メレーの子(前編) 5

 メリウスがジュローラへ帰還したとき、彼は少年と呼ばれる年頃を過ぎていた。彼の背丈は頭一つ分以上も伸び、その素直さは変わらずとも、幼い精神から脱していた。

 ジュローラは賑わいを取り戻していた。崩壊以前の街並みとは変わったが、メリウスが各地から集めた人々と神々の協力を得て再建されたジュローラは以前にも増して活気づき、領域はより広大なものとなっていた。

 メリウスは早速街を散策しようとしたが、彼の帰還はたちまちのうちに知れ渡り、瞬く間にも人々に囲まれ、身動きを封じられた。神々もまたメリウスの元へ集った。第一に彼の帰還を喜んだのは、かつてメリウスに白詰草の首飾りを贈り見送った、フィオリローザだった。その植物の贈り物は、数年の時を経ても変わることなくメリウスの首元を飾り続けていた。

 フィオリローザは成長したメリウスを抱きしめ、ロゼーの花弁を舞わせた。「あなたの帰りを待っていました。驚いたでしょう。これ以上に賑わう街が他にあるでしょうか。あなたが集めた者たちが、これほどまでにジュローラを大きくしてくれたのです」

 舞い散るロゼーの花弁が幾らか落ち着く頃、アマーラの街からやって来たエファラディートが、難しげな様子でメリウスに声をかけた。「喜び合っているところに申し訳ないのだけれど、今起こっている問題について、伝えても構いませんか」

「問題とは」メリウスは喜びの冷めぬフィオリローザを宥めながら訊ねた。

 美を司るエファラディートに並び立っても霞まぬ美貌を持つリヨンが進み出た。かれとはセレノスの街で出会った。かつてジュローラに大波が押し寄せた際、人々にメレーの神殿へ逃げ込むように告げて去った雷神である。かれは同様にして各地へと危険を告げ、結果として多くの人々を救った。「各地から人が集まったであろう。皆、それぞれの習慣と信仰を持っている。その点において相容れることが難しいらしく、各々が信仰してきた神のうち、誰が最も優れているのかなどといった理由で争ってしまう。我々にとっては、生まれ順や司るものごとの大きさなど些末でしかないのだが、人間にとってはそうでないらしい。街は確かに大きくなった。しかし、今は生まれ育った故郷者同士で、居住地が分かれている」

 メリウスは落胆した。この地に集まった者たちは、皆故郷を失っている。同じ苦境を味わっているのならば、互いを理解し合えるものだとメリウスは考えていたのだ。しかし、ものごとはメリウスが予想したようにはいかなかった。彼はどうするべきか考え、悩んだ。

「メリウス様、どの神が最も優れているのか、どうかあなたが決めてください」

 人々の中から、水晶同士を打ち鳴らしたような、心地よく透き通る声がした。メリウスはその声の主を探そうとしたが、その者は自らメリウスの前へと進み出た。

 それはメレーだった。美しい人の女の姿をしていたが、メリウスには彼女がメレーであることが一目で分かった。

「あなたが決めたことならば、私たちは従います」メレーは水晶の声で言った。

 人々はざわめいた。それは賛同の意を各々が隣人と確かめ合うために起こったものだった。自分たちを救うべく最も奔走した者が誰であるのか、皆が理解していたからだ。

 メリウスはメレーを見つめた。『人の神』という言葉の意味、あるべき姿を、メリウスはこの時ひとつ発見した。彼は人々を見渡し、神々へも目を向けた。メリウスは手を握り体内の空気を吐き出してから、近くの石段に飛び乗った。

「私があなた方を導きましょう」メリウスは高らかに宣言した。

 メリウスを見上げ困惑をあらわにする人々に向け、メリウスは拡声の術を用いて続けた。「私は、あなた方に嘘をついてきた。私の父は人間です。そして、私はメレーの子でもある。私はあなた方の兄弟で、ここにおられる神々とも兄弟なのです」

 人々はメリウスが神の術を用いることは知っている。それによって救けられたのだから。現にメリウスは術を用いて、広大な街の全てに自らの声を届けている。だが、メリウス自身は常に自分自身のことを「人間である」と言い切ってきただけではなく、「神ではない」と強く主張してきた。また、彼の容姿は人間の若者と変わりないように人々の目には映っていた。多くの人々は、メリウスの言葉を半ば信じたが、半ば疑った。

