メレーの子(後編) 2

 ヴァイタス王と彼が伴ってきた者たちは、磨き上げられた鋼の剣を携えていた。アウラが治めていた北の都は滅ぼされ、水晶の座にはヴァイタス王が我が物顔で腰掛けている。彼の前には都中から奪い取ったのであろう金銀宝玉が供され、王の右手側には力の神トーラス、左手側には闘神アイグリスが控えていた。

 クレスの民は戦を知らない。故に武器も持たない。殺戮され、略奪されることを許す以外に、彼らに道はなかった。

 メリウスは妻の座に居座るヴァイタス王の前に降り立った。武具を纏ったヴァイタスの配下の人間たちは、突如として自らの王の前に現れた他の半神の姿に後込んだ。

 ヴァイタスは泰然として、笑みを浮かべメリウスを見上げた。「よくぞおいでなすったな、メリウス王よ。随分と速やかなご到着に畏れ入るばかり。電雷となって空を駆けるリヨンの姿たるや、美事みごとであった」彼は水晶の座から立つことなく、元よりそこが自分の居場所であるかのように振る舞い、言った。

 メリウスは硬く言った。「あなたをこのような形で我が国に歓迎するつもりはなかった」

「さもありなん」ヴァイタスは頷きつつ水晶の座を立った。メリウスよりも幾分か高い場所に、彼の翡翠の瞳がある。ヴァイタスはその二つの翡翠を、メリウスの背後に立つリヨンへと向けた。「雷神殿。あなたが随分と留守になさるので、片割れのシルフィードがそれは寂しんでおられるぞ。知らぬではあるまいに。時折には戻って来られよ」

「あやつは私以上の自由者だ。私に物申したいのならば先ず己の放浪癖を見返るが良い」リヨンは死んだ金剛石を彷彿とさせるような、硬く冷たい調子で応えた。

 ヴァイタスは声を上げて笑った。「さても、温厚なあなたであれ、いざその怒りに触れよとなれば恐ろしい。あなたが降らす光の槍は一切を破壊する。力と闘いの親であることに疑念を抱く余地はない。故にこそ、その自制の心持ちを是非にも見倣いたいところだ。ともあれ、原初の神とは己がいかにも自由者であるように振る舞うことがお上手であるな。なあ、そうは思わぬか、メリウス王」

 メリウスは口を噤んだまま、ヴァイタスを見つめた。リヨンはフェムトスが作り出した初めの神である。メレーを祖とするピトゥレー同様、リヨンもまた最も古い時代に誕生した神となる。かれと風神シルフィードは双児であり、以降フェムトスの系譜に属する神々は多く対となる存在と共に生まれている。今ヴァイタス王の傍らに控えるトーラスとアイグリスも双児であり、かれらはリヨンより生じた原初に近い神だ。

 ヴァイタスはメリウスを前にしながらも、尚リヨンへと語りかけた。「シルフィードを怒らせることは愚かだが、あなたを怒らせるほどのことではない。あなたは雷電のみならず炎をも従える。ヴェントの民の血の気はどうしたことか。あの冷淡な父君フェムトスの性質には到底似つかぬから、どうにも手を焼かせる。あなたも左様ではあるまいか。故に祖の地を後にし、この文化的で温厚な人間らの土地に根ざしたのでは」

「根ざしてはおらぬ」リヨンは否定した。

「神の千年とは瞬きの間か」ヴァイタスは呟き、水晶の座に腰を下ろした。

 メリウスは鋼鉄に覆われたヴァイタスの腕を掴んだ。「そこは妻の席だ。離れてもらおう」

 ヴァイタスはメリウスの手を払い除けはしなかったが、煩わしげな様子をあらわに翡翠の目を伏せた。「いやなに、休息を頂きたいだけさ」

「随分と勝手が過ぎるではないか。隣国を攻め民を殺め、王の妻を殺し利く口がそれか」メリウスの声音に怒りの感情が滲んだ。

「彼女に手を下したのは、貴殿の背後にいる御父上だが」トーラスが訂正する。

 メリウスは「そうさせたのは貴様らであろうが」と、ついに声を荒げた。

 ヴァイタスは深く息を吐いた。彼はメリウスの衣服の襟を掴み、その顔を引き寄せた。そして周囲の人間らに聞かせぬようにか、神の言葉を用いて言った。「配下の手前、私は床に座り込むわけにはいかぬのだ。この意味が分かるかね、賢き王よ。私がどのようにヴェントを治めたか知っているか。『力』と『戦』だ。千の人を従える勇敢な戦士の思い上がりを挫き、共々を従えられる力だ。掟を破る者を厳格に罰し、反抗を許さぬ、その気概さえ起こさせぬ程の力だ。それが私に与えられたもの。それを示せぬ私に価値はない。こうまで申せばお解りになるだろう」

