冬桜心中

桐野

第1話 冬桜心中

 吹き付ける風が頬を切るように冷たく吹き荒んでいた。息を白く染めながら、私は静かに揺れる水面を見つめて、小さな花束をそっと流す。上手く湖の真ん中まで届くようにと、僅かながらに力を込めて。


 舗装されていない岩場は足元が悪く、私は何度も足を取られた。そういえば、夜も同じだった。



 優しい声に振り返る。いつもよりきちんと制服を着こなした青野八重子が、寂しげに微笑んでいた。


 あれから二週間、彼女の笑った顔を久しぶりに見た。まるで笑うことを罰だと思っているみたい。


ーーあの子もきっと、彼女に笑ってほしいと思っているはず。


 灰色の空の下、真っ黒なセーラー服は憂鬱の象徴みたいだ。白いスカーフが蝶のように彼女の胸元で揺れている。


「これを依桜ちゃんに」


 白を基調とした花束だが、気の効いたグリーンのアレンジがお悔やみの雰囲気を感じさせない。それはきっと、彼女なりの気遣いのつもりだろう。


「……ありがとう、依桜が喜ぶ」


 憂依と依桜は朝岡家の自慢の双子だった。

 二人は一卵性の双子で、片口で切り揃えられた艶やかな黒髪、長い睫毛、桜色の唇、小柄で華奢な体格も同じだった。初対面ではまず見分けるのが難しい。家族でさえ間違えることがあるくらいだ。幼い頃はよく、お互いに大人たちや友人を揶揄っていた。


 姉の憂依は成績優秀で、常に学年上位だった。妹の依桜も優秀だったが、姉程ではなかった。その代わり、依桜は絵を描くこと得意で、この湖を描いて金賞を獲ったこともある。


 長く二人を見ていると、徐々に違いが見えて来るはずだ。憂依の方が気が強くて、よく口が回る。依桜の方が物静かで芯が強い。過ごす時間が増えると、その性格が顔にも出ていると感じることがあると誰かが言っていた。


 甘い花の香りがする。八重子は岸辺に立つと腕を勢いよく振ってできるだけ遠くへ花束を飛ばした。勢いに負けた花弁が水面に散って美しい。


 それは向こう岸にも届くようにというより、遺された者の怒りや苛立ちをぶつけた様だった。


 八重子は一瞬だけ歯を食いしばりながら空を睨みつけると、すぐにこちらを気遣うように弱々しく微笑んだ。


「……憂依、いつ頃から学校に戻れそう?」


「わからない、お医者様はしばらく安静にしてなさいだって」


 あれ、と小さく声を上げる。足元の岩場がぽつりぽつりと、雨でも降り出したように濡れていることに気付き、初めて自分が泣いていることを知った。


「ああ、泣かないで……。まだ早かったよね。私ったら無神経で本当にごめん。ごめんね、ごめん憂依……」


 八重子はその場に崩れ落ちるように膝を突いた。ほっそりとした膝が岩に擦れて赤くなっている。


 私もワンピースが汚れることも厭わずに、その場にゆっくりと腰を下ろした。


「私は平気だよ、八重子」


 彼女は小さな顔を両手で隠して肩を震わせて泣いている。制服の袖が少しもたついている。


 元々華奢だったけれど、こんなに細かっただろうか。少し合わない間に痩せたのかもしれない。そういえば、顔も青ざめていたし、自慢の栗色の髪に艶もない。


「……だからね、八重子。お願い、私を抱き締めて」


 八重子は赦しを請うような瞳で私を見上げた。


「憂依……」


 八重子の乾燥した手が、私の頬に優しく触れた。泣いても泣いても、枯れることなんてなかった。もしかしたら涙腺なんてもの、とっくに崩壊してるのかもしれない。


 朝岡依桜は死んだ。あの夜、永遠に。

 


 

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