かすみそうに包まれて

@Faith_in_need

第一話 出会い

人にはそれぞれ振り返れば忘れられない大切な思い出の一つはあるものだ。その思い出がその人にとって大切であればあるほど、それは振り返らずとも常にその人と共に同じ長さの人生を歩んできたとも言える。私の人生がそうであるように。


一 出会い


一九八五年十二月二十六日。カリフォルニア州サン・ディエゴにあるALIという英語学校に三ヶ月の短期語学留学をするため、私は初めてアメリカの地に降り立った。私と同じ大学に通っていた十人程の友人たちもこのプログラムに参加をしていたが、みんな十九歳や二十歳ぐらいの右も左も分からないような若者ばかり。ロサンゼルス空港の入国審査では問いかけられた英語に戸惑い、ターンテーブルでは受け取った自分たちの荷物をどうやって乗り継ぎカウンターまで運べば良いかでまた戸惑った。税関検査もよく分からず、列をつくっている人たちの後ろへとりあえず並んで立ち、彼らの手にした用紙と同じものを係りの人に渡し、そのまま彼らのあとに続いて進んだ。気がつくとそれが税関検査だった。しばらくして到着ロビーが見えてきた。大きなガラス窓から差し込む明るい日差しを背に、待ち人を待つ人たち。お帰り、と大声を出しながら抱きしめ合う人たち。到着ロビーでのドラマを尻目に、私たちは国内線ターミナルを探した。だが、それらしい目印が見当たらない。私たちがきょろきょろしていると、親切そうな紳士が何を探しているのかと尋ねてくれた。覚束ない英語と身振り手振りのジェスチャーを交えて、国内線ターミナルの場所が分からないとこたえると、その紳士は、まずはここを真っ直ぐ、左にエスカレーターが見えたらそれに乗って二階に、とおしえてくれた。私たちは教えられた通りに歩き出した。

「ねえ、こっちの方向で正しいのかなあ?」

しばらくして、ふいに良枝かがポツリとつぶやき、歩いていた私たちの足取りが急に遅くなる。

「エスカレーターだってあったし、いいんじゃないの」

「でも国内線っていう文字が出てこないよね」

 私の言葉に敦子が心配そうに言う。

「じゃあ、誰かに訊いて見る?」

 知美が敦子の横に並んで言った。

「ええっ? 誰が訊くの? 私、怖いよ」

 敦子は急に立ち止まり、辺りを見渡す。

「じゃあどうする? このまま行ってみる?」

「でも、もし間違っていたらやばいよね?」

 私たちはいつの間にかその場に立ち止まってしまっていた。

「でも、急がないとまずいんじゃないの?」

 時計を見るともう三十分もない。

「いやだ、ホントだ。もう時間ないじゃん」

「どうしようか」

 そんなじれったい女同士の会話に割って入ったのはグループで唯一の男性、よしきだった。

「もうこっちで合っていると思うからみんな急いで! ホントに時間がなくなっちゃうよ」

 よしきは言うと、いきなり走り出した。

私たちも釣られるように彼のあとに続いて必死に走りだす。確かな確証もないまま長い通路を走り抜ける。頭上に国内線ターミナルのサインが見えてきた。

「あっ、あそこ国内線のターミナルだよ。無事に着いたよ」

「ホントだ。 やっぱりこっちで良かったんだ」

あとは搭乗ゲートを見つけるだけだ。私たちは息つく暇もなく辺りを見渡し、ゲート番号を確認した。数分後、搭乗時間内ぎりぎりで、私たちはサン・ディエゴ便に乗り込む事が出来た。

「ああ良かった。間に合った。よしきのお陰だよ」

 敦子がシートにもたれて言った。

「ホント、そうだよね。あそこで走ってなかったら完全にアウトだったもんね」

「ホント、ホント」

普段おとなしいよしきが声を上げて私たちを誘導してくれた事に、みんな、多少驚きはしたものの、やっぱり男子がいてくれると心強いよね、などと口々に言っている。

「そんな、当たり前の事をしただけですから」

 いつものように敬語を使って話すよしきからは、さっきまでの勢いはすっかり消えてしまっていた。


 飛行機はそれから三十分程度でサン・ディエゴ空港に到着した。

「皆さん、サン・ディエゴへようこそ! 飛行機は快適でしたか?」

ロビーへ出ると、学校関係者の人たちが私たちを出迎えてくれていた。やっと着いたね、とみんなでホッとしたのもつかの間。

「今日から皆さんは一週間のホームステイ体験をします。皆さんをお世話して下さるホストファミリーの方たちが待つ会場へこれから車で向かいますので、こちらに来てください」

