竜胆の葛藤と現実

 すぐにでも直談判してやりたかったが、割と早くその必要は無くなった。あの衝撃の盗み聞きの翌日、私は彼らが話していた場所に呼び出されたのである。そこには編集長が気まずそうにたたずんでおり、私が彼の視界に入ると、彼は「おぉ、忙しいとこごめんね」と一言添えて、








 「有栖川先生との―――活動の調子はどうかな、一度くらいは実際に会ったりとかしたかい?」








と私の目を見たり離したりを繰り返しながら聞いてきた。十中八九”あの”ことだろう。








 「なんで”怨嗟の鬼”がそんな目に遭わなきゃいけないんですか」








「有栖川先生とはまだご挨拶程度しかしておりませんが―――どうされましたか」と聞くはずだったのに、気付いたら頭の中と心の中が逆転してしまっていた。それもこれもあの私があの作品を純粋に好きなせいだろう。好きだからこそ―――そのような決定への不満が隠しきれなかったのだ。








 「―――聞いてたのか。確かにここは君のテーブルから近いからな、場所が悪かったというわけか―――」








編集長はこめかみを押さえるような動作をとると、再び斜め下を睨んでいた。私も初めは自分の口を恨んでいたが、時間が経つにつれて事の真相が気になる気持ちの方が優先されていった。しかし私は編集長がここまで私にこの問題を説明しづらくなっている理由が、なんとなく分かる。








 編集長は私が有栖川先生の担当に手を挙げたその瞬間、その場に居合わせていたのである。それに加えて、彼は私がまだ就活生だった頃、この会社では面接官の立場だった。それ故に、彼は私が強い思いを持って最優秀賞受賞者の担当に名乗りをあげたことを知っているし、私の作家さんに感じている壮大な感情も十分すぎるほど知っていたのだ。








 そんなこんなで私の感情は行ったり来たりしている状態だった。それでも私の顔には不満が一番強く表れていたようで、それを見た編集長もなにか強制的に自分を納得させたようだった。








 「厳しいことを言うとね、これは僕たちでなんとかできる問題じゃないんだ―――。この出版社の社長なんかよりも、もっともっと大きな所からの指令なんだよ―――」








私は初めその言葉の理解に苦しんだ。そんな大きな人間が、言っても書籍一つにそこまでするのかと。割と大きな出版社が主催する文学賞の最優秀賞とはいえ、流石に過敏すぎるのではないか、と。








 しかし話を聞いても、納得できたのは一部だけだった。その一部というのが”第一政党の政治家が文学好きで、たまたま今の行政と内容が被っている作品をうちの文学賞の最優秀賞で見つけてしまったが故に、政治家から直々に通達が来た”という点である。まあそうだとしても過敏すぎるのではないか、と感じてしまう点は全く変わらない訳だが。しかし政治家サイドからすると、それだけリアルタイムで、史実と内容が被りすぎているのだそうだ。しかも世間には広まっていないはずの問題が多く露呈されて。彼らからするとこれは偶然では済まされないのだそうだ。今知れ渡って無いにしても、これがきっかけで掘り起こされるかもしれない、と。








 しかし逆に言えば、これらの情報や史実は知れ渡ってなさ過ぎて、現実を元にして書いた可能性はほぼ無いと考えられるが故、賞以外はそのままでいいという判断らしい。編集長や役員の考えでは、これは有栖川照也への全ての報酬を彼らの権限で抹消した場合に、有栖川照也から起こした裁判に勝てるかどうか曖昧だからこそ、彼に譲歩を期待している決断なのではないかという結論で一致しているそうだった。








 以上を理解しても、私は首を縦には振れずにいた。唇をかみしめながら下を向き続けている私を気遣ってか、編集長は「竜胆くん」と私の目を優しく覗くようにして言った。








 「僕もね、悔しいさ。こんなのは身勝手他ならない。公表されてまずいようなことがあるのも、全面的に彼らの責任だしね。はっきりと言ってしまうけど、一ミリも納得できないね、僕は。法律の話だって出てたけど、君も分かるだろう?あんなの何も理にかなっていない、ただの言い訳セットだ」




「それならどうして受け入れてるんですか。抗いましょうよ、というか抗ってくださいよ。編集長は―――作品や作家が好きじゃないんですか」




「―――抗えないものもあるんだよ。受け入れるしかないこともあるんだ。これが、社会だ。社会は、見た目よりも複雑に入り組んでいて、自分の本意で少しでも道を逸れるともう元の場所には戻ってこれない。そういうものなんだよ」








心が真っ黒になっていく私に構わず編集長はまくしたてる。








 「竜胆くん、冷静になって、客観的に見てみなよ、今の現状を。有栖川先生から失われたものはなんだ。最優秀賞受賞者という肩書きだろう。確かにこの肩書きはとんでもなく貴重で、彼の名前に大きな価値を付けてくれるだろう。でも作家にとって重要なのはそれ以外なんじゃないかな。彼の本は問題なく出版されるし、我が社とも絶対切れない繋がりができた。最優秀賞は―――また彼がチャレンジすればいいじゃないか。これだけの才があるのなら、僕はもう一度最優秀賞に選ばれる可能性が大いにあると思うよ」








確かにそうかもしれない。そうかもしれないけど。私の中に渦巻いている黒い糸をほどくのは、間違いなくそういうことじゃない気がした。けれど、私はもう何も話せなくなっていた。








 「―――竜胆くん、有栖川先生に、説明してくれるかな」








私は力ない声で「―――はい」と答えると、目的を失った亡霊のようにふらふらと席に戻り、しばらく自分のパソコンのデスクトップを眺めていた。
















 そして今、私は有栖川先生に説明をし終わって、更に力が抜けきっていた。しかもあろうことか「これから私の方で色々抗ってはみます」だとか「当日まで抗ってみるつもり」だとか、また勝手なことを口走ってしまった。だって電話の向こうに実際作品を創った張本人がいるんだもん、我慢できなくなって言っちゃうのも許して欲しい―――。








 しかしこうなってしまってはまた色々と考えなくてはならない。有栖川先生に伝えた”私も納得していない”という気持ちは本音だし、何かしてあげたいのも本当のことだ。でもここから最優秀賞の座を取り戻すのは―――正直現実的ではない。当日になって最優秀賞の名前を入れ替える?リスクと期待できる結果が全く釣り合っていない。








うんうん唸りながら受賞者のリストを見ていると、仕事が早いことにもう最優秀賞受賞者の名前が変更されていた。そこには大衆用の苦しい理由付けを添えて。こんなにも早く訂正されるのか。まあでも確かにすぐそこには授賞式が迫っている訳だし、当然と言えば当然なのかもしれない。というか私は一体どこまでできるのだろう。言っても結局私は一新入社員な訳で。できることには限りがある―――どころか何もできやしないのではないか。








「プルルルルル―――」








無意識にネガティブになりかけていると、私のケータイが大きな音を立てて震えている。しまった、普段連絡なんてほぼ来ないからマナーモードにするのを忘れていた。私は慌ててケータイの着信をとった。

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