手紙 2
話が逸れてしまった。申し訳ない。戻そう。
結論から言ってしまえば、私の懇願が周囲に届くことはなかった。当時の神官長であった父の前で両膝を突いたとき、彼は私に「情けない真似をするな」と言い、頬を張り飛ばした。その時ようやく、本当に思い知った。私にできることは何もないのだと。
その後の失意に沈んだ私に、マリアは一つの案を呈してきた。それにはいよいよ気が違えそうになった。「私は先に生まれた子と一緒に海へ行きます。あなたはもう一人の子と、生きてください」。
我が子のみならず、妻までもを見送らねばならないのか。とても耐えられそうにない。しかし、子供をたった一人暗い海に流すことを思うと、妻の考えに同意したがる自分もいた。
いっそ、四人で海へと行くのが最も幸せなのではないかと思った。だが、アルベルティーニの血を絶やすわけにはいかないという義務感が、私を生に留まらせた。なにより、もう一人の子の人生までをも奪うことになる。ならばせめて、二人の分もその子を幸せにしてやることが私の責任だ。
だが、今になって思う。私はアンドレーアに負担ばかりを強いてしまっていたのではないかと。仕事の忙しさにかまけて、あの子と向き合う時間も少なかったように思う。勉学で優秀な成績を修めて、善行で学友や教師陣から好い評価を貰い、嬉々として報告してきた幼い頃のあの子の姿を思い出す。私はもっと、手放しであの子を称賛するべきだった。面とあの子に向き合うべきだった。申し訳なく思う。
出産の日はやってきた。逃亡を図った夜以降、まるで神憑りにでもなったように沈着としていたマリアは、そのときになって叫びだした。「産みたくない。私から出ないで。このまま皆で死なせて」と。それは人としての、母としての本心だったに違いない。
こんなにも
そして、君が生まれた。親である私たちよりも先に、その場に立ち会っていた上位の神官たちが君を抱き、祝詞を上げる。明日の晩には死なねばならない我が子との時間を奪われることに、私は激高した。だが、彼らはまるで私など相手にはしなかった。
アンドレーアが生まれて、ようやく君はマリアの胸に返された。気を失うように眠りに落ちた彼女の
翌朝目覚めたマリアは、君たち二人を晩まで離さなかった。これから死にゆく君と、これから別れるアンドレーアとの時間をひと時も無駄にはしたくないという思いが伝わってきた。このときばかりは、神官たちも私たち親子四人に残されたわずかばかりの時間を尊重してくれた。
静かで、哀しく、幸福な時間だった。永遠に続けばよいと思う傍らで、私自身もう既に覚悟も定まっていたように思う。否、哀しみや悔しさなどといった感情で、この貴重な時間を無為にしたくはないという気持ちが働いたのかもしれない。東の空に満月が昇ってくるまで、私たちはまるで明日もその先も、この穏やかな一日が続いていくかのように、他愛のないことを話し、互いを労い、我が子らの愛らしさについて語って過ごした。
ついにその時はやってきた。満月が天頂に昇る頃、私たちは静かな浜辺へとやってきた。私はアンドレーアを抱き、マリアは君を抱いていた。見届ける神官は七人だった。木の小舟に花を敷き詰め、眠る君はその中に横たえられた。手押しながら海水の中へと浸っていく妻の後ろ姿を、私は砂浜から見守るだけだった。
そのとき、私は気づいた。隣に立っていた当時の神官長――君たちの祖父に当たる人物だが、彼の瞳に涙が滲んでいたことに。彼もまた、己の立場と闘っていたのだと、私はようやく理解した。かと言って、そのことで私自身の哀しみが軽くなるわけでもなかったのだが。
マリアの胸のあたりまでが海に沈んだ頃だったろうか。彼女の姿は突然消えた。足場が消えたのか、波に拐われてしまったのか……。いずれにせよ、その日は大潮で、波の高い日だった。
私は思わず駆け出していた。まだ間に合う。今なら二人を取り戻せる。しかし、高い波は私を押し返し、先へ進ませてはくれなかった。アンドレーアが泣き出して、ようやく私は彼の足が冷たい水に触れてしまっていたことに気がついた。遠く離れていく小さな舟と、海の中に消えてしまった妻の面影を、高波に倒されそうになりながらも、そこから動けぬままに見つめることしかできなかった。
君が生きていたと知ったとき、私はマリアが君を護ってくれたに違いないと思った。だが、それと同時に、私が君に対して犯した不条理の重さは、到底顔向けできるものではないとも感じた。私は、自分が君の視界に入らないことが君のためになると己に言い聞かせ、そのようにして、本当のところでは逃げていたに過ぎない。
君にとって母のような人、或いは君が母と慕う人はいるかもしれない。だが、どうか君を産んだ母がいたことも知っておいてほしい。彼女は子供たちを愛していた。
そして最後に一つだけ、私が君に関して願うことが許されるのなら、どうか幸福であってほしい。
ここまで読んでくれてありがとう。
テオドーロ・アルベルティーニ
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本気で望んでいなかったのなら、本気で抗ってみりゃよかったじゃねえか。
俺は昨日、親父の前でそう言った。だがどうだ? あの人は十分に本気だったらしい。どうしたって、それが通用しなかっただけで。
自分でも不思議なくらいに、感情は動かなかった。戸惑いすぎていたのかもしれない。ここに書いてあることは全て、嘘偽りのない真実なんだろう。あの人の気持ちも含めて。
いよいよ、思いのぶつける先が消えた気がした。不運を誰かのせいにしたかった。俺が悪いことをしたわけじゃないって思うために。けど、結局誰のせいにもできない。
なにがいけなかったんだろう。どうして俺はこうなってしまったんだろう。俺の生き方が下手だったんだろうか。
誰も、俺を責めやしない。ただ俺だけが、俺を責めている。ずっと、俺がそれに気づかないでいるうちから。
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