ここがサン・ディエゴだという実感を噛みしめる間もなくすぐさまそう告げられると、私たちは言われるがまま、鉛のように重たく感じるスーツケースを押しながらのろのろと彼らのあとに続いた。

会場へ着くとホストファミリーの人たちが笑顔と拍手で私たちを歓迎してくれた。私たちもそれにこたえるように笑顔を振りまく。が、その表情は明らかに疲れ切っていた。靴を脱いで早く横になりたい。私だけではなくきっと全員がそんな事を思っていたに違いない。関係者の挨拶が次々と会場に響く中、目を閉じてしまえば立ったままでも眠りに陥ってしまうほどの睡魔に襲われていた私は――フカフカの毛布に包まって眠る自分を想像しながら――今日という一日が早く終わって欲しい、とそれだけを願っていた。数十分後、ついにその願いが報われる時がやってきた。私たちの名が一人ずつ順に呼ばれ、それぞれのホストファミリーに引き渡されると、ようやくその場から解放され、各家庭へ去って行く事がゆるされた。

日本を発ちそこへ行きつくまでの、それは長いながい一日だった。


次の日、私は生れて初めて時差ボケを体験した。頭がフワフワしてまるで空を歩いているような、酒に酔って千鳥足になっているような、なんとも言えない不思議な感覚だった。でも、気持ちが悪くならない分、船酔いよりははるかにマシな体験だった。そんな時差ボケのまま迎えた翌日の金曜日、私たちはオリエンテーションやクラス分けの簡単なテストを受けるためALIへ向かった。

ALIはサン・ディエゴ州立大学(SDSU)の敷地内に設けられた、L字型をした平屋建ての英語学校だ。校舎内の廊下や教室は全て薄での明るいベージュ色のカーペットが敷き詰められていた。素晴らしく近代的な建物ではなかったが、整然と並べられた机、時折漂う柑橘系の洗浄剤の匂い、隅々まで行き届いたこの学校の清潔さが私は好きだった。校舎の周りには背の高い木々がいくつも植えられ、木漏れ日が絶え間なく降り注ぎ、心地良い風がいつもそよそよと吹いていた。

「みんな、今朝は元気かしら? 私はこのA‐2のクラスを担当するケイトです。よろしくね」

 そう言って教室へ入ってくると、ケイトは一番前の机の上にドンっといきなり座り、あぐらをかいた。

「そうね。まず、あなたたちの事を知りたいからみんなに自己紹介をしてもらいましょう。そうすればお互いのことも分かるものね」

先生なのにあぐらをかいて机の上に座っちゃうなんて、なんかすごい。私は気さくでとても自然体なケイトを一目で気に入った。

授業の中にはシーニックツアーと呼ばれるちょっとした課外授業もあり、ホエールウォッチングの体験で私は初めてクジラを見た。サン・ディエゴの海が見渡せる丘の上の灯台へも行った。ダウンタウンの海港に建てられたシーポートビレッジへ行ったときは、みんなで昼食を取ったり、お土産を買ったりして、自由時間を気ままに楽しんだりもした。そういった授業を通してクラスメイトとの交流は深まり、色々な国から来ていた人たちとも次第に打ち解け仲良くなった。そうして授業は進み、新年を迎えた最初の金曜日、学校主催のパーティが初めて行われることになった。

「カナ、今日のパーティ、行くんでしょ?」

 授業を終え、私たちは温かい日差しの待つ外へ出た。

「ええ、学校の主催だし、とりあえず行くわよ。スーザンは?」

「まだ分からないのよ」

 同じクラスで初日から気が合い仲良くなったスイス人の(金髪で綺麗な)スーザンは、体調がすぐれないからまだ行くかどうか決めかねていると言った。校舎の外ではパーティの話で持ち切りになっている。

