笑える話とか旅行の話とか

夏空蝉丸

第1話 てめえら、トイレ行ってから風呂入れ

 これは、今は昔、ブームが終わった頃にマイブームになる人間の私が、一時期温泉に行くことにハマっていて、しかもこじらせ系であるためにメジャー系のところはそれなりにいいものがあるもののやはり意外性が少なくその手の面白さみたいなものには若干かけるところがあると考えて町温泉に行った時の話である。


 当時、特に私が興味を持っていたのは秘湯と町温泉である。


 町温泉とは、私が適当に命名したものなので正式な呼び方はそれぞれあるのかもしれないが、ここでそう呼んでいるのは、温泉街にあるじもぴー専用の銭湯みたいなもので、いわゆる共同浴場のことである。


 あれは、一人旅で遠野から帰ってくるときに立ち寄った飯坂温泉だった。


 飯坂温泉と言えば、温泉マニアの人には説明する必要はないのだが、知らない人のためにガイドブックに載っている程度に簡単に説明すると、福島市の北郊、摺上川沿いに広がる大温泉街で、そのスケールは東北随一の鳴子、秋保に並ぶ奥州三名湯である。


 もっと簡単に言ってしまえば、福島にある有名な温泉である。


 そこで、私は鯖湖の湯という、まあ観光客が入りそうなところに行こうと思っていたのだが、私は長旅で疲れていたために途中にあった八幡温泉という町温泉に入ることにしたのだ。


 まず始めに戸惑ったのは、料金システムが不明なことであった。なんか、券を入れる箱は置いているのだが、人はいないしどうしようもないし途方に暮れていた。


 普通の人はここで諦めるものである。だが、私は諦めたくなかった。試合終了になりたくなかった。そこで迷子の子犬のようにウロウロとしていると、風呂からおっちゃんが出てきた。


「入浴の券ってどこで買うんですか?」

「そこだッペ」


 私はおっちゃんから教えてもらった近くの雑貨屋のような商店に入ると、閉店間際でやる気のなさそうなおばちゃんがいた。ヤバい。これは売ってくれないかも。とドキドキするものの何とか一枚券を買いこむことに成功した。そして私は、その券を握り締め、誰もいない受付に券を投げ込んで意気揚揚と風呂に乗りこんでいったのだ。


 その日は月がとっても綺麗で、空が澄み渡っていた夜だった。


 私は、着替えも石鹸道具一式も車に置いてきていたため、風呂の中のお湯をかき出して石鹸無しのタオルを使って体を洗っていた。そこには、お湯と水の蛇口が1組しか無く、他は、ホースが付いた水の蛇口が1つあるだけだった。そんなわけで、椅子すらないその温泉で床に座り込んで、熱い風呂のお湯で体を洗っていた。


 そこの風呂は、人がまともに浸かったら4人、腰だけ浸かるのなら10人位入れるような、いわゆるトレビの泉のように床を彫ったようになっている円の形をして中心から噴水のようにお湯が2方向に溢れ出している風呂であった。そのT字型になって溢れ出しているお湯の出口に丸い昔の飛行機の計器のような温度計が付いていて、それはその風呂が46度であることを教えていた。


 いくら私と言えども46度はなかなか風呂の中にはいるのに根性を必要としていたのだが、ジモピーの皆様は何事もないように(しかも、今日はぬるいっぺというような世間話をしている)その46度の風呂からお湯をかき出し体を洗っていた。そんな彼らの異能な光景を当然の様に平静を装いながら、しかし、私が風呂に心の中で「気合い、気合い、気合い。」と叫びながら風呂に浸かっていたときに、ジモピーの親子が入ってきた。


 田舎にいそうなじっちゃんとかではない。親はヤンキー系風貌のマッチョ。子供は……至って普通にいそうな推定年齢5才児だった。こんな時に私が抱く感想は一つ。関わり合いになりたくねーである。近くによってくんじゃねーである。


 が、マッチョは子供を連れて近づいてくる。と、子供は何を思ったか風呂に向かいながら「おしっこー」とか叫び始めた。


 ちょっと待て。駄目だろそれは。


 突っ込もうとする前にマッチョが子供を捕まえる。ああ、マッチョも普通の常識人だな。とか思っていたら、子供を方向転換させただけ。何故か子供はゼンマイを巻かれたチョロQのように走り出し、その風呂にあった二つしかない水が出ると思われる水色をした蛇口の一つの前でいきなし小便を始めた。


