引っ越し三日目(小説家になろう公式企画「春の推理2023 隣人」参加作品)

「おはようございます」


 マンションの隣の部屋、203に住んでいるのは親子らしい。

 というのは、小学生の男の子に挨拶をされたから。


「おはよう。行ってらっしゃい」


 まだ引っ越してから二日目。私がポストをのぞきに行く時間が彼の登校時間のようだ。初めて顔見知りになったご近所さんだな。

 名前を聞いてないや、と思ったけれど、見たら表札がない。


   * *


「空き部屋って言われてたのに?」

「そうなんだけど」


 会社でミサトちゃんに新居の感想を訊かれて話しているうちにこの話にもなった。

 よく考えると空き部屋のはずなのだ。

 私が一昨日引っ越してきたときには、管理人さんにも言われたんだけど。今度の週末にお隣のご家族が引っ越してこられますよ、って。


「あ、空き部屋、ってはっきりとは言われてないのね? 週末に引っ越してくるのに今の時点で前の家族がいるってことはあまりなさそうだよね」

「でも、坊やに挨拶されたんだよ。小学五年生くらいかな」

「管理人さん、201とかと間違えたかね?」


 うちは202。


「そういう間違いするような雰囲気でもないなあ」


 そんなふうに話してた。


   * *


 晩ご飯を買ってのその帰り。


「あ」


 女の子がぺこり、と頭を下げて、203号室に入っていった。やっぱり五年生くらい。

 お姉さんかな。妹さんかな。

 そのとき。


「あっ」


 何か飛び出してきて、ぶつかりそうになったので抱き上げた。

 子犬だ。茶色で、耳がたれている。ポメラニアン。

 お風呂に入ったばかりのような、清潔な匂いがする。

 そして、なんだか痩せている。顔は安心しきっているけど。


「ペコ!」


 男の子が飛び出してきて、


「すみません、こんばんは」


 そして律儀に私に挨拶する。


「ペコっていうの?」

「はい。よろしくお願いします」


 部屋へ戻っていった。


 このマンションはペット禁止じゃないし、今のも別に不審なところはない。

 でも、次の瞬間、がやがやとご夫婦らしい二人とおばあちゃんが慌てて203にやって来た。


「こんばんは」


 一応隣の住人なので、あいさつをする。


「こんばんは」


 疲れたようなお二人もそう返してくれて、


「すみません。今、この部屋に子供と犬がいませんでしたか?」

「ええ」

「やっぱり」


 ご夫婦が203のドアを開けようとすると、鍵がかかっている。


「こら! トウヤ!」


 あの男の子の名前だろうか。


「勝手に鍵持ち出して!」


 トウヤくんは、なかなかドアを開けなかった。


「トウヤちゃん」


 おばあちゃんも呼びかけはじめた。


「おばあちゃんは、犬が好きだよ。だいじょうぶだから。連絡もついたからね」


「あのう」


 これ、隣人として、どうすればいいのだろうか。


   * *


 話を聞くとお隣のササキさんは近所に住んでいるらしい。ここに部屋を購入したもののご都合で引っ越しが一週間延びていたのだそう。

 トウヤくんはペコを抱いて、きまり悪そうにしている。


「……こんなことになって……ダメって言われると思って……」

「ごめんなさい」


 女の子はトウヤくんのクラスメイト。サツキちゃん。


「引っ越し前に、お騒がせしてすみません」


「いえいえ」


 ご家族は、ペコを連れて今のご自宅へ帰っていった。

 事情はよくわからないけど、問題は解決したのかな?


   * *


 週末、ササキさん一家はペコと一緒に引っ越してきた。先日はどうも、と、お互い挨拶をした。


 それから三ヶ月くらいあとのこと。


 ネットのニュースで、犬の繁殖業者が逮捕されたことが報じられていた。開くと町内なのでびっくりした。保健所からも指導されていたのに、ついに今回、という。

 テレビニュースの動画も貼ってあったので見てみると、あれ、ペコに似てる犬が、顔をぼやかした飼い主に抱かれている。


『保護した時はとても汚れていたと聞いています』


 逃げ出した犬をお子さんが保護して、そこからのやり取りでだんだん逃げようもない虐待の実態が発覚していったらしい。


 もしかして。


   * *


 ペコは出会った頃よりすっかり丸々として元気そうだ。


「おはようございます」


 今朝もトウヤくんと元気に散歩に出かけていった。


(小説家になろう公式企画「春の推理2023 隣人」参加作品)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る