「それじゃあ無理しないほうがいいね。次の機会だってまたあるだろうし」

「ええ。でも、とりあえず家で少し休んでみるわ」

スーザンはそう言って、スイスから一緒に来たという親友のジュリアと帰っていった。

二人の姿を見送りながら私は空に鼻を向けた。冬の透き透った午後の空気に、微かに混ざる木々の香りが鼻をくすぐる。サン・ディエゴの冬の匂いだと思った。


パーティ会場として選ばれたのは学校から歩いて二、三十分ほどの所にある「ディエゴズ」というメキシカンレストランだった。店内に入ると長方形の大きなテーブル――テーブルをいくつもつなぎ合わせている――が、店の中央に用意されていた。

「名前は何て言うの? どこから来たの?」

 みんなが席に着いた途端、敦子が興味津々といった感じで身を乗り出して訊いた。

「僕はロベルト、こっちは友だちのアルトゥーロ。二人ともアルゼンチンから来てるんだ」

 いきなりの質問に面食らった様子もなく、にこにこ笑いながらロベルトはこたえた。

「僕はルイです。フランスからです! どうぞよろしくです!」

 テーブルの端の方に座っていたルイが、突然大きな声で会話に割って入ってきた。抜群のタイミングとフランス語なまりの英語でみんなをわっと笑わせ、その場をさらに盛り上げる。会話も授業のときとは違い、笑いこけてしまう程おもしろい話を披露してくれる人がいたり、先生たちにも無礼講でプライベートな質問をしたり、今まで話しかける事が出来なかった別のクラスの人たちに話しかけてみたりと、みんなが本当に和気あいあいと、その場を楽しく過していた。

しばらくして、一人の男性が店に入って来た。その男性は辺りを見渡し、私たちの席の外れにいたケイトに近寄ると親しげに話し始めた。私のクラスを担当していたケイトはかなりの大柄で声も大きく、そして、何より屈託なく笑う、みんなからとても好かれている人だった。そのケイトとは見るからに対象的に映っている彼。

その彼はとても柔らかい、今にも壊れてしまいそうなほど柔らかい微笑みを顔中一杯に浮かべ、楽しそうにケイトと話をしていた。私はその彼を遠眼に見ながら、誰だろう、 あんなに親しげにケイトと話しているなんて、と思っていた。でも、その彼の柔らかい、なんとも言えない優しい微笑みが忘れられなかった事を、今でもはっきりと覚えている。よく人の内面が顔に表れると言うが、彼の表情を見る限り、まさに誠実そのものが彼の顔や雰囲気全体に醸し出されている、といった感じだった。その彼はケイトとほんの五、六分話をすると、握手をして席を立ち、店をあとにした。

二時間程で楽しいパーティは終わった。その後、ダニーのアパートで二次会があると言われ、私も誘われるがまま、彼のアパートへ同行した。まさかその席でケイトと親しげに話をしていたあの彼に再び出会い、その彼がその後の私の人生を大きく変えることになる人だとは少しも思わずに。


 相乗りしてきた車から降りたころには雲もどこかへ姿を隠し、夜空には輝きを放った月がポッカリと顔を出していた。

「さあ、みんな入ってくれ。ここが僕らの部屋だよ。くつろいで楽しんでいってくれよな」

 ダニーはドア越しに立ってみんなを招き入れた。

ダニーが短期留学のために借りていたアパートは、学校から車で少し離れたところにある2LDKのアパートだった。二階建てのアパートの長い廊下をいった、一番奥の角部屋だ。その部屋をスイスから来ていたもう一人の友人、ラルフと一緒に借りていた。

私はキッチンで飲み物をもらい、ソファーに腰を下ろしてくつろいでいた。すると、ディエゴズでケイトと親しげに話をしていたあの彼が、開けっ放しの玄関から入って来るのが見えた。彼は目が合ったダニーに近寄り笑顔で何かを言うと、私の横の――あと一人座るには少しきつそうに空いている――席を見た。