 メリウスは続けた。「誰もが各々に尊敬する神がおられることでしょう。けれども、その神々の祖はメレーであって、最も偉大な神を挙げよというのならば、少なくともメレーの系譜に属する神々の守護を受ける我々にとっては、メレーでしょう。しかし、もはやメレーの姿を捉えられる目を持つ人間はいません。あなた方はそれぞれに信仰してきた神を、変わらずに敬って良いのです。けれども、かれらの中から一番を選ぶことはできません。選ぶことであなた方が争うのならば、それは必要のないことです。そもそも、かれらに優劣などありません。どの神を敬う者が偉いなどということもない。ですが、半神半人などという存在ならば、皆さんは半端なものだと思うのかもしれません。しかし私が神であり、人であることは事実で、そのことを私自身がいつまでも否定し続けるわけにはいかないのでしょう。半ばに属する存在であるがこそ果たせる役割を、果たさねばならない。それは、この場所をあなた方の安らぎの場、真の拠り所としてゆくこと。私がメレーより授けられた使命であるのと同時に、私という人間が抱く願望です。もし、あなた方が私のこの願いに賛同してくださるのなら、それ以上に喜ぶべきことは、今の私にはありません」

 静まり返った広場の中心に、メリウスは立っていた。彼は少しばかりの神の力を持つ人間の若者であろうか。それとも、人の姿をした弱い神であろうか。そのような存在に人々は付き従うものであろうか。人々を導くことが役目であると、彼はメレーより伝えられてきた。そして今、彼の目前にはメレーがいて、当にその時であるとばかりに言い寄られ見つめられれば、メリウスはこの瞬間に覚悟を決める他なかった。

「あなたは偉大だ」と、奥の方で男が拳を突き上げた。その隣には少女がいた。

 メリウスは、声を上げた男が、かつて崩れ落ちたこの街で共に瓦礫を退けて回った一人であると、すぐに気づいた。そしてその傍らに立つ少女が、瓦礫の下から助け出した子供であるということも分かった。

「あなた様が来てくださらなければ、私達は渇き、死んでいたことでしょう」次に叫んだのは女だった。アマーラの街の者である。

 アマーラはエクアロイスの大河によって潤う街であった。しかし海の水に侵され、エクアロイス神が滅び、美しき河もまた消え去った。エファラディートには夫であるエクアロイスの河を蘇らせることができず、多くの人々が渇き、死んでいった。アマーラの人々に対し、『街を捨てる』という決断をさせたのはメリウスである。それは、大河とともに生きてきた人々にとって、途方もなく勇気の要ることであった。だが、メリウスの熱心な説得によって彼らは動いた。そうしてジュローラに住み、エファラディートがジュローラに蘇らせたエクアロイスの小川によって、今は十分な潤いを得て生活している。

「あなたは人の苦しみが分かる。まさに人の神です」若い声が言った。少年である。彼はセレノスの街の子だ。

 セレノスの街は島に築かれていた。しかし人々が神殿を造り崇めていた神は、街が壊れ人々が苦しみ死んでいっても気に留めはしなかった。メリウスは神殿の神ネッソに幾度も助力を請うたが、かれはついに見向かなかった。メリウスはセレノスの人々へも街を出ることを勧めた。残った者たちもいたが、多くの若者はジュローラの街に移住することを決断した。メリウスは放浪していたリヨンにセレノスの人々を託し、次の街へと向かったのだった。

 メリウスの働きを思い出した人々は、「メリウス様に従います」と声高に宣言し、「『人神』メリウス」と言った。

 メリウスは手を挙げて人々の声を抑えた。「確かに、私は半神であるけれども、『神』と呼ばれるとやはり居心地が良くない。私の半分はあなた方と同じ人間なのだから。ですから、私のことは『王』と呼んでください。半神の私のためにメレーが作った言葉です。そして、ジュローラの人々には、お伝えしなければならないことがあります」メリウスは一呼吸を置いて言った。「私の父は、かつてこの街で神官をしていた、アンドローレスなのです」

 人々は再び静まった。ジュローラの者たちは勿論のこと、事情を知らぬ他の地よりやって来た者たちも、ジュローラの人々の様子にただならぬものを感じた様子で、互いに顔を見合わせた。

 アンドローレス。かつてジュローラの人々より尊敬を集めた若き神官。しかし神への誓いを破った者として堕ち蔑まれ死んだ男である。そのことを知らぬジュローラの民が、一体どれほどいただろうか。

「メリウス王」ジュローラの民の当惑を散らすように、先の拳を上げた男、かつてメリウスと共に街の瓦礫を退けて回った男が叫んだ。

 メリウスを王と呼ぶその声は広がり、静まっていたジュローラの民も互いに手を握り合い、「メリウス王、我らが誇るべきアンドローレスの子」と声高に言った。その中には、アンドローレスと共に過ごしたこともあろう、メレーの神官服を纏う者もいた。

 メリウスの胸は歓喜に震えた。旅を共にしたキュアストスが彼の背を柔く叩いた。メリウスは眼前のメレーに向かい、「これで宜しいのでしょう」と確かめた。

 メレーは微笑み、メリウスを囲む神々に向けて言った。「彼はまだ、とても若い。皆の助けを必要とすることでしょう」

「我々はメリウス王に、力と知恵を貸すことを惜しみません」フィオリローザ、キュアストス、エファラディート、そしてリヨンを始めとする神々が応えた。

 メリウスはこの場に集う全ての人々と神々に深く感謝し、かれらと共に、かれらのために己の力を尽くすことを誓った。

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