戦争の後遺症

猫又大統領

読み切り

「大丈夫?」

 車を降りてドアを閉めると、上司のエイジさんが窓を開けて珍しく哀れみの表情を作りながら俺の目をまっすぐにみつめて呟いた。

「大丈夫です。自分が適任です。それに、迷惑をかけてばかりなので」

 俺はそういうと、まだ顔に哀れみを浮かべているエイジさんに軽く頭を下げた。

 

 地方から離れ中央での厳しい訓練が終わっても一人前には程遠いために人より走り回っていた。数年後、実家に戻るときには少しは成長をした自分を見せたいと思いながら日々を過ごしていた。

 だが、こうして今、実家の前に立っているなんてことを資料を読みながら伸びきった即席めんを食べていた、昨日の俺にいっても信じないだろう。


 見慣れてはいたけれど、押しなれない実家のインターホンのボタンを深く息を吐いて押した。

 2階の窓のカーテンが少し揺れたようにみえた。母はインターホンが鳴るとドアを開ける前に必ずカーテンの隙間から相手を覗くのが習慣になっていた。度重なる戦争の影響でしなくてもい警戒をする人だった。


「はい……」

 不安そうな母の声がインターホンから聞こえた。

「ただいま」

「え、マサオ? ど、どうして、ど、どうしたの?」

 玄関のドアが勢いよく開くと、母が俺の顔を見ると言葉も交わさず涙をこぼし始めた。

 母は涙を拭きながら俺を家に迎えてくれた。


 リビングにつくと、家族の中で俺だけが好きだったビスケットと紅茶がテーブルに運ばれてきた。

「ありがとう」

 俺は礼をひとこといった。だがビスケットと紅茶に口を付ける気分ではなかった。

「もう、当分は戻れないって……思っていたのに……来るならもっと好きなもの買って待ってたのよ……」

「職務できたんだ。この時間父さんはリハビリ。弟たちは学校。話が進めやすいと思って」

 俺は声色を変え、母の目をみていった。

 母はこの事態を人一倍理解してくれると思った。それは息子が黒い噂の絶えない政府機関の職員になり、家計を支えていることを何よりも知っているからだ。父の薬代、弟たちの学費。とても母ひとりでは払えなかった。

 当時志していた教師の道をあきらめ、政府の職員になった俺のことを母は今でも悔いていたことを察していた。


「な、なんのことなの、なんでも協力するわ。全部協力するわ」

 母の目は怯えていた。

「SNSの投稿を消してほしい。古い手紙の文字がにじんでいたり、言い回しに難解なものがあって解読を依頼する内容の投稿をしたよね?」

「母の遺品だったのよ。悪気はなかったの。何が書かれているか知りたかっただけなのよ」

 母の額には汗が光っていた。

「ヒロキが見つけたんだよね。あの手紙。投稿にはそう書いてあった」

「い、ち、違う……私よ。私なの」

「ただ事実の確認をしたいだけだよ。嘘はつかないで。もっと事態が複雑になるから」

 俺は自分の左の胸を指でさしていった。

 母は目を一瞬見開くと、盗聴器が俺に取り付けられていることを理解したようだった。

「もう一度聞きます。ヒロキが見つけたんだよね。母さん」

「そう。そうよ。ごめんなさい。記憶が混乱していて」

「大丈夫、投稿の削除と手紙をすべて渡してほしい。今すぐに」

 俺がそういうと、母はリビングを小走りで出て行った。

 母は息を切らしながら戻ってくると、古びた箱をテーブルに静かに置いた。

「これよ。本当にこれで、全部だから……投稿は消したわ」

 箱を開き、その中には我々の先代の職員による暗号で作られた手紙が含まれていることを確認すると箱を閉じた。

「じゃあ、帰るね。これ以上いても怖がらせるだけだろうから。ヒロキには何の罰もないから安心して」

「そ、そんなんじゃ……ヒロキのこと……お願い」

 母の心はヒロキを守りたい一心なのはますます吹き出す汗がものがたっていた。

 俺はビスケットを1枚ポッケに入れると振り返ることなく家を出た。


 車に乗り込みとその瞬間、エイジさんの口元が少し緩んだようなきがした。

「おかえり、どうだった?」

「手紙の回収を完了しました」

「すまないね。お疲れ」

「いえ。自分で志願したので」

「それにしても恋文を組織で使っている暗号で送り合うなんて厄介なロマンチストだったね。君の祖父は」

 エイジさんはにやけながらそういった。

「返す言葉もありません」

「しかも、祖母も暗号を覚えたなんてたいしたもんだよ」

「祖父が職員だったなんて家族からそんな話を聞いたことがないので驚きました」

「あの世代はみんな隠しているからね。まあ、そのやり取りがなければ君とこうして出会うこともなかったのか」

「そうですね」

「ある意味さ。隠すってことは家族想いだと思うね。君と同じだ。盗聴器を付けているのをバラした件は見逃がそう。この恋文を読む代わりに」

 俺はエイジさんが運転中、内容の詳しい解析のためにひたすら恋文を読み上げた。

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