「座ってもいいですか?」

 私の前に立つと、彼は穏やかな微笑みを浮かべて言った。

「もちろん、どうぞ」

 私は席をつくろうと、座りなおしてこたえた。

レストランでケイトと彼を遠眼に見ていた私は、その彼にまた会えた事を嬉しく思いつつも、ああきっとアジア人の私なんか相手にもしてくれないんだろうな、と心の中で思っていた。アジア人と言ってしまったら語弊があるかもしれない。でも、当時の日本人留学生といったら(少なくとも私の周りにいた語学留学生は)いつも日本人同士で固まり、英語を真剣に学んでいない人たちの方が大半だった。遠い祖国である日本を離れ、英語を生で学べる環境へ来られたにも関わらず、いざ他国の地を踏むと、人は突然に弱くなってしまうものなのだろうか。それとも、自分の国の今まで見えていなかった良いところが見えてくるからなのだろうか。同じ言葉を話す者同士が寄り添い合い、絆を深めてしまう傾向があるように思えた。だから、学校へ行っても日本人同士が集まって、日本語のオンパレードで会話が弾んでいる光景を見るのが殆ど日常のことだった。その現状に反発を覚え、と言うか、そもそも私は「自分の将来のために英語を役立てたい」、と親に頼み込んでアメリカへ渡った。生半可な気持ちではなかった。だから、自分がどこにいようが「これも勉強」、と相手が日本人でも英語を使い、コミュニケーションをはかるようにしていた。そのせいか日本人には私がとても「鼻につく」存在であったようだ。

「あのカナっていう子、日本人のくせに日本人にも英語で話したりするんでしょ。なんかちょっとねえ。同じ日本人なんだから日本語で話せばいいじゃないの」

「ホント、気取っているって感じ?」

いつだったかそう話しているのを聞いた、と人づてにおしえてもらったことがある。確かに同じ日本人なのだから日本語で話せばいいじゃないか、と言う彼らの思いも十分に理解出来た。もちろん、臨機応変で私だって日本語で話したりもした。何より、自分の英語が完璧でないことは、本人が一番良く承知していることだ。でも、私を信じ短期留学を許してくれた親を失望させたくはなかったし、自分の信念「ここはアメリカ。英語で話す」も貫き通したいと思っていた。だからこそ、ケイトと親しげに話していたあの彼が私の横に座ったとき、英語もろくに話さない、いつも集団でいる「アジアの日本人」という枠組みで私を見て、そのまま通り過ぎてほしくなかった。なんでそう思ったのだろう。でも、あの人には私をちゃんと人として見てほしかった。日本人とかアジア人とかではなく、一人の人として。

それでも、そのころの私はまだまだ相手の、それも国や文化の違う人たちの、表情や感情を上手に把握して対応する事が出来るほど大人ではなく、親から教えられていた日本人の気質「でしゃばるべからず」があのときも出てしまい、私から率先して話しかけることが出来なかった。そんな私を察してくれてか、彼は私に色々と質問をしてくれた。それにとにかくきちんとこたえよう、と私は一生懸命だった。本当に必死だった。そんな自分を今でも懐かしく、微笑ましく思い出すことが出来る。そして、彼の「You speak English very beautifully : 君は英語をとても綺麗に話すね」と言ってくれた一言は、今でも私の心の支えとなっている。

 いつの間にかダニーのご近所さんと思われる人たちでリビングは賑わっていた。その中にアメリカ人にも引けをとらないぐらいの長身で、肉付きのいいダニーが深みのある声で笑っている。私と同じぐらいの年齢の人たちばかりなのに、ディエゴズにいたときとは明らかに違う、大人びた空気感のある部屋。私の隣にいる彼でさえ、私よりずっと落ち着いた対応を見せている。なぜかふっと自分がとても子供のように思えた。

「ちょっと失礼します」

「もう帰るの?」

 他の人たちと話しをしていた隣の彼が立ち上がった私に気づき、訊いた。

「あっ違うの、ちょっと洗面所へ」

「あっ、そうか」

レストルームのドアを閉めると、私は大きくため息をついた。同じ場所にいるのに、ドアを隔てて賑やかで楽しそうに笑い合っている彼らと、そんな雰囲気からはとても遠いところにいるような私。笑い声が一層高くなったとき、私はドアを開けてその場所に戻ることを一瞬躊躇してしまった。英語がうまく出てこないことに歯がゆさを感じていたからかもしれない。会話にうまく溶け込めない自分を払拭したかったからかもしれない。私はもう一度洗面台の前に立ち、鏡に映る自分を見つめ直した。私はわたし。気にしてもしょうがない。だってネイティブじゃないんだもん。そう自分に言い聞かせてにっこりと笑ってみた。それからようやくドアを開いた。すると、私の横に座っていたあの彼がドアの前を横切り、玄関の方へ歩いていくのが見えた。その瞬間「この人とこれから何かある」という言葉が私の脳裏に響き渡り、そして、それは否定しがたい事実のように、私の中にはっきりと刻み込まれた。

