第2話
空耳ではない。確かに聞こえた。
眩しいことも忘れて正面に向き直り、前方を見据えてエゼルディアは、息を呑む。
そこに一人の青年が立っていたのだ。
目の前は空中のはずだが、裾長の黒い外套に身を包んだ青年が、翼も足場もある様子がないのに、ごく平然と空に立っている。
エゼルディアは言葉もなく、唖然とその人物を見つめた。
黒色の髪に、鮮やかな緑の瞳。
肌の色は一般的なサスキア人と同じ、滑らかな象牙色だ。
顔立ちは整っていると言えるだろう。歳は十七の自分と同じくらいだろうか。
青年はしばらくの間、どこか物憂げな表情で、じっとこちらを見つめ返していた。
やがて静かに口を動かした。
「君は神の法廷に立たされた。被告人の弁護をするのが僕の仕事だが、拒否するならばその限りではない。僕に調査と弁護を依頼するのなら、この手を取れ」
言いながら一歩前に出て、手を差し出してくる。
エゼルディアは反射的に彼の手を取りかけ、途中で気付いた。
自分は縛られているのだから、手など出せるわけがないのだ。
しかしそう考えたときにはもう、指先が青年の掌に収まっている。
「どうして……!?」
狼狽し、とっさに背後を振り返っても、そこには何も見当たらなかった。
どういうわけか、<天罰の御柱>がすっかり消え失せているのだ。
「ここは君が暮らしている世界ではない。今の君はいわば、魂のような存在だ」
愕然としている間にも、落ち着き払った青年の声が聞こえてきた。
「現実の君は時を止めた状態で保全される。依頼主の体が調査中に劣化、破損しないよう努めるのも、僕の仕事のうちだ。副作用などはないから安心していい」
急に怖くなり、青年に預けた手を引き戻そうとした途端、鋭い声が降ってくる。
「気をつけろ。僕から手を離すことは契約の解除、調査の終了を意味する。中途半端なところで放り出されたくなければ、この手は調査継続中、絶対に離すな」
エゼルディアは浅い呼吸を繰り返し、震える唇をどうにか動かした。
「誰なのよ、あなた?」
怯え切った声で、ようやく言葉らしきものを発する。
「魂ってどういうこと? 私、どうなってるの? あなたは一体……」
尋ねると同時に頭の中では、青年の言動が目まぐるしく回転していた。
弁護、依頼、調査……こんな現実離れした空間で、ずいぶんと現実的な言葉たちだ。自分への力添えを強く神に祈った直後、彼は忽然と現れた。
もしやこれは、神がくれた機会なのか?
はたまた自分はとっくに気絶していて、都合の良い夢を見ているのだろうか。
(……だったら、それでいいかもしれない)
繋いだ手を見つめながら、エゼルディアはきゅっと唇を引き結んだ。
絶望に苛まれながら時を消費するよりは、希望のある夢でも見ていた方が、ましかもしれない。風雨に曝され、雷に怯えながら過ごすよりは。
いくらか呼吸を落ち着けてから、エゼルディアは改めて青年の顔を見た。
彼は先ほど、自分をなんと紹介していたっけ?
「僕に名は必要ないが、不便ならアンルーと呼んでくれればいい。僕は弁護士だ」
何度も言わせるなと言わんばかりに、彼は緑の瞳を少し細めた。
「神の法廷に立たされた被告人の弁護をするのが、僕の仕事だ」
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