風に」




 「有栖川照也さんの作品にもそれはあるように見えましたけど―――」




 「もちろん彼の作品にもあるにはあります。しかしその案内が―――少し曖昧なんです―――。きっと彼は詳細の設定を作り込むことなく、書き始めるタイプなのかもしれませんね」








彼の小説を手に取りながら彼女はそう言った。小説を読んだだけでそこまで分かるものなのか。








 作り込み、か。今僕もぶち当たっている壁だ。僕の両親を殺した奴らへの報復計画。その中身が全く決まらない。山のように考えた机上の空論も、それぞれが形をなすところを想像できなかった。僕の頭にある計画たちと有栖川照也の小説はなんだか似ている気がした。








 「もし、それらを作り込めたら―――」




 「えぇ、とても強い力になるでしょうね、元々センス溢れる方ですから」








そう断言する彼女の目は、自分の部員を心から誇らしく思っているようだった。強い力、物語、作り込まれた空想。








 「たとえ、ぶっ飛んでるような空想でも、細かなところまで設定を書き込めば、説得力はでますかね―――?」








この時点で僕の頭にはとんでもないことが浮かんでいた。








 「―――はい、私はそう思います。この世界にはたくさんの創作物があるのがその証拠じゃないでしょうか」




 「そうですか―――ありがとうございます」








ここから、僕の未来人計画が始まる。共犯者は、有栖川照也だ。

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