あのとき、部屋を去る彼を遠くから見送り、名前も正確に覚えていない中、今度いつ会えるかさえも分からない状況で「この人とこれから何かある」、と突拍子もない思いに抱かれていた私。長い年月生きてきて、色んな人たちとの出会いがあっても、あんなに強烈な、確信づいた感情に浸った事はあとにも先にもあのときだけだ。あの何ともいえない感覚。どう説明したらいいのだろう。とにかくあのとき、私はあの彼に運命的なものを感じてしまった。


パーティから数週間が経ち、自分の突拍子もない感情とは裏腹に、その後、あの彼に会える機会は全く訪れることもなく、次第に自分の中で遠い記憶になりつつあったある週末、寮近くのアパートで大学生主催のパーティがあるから行こうと友人たちに誘われた。

ALI事務所の掲示板には週末ごとに、どこかの誰それ主催のパーティがある、週の何曜日には何々のイベントがどこそこの会場である、という情報が掲示されていた。私の友人たちは毎回それらに参加をしてはパーティライフをエンジョイしていた。でも、私は小さいころから少し冷めた眼で、周りの状況や人々を見てしまう性格の女の子だった。「天邪鬼」とよく人からも言われていた。とにかく周りの人たちと同じ事をしたり、見たりする事が嫌いだった。毎年のように変わるファッションにも全く興味がなく、俗に言う「マイ・ブーム」を大切にし、何年経っても飽きのこない物を選び、週末は友人たちと出歩き、若者に人気の渋谷や原宿などへ行くという事もせず、大抵家にいて、のんびりゆっくりと自分の時間を一人静かに楽しむ事が好きだった。思春期によくある親への「反抗期」というものも、周囲の友人たちと比べたら無いに等しいほどで、両親と出かける事へも何の抵抗もなく、むしろ友人の親たちからは羨ましがられる、そんな女の子だった。

そんなちょっと人とはズレていた私だから、毎週末ごとに行われるそれらのパーティやイベントも、私の中ではかなり「気乗り」のしない行事の一つで、誘われる毎に適当に理由をつけては断っていた(参加をしたのは唯一、学校主催のパーティだけだった)。だから、正直その日の夜の誘いもあまり気乗りはしていなかった。でも、これも経験。たまには参加をしてみようか、といつになく前向きな気持ちになり、パーティへ行くことを承諾した。

「今日のパーティはどんな感じのパーティなんだろうね。かっこいい金髪のハンサムボーイがたくさんいたりしてー」

敦子が笑いながら言う。

「嫌だあ。それが目的だったりして敦子は」

「ええ、そんな事ないよ、って、少しはあったりしてね。アハハ」

 一緒にアメリカへ渡った私たち十人の中で一番背が高く、体格もがっちりしている敦子だが、声は細くやわらかい。

「もう、敦子ってば」

敦子と仲の良い小柄な貴美子はそう言って彼女の肩を叩くと、

「でも、やっぱりちょっとは期待しちゃうよね」

と言い、二人で目を合わせてけらけらと笑った。

そのころには既に一週間のホームステイ体験も終え、学校近くにある「エル・コンキスタドール」、通称「エルコン」と呼ばれている寮へ移っていた私たちにとって、歩いて行けるそれらのパーティは、とにかく色々な人たちと出会える新鮮な場所でもあった。