「ならば、なぜ配下を伴って来た」メリウスもまた神の言葉を使い訊ねた。湧き上がる怒りを抑えつつ。

 ヴァイタスは笑み、配下を見やった。「罰を与える者がなければ掟を守ろうとはせぬであろう。私が留守にした間に殺し合いを再開されては堪らぬからな」

 ヴァイタスの配下である屈強な姿をした人間たちは、美麗な青年の姿をした王の視線を恐れるように、身を竦ませた。

 ヴァイタスは再び、翡翠の眼光鋭くメリウスを見上げた。振る舞いは身勝手でありながら、ヴァイタスがその瞳を以て言外に訴えるのは、先んじて生まれた半神の王への助力であることを、メリウスはふと覚った。

「私は、貴殿のような賢さを持ち合わせておらぬ」ヴァイタスはメリウスの襟元から手を離し、再び水晶の座を立った。そして壇を下り、配下が囲む広間の中央へと移動した。そして、ここからは人の言葉を使い話した。「私からの提案だ、メリウス王。同じ半神同士、どちらがより優れているか、試してみようではないか。力が優か、それとも智が優か。貴殿が勝てば、我々の王国はあなたに差し上げよう。しかし私が勝ったなら、貴殿の王国は私のものだ」

「あなたは世界を治めるつもりか」メリウスはヴァイタスの姿を目で追い、同じく人の言葉で訊ねた。

 ヴァイタスは腰に提げた双剣の柄に触れ、月長の一枚岩に覆われた天を見上げた。「むしろ、なぜそうしない。我らはなぜ別の王国を築いたのだ。私はフェムトスの子で、貴殿はメレーの子だ。親であるかれらは共に〈月の神子〉の守護神なのだから、揃って系譜を築き、王を生み出せば良かったのだ。さすればこの地上へ須らく月帝神族の威を示せたであろうものを」

「威を示してどうなる」メリウスは訊ねた。

「無意味な争いは鎮まらぬか」ヴァイタスは顔貌を天へ向けたまま、翡翠の瞳でメリウスへと訊ね返した。

 メリウスは「それはどうであろう」と呟いた。その言葉はヴァイタスの耳へも届いたはずだが、彼はさして気に留めた様子もなかった。争いごとに関してはよほどメリウスよりも精通しているであろうヴァイタスは、自ら口にした言葉に信念を抱いているふうではなかった。

 ヴァイタスは意識を地上へと引き下ろし、剣の一つをメリウスへと差し出す。「暫し貴殿のものだ。これを扱ったことはあるか、賢神メレーの王」

「否」とメリウスは答えた。神殿の装飾品として見、触れたことはあれど、人を切り裂く道具として扱ったことは一度たりともない。

「ならば何度か刺し切ってやろう。そうしたなら、見真似もできるだろう。さあ、下りて参れ」ヴァイタスは壇上にいるメリウスを促した。

 メリウスはヴァイタスの翡翠の双眼を見つめた。己に挑むというその真意を、この短い時間、会話の中でメリウスは汲みとっていた。ヴァイタスは、ヴェントをメリウスに託すためにやって来たのだ。元より彼にメリウスを倒すつもりはない。クレス王国へ攻め入り、北の都を滅ぼし、王の妻を死へ追いやることで、彼はメリウスと対峙する口実を作った。己の力を配下の人間たちに示しつつ、メリウスの怒りを買う。確かに、メリウスがヴァイタスを倒すには十分な動機づけである。これまでに圧倒的な力を示してきたヴァイタスがメリウスに敵わなければ、メリウスはヴァイタスを超える王として畏れられ、ヴェントの民に迎えられるだろう。

 ヴァイタスの神気の弱まりを、メリウスは感じ取ることができた。彼が水晶の座より立つことを厭んでいたのは、事実衰弱していた為であることに違いなかった。半神を殺められるのは、神か、同じ半神のみである。ヴァイタスに側控えるトーラスもアイグリスも、神気を王へ与えようとはしていない。彼らの内では既に取り決められた計画なのだろうか。ならば、あとはメリウスがその計画に乗るか否か、それだけである。

「私が思うより、あなたは賢明であったのだな」メリウスは壇を下り、ヴァイタスの元へ歩み進んだ。そして彼が差し出す剣を受け取った。

 ヴァイタスの微弱な神気が、安堵を得たように揺れた。そして彼は剣を構えた。「先ずは手本を示そう。その折には貴殿に斬り掛かるが、受けるも避けるも自由だ。いずれにせよ、ここで殺めるような真似はせぬ。貴殿が要領を得て斬って返してきたなら、私は貴殿を殺す心算で参る」

 断りを入れた後、ヴァイタスは瞬きも終わらぬ間に凡そ十歩分の距離を詰め、メリウスの右手側に剣を薙ぎ入れた。メリウスはそれを、ヴァイタスが振るう剣の片割れで弾き返した。

「流石、私より六百年も先んじて生まれてこられただけのことはお有りだ。想像していたよりも張り合いがある」ヴァイタスは感嘆しながらも、人の目では到底捉えられぬ神速の剣捌きを披露した。衰弱したとて半神の身。これが終いの戦いと覚悟した彼は、持てる力の尽くを発散しようとしているようだった。

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