「……」


 流石に風呂が熱かったのと呆然としたことにより私は何も言うことができなかった。けど、注意をするべきだったかもしれない。親の方に走って戻ってくる子供はぺたぺたとおしっこのかかっていると推測される足で床の水しぶきを飛ばしながら近づいてくる。


「やめんかー」


 床より低いところでお湯に浸かっていた私は、熱い湯のせいで風呂の中で動くのも辛い。マッチョも怖い。ヘタレな私。可愛そうな俺。逃げることもできずにひたすら耐えるしかない。と思いながら横目でマッチョを見ると、マッチョは私の視線など気にもせずに子供に


「小便したのか?」


 と訊いた。


「うんっ。」


 子供は子供らしい元気さで答える。本来ならば、可愛らしい。愛らしい。などと思うところである。が、そんなことは考えられない。


「おめえら、殴ったろかっ!」


 と私の中の一人が叫ぶ。が、しかし、「我慢だ、我慢、人間そう簡単に切れたらあかん。-味方はおらんし、結構強そうだぞ、あのオヤジ」と言う心の中のもう一人の声に支えられ、なんとか見て見ぬ振りをして目を閉じて汚い水がはねないようにと耐え抜く私は、”ごん”っと殴られる音を聞いた。


「ほえっ?」


 と思って目を開くと、その子供がマッチョに殴られていた。痛そうなのに泣かないのか。と少し感心していると、マッチョは


「ほら、ちゃんとお湯をかぶれ」


 と言って、子供を押さえつけて46度のお湯をかけまくる。大人の私でもきつい温度だ。流石に子供ではそのお湯の温度に耐えられずに逃げ出した。


 マッチョは面倒くさいのか子供を追いかけることはしない。だから、自由を得たとばかりに子供はウロウロしていたが、不意にさっきと違うホースが付いた方の水色の蛇口の前でしゃがみこんだ。


 今度は何事? と思っていたら大きな声で、


「うんちしたい」


 と騒ぎだした。


「おぃ、おぃ、勘弁してくれよ」


 と私は思い、マッチョは今度こそトイレに連れて行く。と予想をしたのだが、マッチョは一言


「我慢しろ」


 と言ったきり子供の事を無視して自分の体を洗い始めた。


 ヤバいだろ。風呂場だぞ。野良犬じゃないんだぞ。子供がうんちをするかもしれないという恐怖にどきどきしていた私だったが、さすがに、その子供も大は我慢したようだった。けど、じっとはしていない。湯船の方に戻ってきて中に入ろうとする。しかし、やはりガキにとって46度のお湯は熱かったのか、湯船に手を突っ込んでお湯の熱さを確かめた所でホースを持ってきた。風呂にがんがん水を入れ始めようとした瞬間、それを目敏く見つけたオヤジはガキを殴り始めた。


「しょーりゅーけん。しょーりゅーけん」


 とりあえず、自分の息子をぼこぼこにしたマッチョは、子供を押さえつけながら、


「体を洗ってやる」


 と言って子供にお湯をかけ始めた。勿論、そのお湯は46℃の熱湯だ。かなり熱い。マッチョの手の中から逃げだそうとする子供だが、マッチョなオヤジの力に抗すること適わずもがき苦しんでいる。


「おめーも、会津の子なら、こんな程度のぬるい湯位我慢すっぺ」


 手足をばたばたさせて暴れまわる子供とそれを無理やり押さえつけて芋を洗うようにお湯をかけつづけるマッチョ。もうこんな奴らにつき合いきれんと思った私は、湯船の中にある噴水のようにT字のエンビから出ているお湯(つまり、湯船でないお湯)を使って体を洗って、逃げ出すようにそそくさとそこから出ていった。


 それ後、服を着ているときにときどき聞こえてくる意味不明の雄叫びを聞いて、こーやって、飯坂の男達は熱い湯に耐えれるようになるんだなと妙に感心する私であった。


注:風呂に入る前にトイレぐらい行っておきましょう。

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