パーティ会場からはどこの家でそれが行われているのかがすぐに分かる程の音量で、ポップミュージックが流れていて、音は道路や周辺の家々など、そこら中に響き渡っていた。

「何あの音? ひょっとしてパーティしているところから聞こえてるの?」

「すっごい音だね。文句言われないのかな?」

 あとで分かったことだが、近所の人たちから何の苦情もでないのは、その辺り一帯が学生寮になっていたからだった。お互い様という訳だ。

そんな家から流れてくるポップな音楽も、私にはただのうるさい騒音にしか聞こえない。

ああ、うるさいな。やっぱり来なければ良かった。このまま帰っちゃおうかな。前向きに行動を起こした自分の決断に、私は少々後悔し始めていた。

「すっごい盛り上がりだよ。なんかワクワクしてきちゃった」

敦子は既に私たちの存在すら忘れてしまったかのように、一人、玄関へと吸い込まれるように消えてしまった。

「もう敦子ったら。一人で先に行っちゃって」

 口をとがらせて貴美子が敦子のあとを追う。

「どうしたの、カナ? さ、早く入ろうよ」

 ルームメイトの知美が振り向いて躊躇している私に言うと、彼女たちに続いた。

「うん、今行く」

 私は大きなため息を一つつき、覚悟を決めて騒音の中へ飛び込んだ。

リビングは足の踏み場もないぐらい大勢の人たちで賑わっていて、食べ物や飲み物がいたる所に置かれていた。ある人は食べ、ある人は飲み、またある人は音楽に合わせて踊り、みんなそれぞれにその場の雰囲気を満喫していた。裏庭の方からは何やら大きな笑い声が時折聞こえてきては、やれ何点だとか、やれ惜しい、などと言い合っている声も聞こえ、大方ゲームで盛り上がっていると察する事が出来た。

「知美、私、ちょっと裏庭の方へいってみるね」

「うん、分かった。一人で大丈夫?」

「もちろん。気にしないで楽しんでね」

とりあえず騒音から少しでも離れたいと思い、私は知美たちと別行動をとり、笑い声のする裏庭へ行ってみることにした。

 大勢の人たちで賑わっているリビングを通り抜け、キッチンへ行くと、開けっ放しの扉があった。近づくと外には四、五段の階段がある。下りると左側に細い通路が続いていた。声はその先から聞こえてくる。私はそのまま進んでみた。芝生で敷き詰められた裏庭が現れた。そこではリビングでかかっていたあの騒音にしか聞こえない音楽の音もそれほど耳障りには聞こえず、パーティ用に作られたであろう二台のダーツ台が、ゲームをするのにちょうど良い人数の学生たちで囲まれていた。何かを賭けながらゲームをしていたのか、点数が入る度に彼らは大声で笑い、互いの手を叩きながら、パーティはそっちのけでダーツに夢中になっていた。

五、六分ぐらいは見ていただろうか。結局、それにも飽きてしまい、私は寮へ戻ることにした。やっぱり私、こういうパーティって好きじゃないんだ。小さなため息をつき、きびすを返した。うるさい音が再び耳にまとわりつく。早く帰ろう。手すりにつかまり階段を一、二段上がった。そのときだった。下を向いていた私の両腕を誰かがいきなりグイとつかんできた。

「カナ! ずっと君のことを探していたんだよ!」

聞き覚えのある暖かい声。

「君にもう一度会いたいと思っていたんだ!」

見上げると、柔らかい微笑みを顔じゅう一杯に浮かべて私を見つめている、あの彼だった。

「僕のこと覚えているかい?」

ふいをつかれた私は言葉につまってしまった。

「僕だよ、アンドリューだよ! ほらダニーの家で会った」 

忘れる訳がない。私もずっと会いたかったんだもの。いつどこで会えるか全く分からなかったけど、いつかまた必ずどこかで会えると信じていたから。

そう信じていても、あの出来事からは既に数週間が経ち、まさかこんなにも偶然に――私にしてみればとても劇的な再会で――会えるとは思ってもみなかった。アンドリューの思いがけない出現が、それまでの騒音に嫌気がさし退屈で仕方なかった私の心を嘘のように一気に明るくさせた。 

「アンドリュー! もちろん、覚えているわ。嘘みたい! 私もあなたに会いたかったの」

 私の胸は高鳴り、飛び上がりたいほど嬉しい気持ちでいっぱいだった。

 それからアンドリューはダニーの家にいたとき、約束してあった大事な用事を思い出し、私が戻ってくるのを待たずに帰らなければいけなかった事、そして、あの日以来、パーティがあると聞く度にそこへ足を運び、私が来ていないか探していた事を嬉々として話してくれた。

