第10話 賢者

「さてと」

 と言いながら、Mr.レディは椅子をマットウェルが寝ている側まで引っ張って来、腰を下ろした。長い脚は自然な動きで組んでいる。男なら、きっと見とれてしまうだろう。


「まずは自己紹介といこうか。私はアルゴス。薬草栽培、薬製造、その他ガーデニング、日曜大工も何でもお任せ、町の便利屋さんだ」

 美しいMr.レディは、にっこりと形の良い唇を上げて微笑みかける。そこに先程部屋を出て行ったサーヤが戻って来た。

「違うでしょ、師匠。そっちは副業」

 言いながら、サイドテーブルに水が入ったコップと薬が乗ったお盆を置き、マットウェルを起こそうと、腕を彼の肩の下にすべり込ませた。

「大丈夫? 痛み止めの薬があるから、飲んでみて」

「あ、ありがとう……」

 ゆっくりと上体を起き上がらせる。骨がきしむように痛んだが、なんとか座る事が出来た。渡された水と粉薬を飲む。とても苦い。吐きそうになったが、懸命にこらえた。

「苦いでしょ。これは慣れるしかないの」

「“良薬りょうやく、口に苦し”と言うだろう?」

 苦笑するサーヤに、薬は苦くて当然と腕を組むアルゴス。マットウェルは、目の端に涙を浮かべながらも何とか薬を胃に流し込み、水を一気飲みした。すると、途端にズキズキと痛かった体が、楽になったのだ。不思議そうな顔をして、マットウェルはサーヤを見た。

「師匠が作った薬だから、効き目はバッチリ! 気分も落ち着いたかな」

 アルゴスとサーヤは、マットウェルの気持ちを一番に考えていた。記憶喪失からの不安や、体の痛みで精神が不安定になっていたのだ。アルゴスの隣に、サーヤも椅子を持って来て座った。


「あの、さっきの……副業って……」

 まだヒリヒリする舌を動かし、マットウェルが問うと、アルゴスが金の髪の毛をさらりと払った。



「私はガイヤの柱、“つちはしら”を守護する者。賢者とも言われるけど、人からはガーデニングのプロと呼ばれているわ!」

 得意気に胸を張る。

「いや、ガーデニングのプロの方を自慢しないで……」

 サーヤはため息をついた。



「賢者……」

 呟くと、ドクンと心臓が大きく跳ねた。何か、重要な事のように、ドクドクと脈打っている。

「ガイヤの柱って知ってる?」

 サーヤが聞くと、マットウェルは首を横に振った。

「まぁ、名前が思い出せない記憶喪失くんだから、しょうがないわね。あの婆さんが、外の世界の事を何も教えてなければ、それはそれで残念だけれど」

 ふぅ、とアルゴスが息を吐いた。


(婆さん?)


 マットウェルは、首をひねる。痛みはすっかりなくなっていた。


「この世界ガイヤにはね、五つの大きな力があるの。それを“五大元素ごだいげんそ”と言って、火・水・木・土・金に別れているわ。ガイヤが誕生した大昔、ガイヤが初めて生んだのが、この元素。最初はそれぞれ五大精霊ごだいせいれいとして姿があったんだけどね。今は元素の柱が五本、各地に立っていて、龍脈りゅうみゃくで繋がってる」

 アルゴスが説明した。


「龍脈?」

「人間で言う、血管の事。柱が生み出したエネルギーを、龍脈を通して世界中に行き渡らせ、最後はガイヤの核へと吸収される。世界中の人が豊かな土地で暮らせるのは、柱から送られたエネルギーのおかげってわけ。龍脈が血管なら、柱は心臓って所かしら」

 マットウェルは、ほう、と聞いている。

「で、私はその柱の一本を守る役目をガイヤに与えられているの。土の柱だから、植物の事に関しては誰よりも詳しいと思うわ」

「師匠が作る薬草は、効き目が凄いって評判なの」

 サーヤの方が、得意気になっている。

「ガイヤ……役目……」

 どこかで聞いた事があるような。思い出せそうで思い出せない。このはっきりとしない感覚に、マットウェルは気持ちの悪さを感じていた。

「質問は?」

「え? えぇと……。アルゴス様は、男? 女?」

「え、そこ?」

 アルゴスとサーヤの声がハモる。マットウェルがした質問は、とても単純なものだった。アルゴスの賢者としての役目は理解した。その上で、マットウェルは一人では解けない謎の答えを聞いたのだ。

「体の基本構造は女よ。でも男の部分もある。声帯せいたい喉仏のどぼとけは男のものだから男声なの。骨と筋肉も男だから、見た目よりも力はあるのよ」

 力こぶを作ってみせる。ムキっとたくましい筋肉だった。

「もっと女性らしい、しなやかな腕が良かったけどねぇ。でも、これが私の個性。あと心は、男と女、両方の部分を持っているから、どちらの気持ちも分かるのよ。女であり、男でもある。それが私」

「ああ、だからMr.レディ」

「ええ。ガイヤがあえてこの体と心を作ったのだもの。光栄に思わなきゃね。人と違うからって、何も恥ずべき事ではないし、胸を張って生きられるわ」

「私も、師匠が自慢なの。私を育ててくれた人だから」

「あらぁ、嬉しい事言ってくれんじゃない!」

 アルゴスは、サーヤをぎゅーっと抱きしめた。マットウェルはそんな二人を見て、心がちくりと痛む。その痛みが何かは、まだ分からないが。



「それじゃあ、次は君の事を教えてもらおうか」



 アルゴスの目つきがキュッと締まった。

「でも、俺は……」

「君が気を失っている間に、その体の事を診させてもらったわ。体が違和感だらけでしょ?」

「は、はい! 自分の体なのに、自分じゃない気がして――」

「サーヤ、鏡を貸して」

「はい」

 サーヤは壁際にある収納棚の引き出しを開け、言われた通り、鏡を出してアルゴスに渡した。

「自分の顔を、見てごらん」

 鏡をマットウェルに持たせる。鏡は、彼の今を映し出した。

「……え、これが俺?」



 戸惑いを隠せないマットウェル。


 元の姿は思い出せないが、心が違うと叫んでいる。


 鏡を持つ手が、震える。



 鏡に映ったマットウェルは、幼い少年の顔をしていた。

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