君の眠る記憶

彩亜也

prologue ある老人の旅立ち

 静かな山間の別荘は訪ねて来るものもほとんどなく、私と甥のガーランドの二人で暮らすには大きすぎた。それでも、私がここを選んだのは彼女との思い出が詰まっているから。私が寝起きするこの部屋で初めて彼女に出会った。

『バカ‼』

 初対面の私に涙を流してそんな事を言う子女は後にも先にも彼女だけ。この部屋で目を覚ますたびに彼女がいない現実に打ちのめされる。

「おじさん、朝食の用意ができたよ」

 扉の隙間から顔を出した男が甥のガーランド。私によく似た彼は権力に興味がなく、命を守るために王城を離れて辺境にある私の元にやってきた。それ以来こうして私の世話を焼いてくれている。

「ああ、すまないな」

 私が体を起こすとガーランドは杖を持ってきて体を支えてくれる。そのまま連れ立ってたどり着いたのは食堂では無く厨房だった。

 使用人用に置かれた木製のテーブルの上にはガーランドが世話をしている野菜や鳥の卵、それから毎朝街のパン屋が持ってきてくれるものが並んでいる。

「口を開けて」

 年老いた私にはフォークやナイフと言った道具は思うように使えない。本来であれば歩くこともままならないが、それだけはわがままを通している。

「どう?美味しい?」

「ああ、ガーランドは本当に王族らしくないな」

「……僕は父さんとは違うから」

「責めているわけでは無い。ただ私の人生の後悔はお前のような息子がいないことだけだ」

「ははっ、うん。僕の後悔もおじさんの子供に生まれなかったことだよ」

 たわいない会話、私がここで心穏やかに過ごせるのはガーランドのおかげだ。少なくとも、彼が来る前ただ日々を浪費するだけの頃を思えば十分すぎるほどに彼は私の心を豊かにしてくれる。

 今はただこの毎日が幸せだ。

『ねえ、クリーデンス?これを混ぜたらお父様きっとコーヒーを吹き出しちゃうわね』

 ガーランドが淹れてくれたコーヒーを見てあの日悪だくみをして笑う彼女を思い出す。あの日侯爵は一体どんな味のコーヒーを飲んだのか、私にはわからないが今となってはそれすらも懐かしくてたまらない。

「今日は天気が良いから外を歩こうか」

 食事を済ませると、ガーランドが立ち上がって提案してくれる。けれど私は断った。年老いた私の散歩はガーランドに負担をかけてしまう。いつもの通り書斎にこもって本でも読むのが似合いだ。

「僕の事なら気にしないでください。それに、貴方に見せたいものもあるんです」

 食い下がるガーランドにそこまで言うのならと申し出を受け入れることにした。それに、可愛い甥が見せたいものと言うのも気になる。

「ちょっと羽織るものを持ってくるからここで待ってて」

 駆け足で私の部屋に向かうガーランドの背中を見送って、中庭へ続くガラスの扉を眺める。思えば、最近は寝室と厨房と書斎へ行くだけで中庭なんてもうずっと見ていなかった。

『ねえクリーデンス?このお花はなんて言うの?』

「ああ、それはミモザと言うんだよ……君にピッタリな花だよ」

『あら、そうなの?……ありがとう』

 キミは本当に、幼い頃から可憐で優雅だ。あの花にピッタリな……。

「おじさん!」

 ガーランドの声に意識が引き戻される。先ほどまでそこにいたはずの彼女の姿を探して辺りを見渡すが、不意に視界に入ったガーランドの顔を見てもう彼女がいないのだと悟り再び私の心は絶望へと叩き落された。

「さあおじさん、行こう」

「ああ」

 立ち上がって庭に降りる。外の空気は心地よく、降り注ぐ太陽の光が元気づけてくれる。私が手入れしていた頃よりずっと花も野菜も種類が増えた庭はここがまだにぎわっていた頃の様で懐かしさに胸が震えた。

「こっちだ」

 案内されるままにたどり着いたのは私がここへ越してきたときに連れてきた、彼女の墓。私が歩けなくなってから随分と来られていなかった。さぞかし荒れ果てているだろうと心苦しかったが、毎日手入れをされているのか、雑草などは無く、彼女が好きだと話していた花に彩られていた。どうやらガーランドのやつがやってくれたらしい。

「それから、ほらこれ」

「これは……」

 墓の脇に植えられた木。その木は可憐な黄色い花をつけ、まるで彼女の墓に陽光が降り注ぐようだった。――ミモザの花だ。

「もし心残りがあるとすれば、それはお前のような素晴らしい男の結婚を見届けられなかったことだ」

「またそんな事を言って――」

「ありがとう、お前のおかげで私は父になることができた。ありがとう」

「――うん。そろそろ戻ろうか?」

「いや、私はしばらくここにいるから、お前は仕事をしててくれ」

「……わかった。それじゃあ向こうで手入れをしているから戻る時に声を掛けてね」

「ああ、ありがとう」

 ガーランドはそう言い残して道具を取りに行ってしまった。全く憎いやつだ。いつから企んでいたのだろう。こんな日に、最高の贈り物をしてくれるなんて。

「そう思わないか?。ははっ、私に待つのは地獄かもしれないが、それでも私がすべての罪を洗い流したら、その時まで待っていてくれ」


 ――――僕が叔父のところへ戻ると彼は晴れやかな顔で眠りについていた。僕はそっとその小さくなってしまった体を抱き上げると寝室へ向かう。ベッドの上にそっと下ろして、すっかり皴だらけになってしまった頬を撫でた。

「行ってらっしゃい」

 僕の呟きに呼応するように世界は暗転した。

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