「これでやっと二人がどこに住んでいるかが分るね」

アンドリューは癖のある字で私の手帳に、私は彼のメモパッドに、互いの連絡先をそれぞれに書き綴った。

「ホント。でも、私の部屋には電話がついてないの」

 短期留学の悲しい定め。腰を据えて住むのなら電話も引けたのに。

「それじゃあカナに電話をかけてもらわなくちゃね」

 私の腕を軽くポンポンと叩き、ウインクをしてアンドリューは言った。

そうか。私が電話をすればいい事なんだ。私から電話をかけてもいいんだ。アンドリューの言葉に胸が躍った。

「カナはどのくらいここにいるの?」

何気に腕時計を見てアンドリューは訊いた。

「まだ来たばかりなの」

「それじゃあまだしばらくはここにいるんだね?」

アンドリューに会えたのだからもっと一緒にいたい。でも、この騒音には耐えられないし。                                                                  

「実は友だちと一緒に来たんだけど、うるさいからもう寮へ帰ろうとしていたところなの」

耳に手をあてがい「うるさい」の仕草をして見せた。

「私、あんまりこういう場所って得意じゃなくて」

「僕も同じさ。それじゃあ家まで送るよ」

アンドリューは言い、右手を少しあげ、首を軽く横に振ると「さあ行こう」という合図をして、出口の方へ歩き出した。

「大丈夫よ、アンドリュー。寮までは歩いて帰れるから。私、一人で帰れるわ」

 歩きだしたアンドリューの肩を私は慌てて叩いた。

「ああ、分かっているよ。でも、君にも会えたし、僕ももう帰るから送ってくよ」

 あ、でも、と言い、アンドリューは足をとめた。

「友だちに声をかけなくても大丈夫なのかい?」

 言われて辺りを見渡してみたが、知美たちの姿が見当たらない。

「たぶん、大丈夫」

きっと別の部屋で楽しんでいるんだろうな。私はそのままパーティをあとにした。

パーティが行われていた家から私の寮までは歩いてもせいぜい十分程度の距離。車で戻っても一、二分もかからない、ほんの少しの距離だ。

「アンドリュー、本当にいいの? 私、ホントに歩いて帰れるのよ」

 本当はこのままずっと一緒にいたいと思った。でも、私のためにわざわざアンドリューに気を遣わせてしまうのは申し訳ないと思ったのも事実。 

「いいからカナはちょっとここで待っていて。今、車を取ってくるから。いいね?」

アンドリューは言うと、車を取りに裏通りへと消えてしまった。すると一分もしないうちに、茶と金色を混ぜたような色の大きくてどっしりとした、いかにも年代ものといった感じのセダン車に乗って戻ってきた。

わあ、すごい大きな車。

アンドリューは速度を落としてゆっくり家の前に横付けすると、車を降りて助手席側のドアを開けた。そして、さあ、と、私の手をとり、優しく車に乗せると、ドアを閉めた。

初めての「レディーファースト」。

日本で経験した事のなかった私は、初めてされたその「レディーファースト」に、自分が女性であるということを実感させられ、本当に照れくさくて有難くて、しきりに「Thank you」ばかりを言っていた。それからほんの数分で着いてしまう寮までの距離を、アンドリューはゆっくりと車を走らせ、私を送り届けてくれた。

「私、パーティに行ってホントに良かった」

 騒音パーティを思い出しながら、私は独り言のようにしみじみと言った。

「だって、あそこでまたあなたに会えるなんて思っていなかったもの」

「僕もだよ。でも、やっと君を見つけられた」

 車は既に寮の駐車場へ入り、エンジンは止まっている。

「また会えて本当に嬉しいよ、カナ」

ハンドルから手を離すと、アンドリューは優しく私にハグをした。それは異性として接する初めての抱擁だった。彼の暖かさが全身を通って伝わってくるのを感じた。

「アンドリュー、送ってくれてありがとう。明日、電話するね」

「OK. そうしたら映画を見に行くか、とにかく何か一緒にしよう」

私を寮のドアの所まで送り届けると、アンドリューは自分の家へ帰って行った。私は彼を見送りながら、ほんの数十分前の劇的な出来事を、神様に感謝しながら思い出していた。


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