10●ヒロがカーツを超えたとき…自らの“怒り”の克服。

10●ヒロがカーツを超えたとき…自らの“怒り”の克服。




       *


 ヒロは、カーツとの“峡谷の決闘”で、じつは完勝していました。

 その根拠は二つ。

①ヒロが、わざとレールキャノンの砲身を捨てた可能性があること。

②ヒロは、最初からカーツの座席の後ろに防弾版があることを知っていたこと。


       *


 ここでは、②について述べていきます……

 防弾版の存在は、一目見れば、素人でもわかるでしょう。

 シートの背もたれの後ろには、分厚い鉄板が付いている。

 これ、防弾版でなくて何だというのか、ですね。

 もちろんヒロは知っていた。

 しかも画面を見るかぎり、ヒロはカーツの防弾版だけに狙いを定めて、全弾命中させています。

 ということは……

 カーツを殺さないように、わざと防弾版だけを狙ったことになります。

 この時、ヒロが自分の車体を左右にスライドして撃てば、カーツの肩や脇腹に一発や二発、命中させることができたはず。

 カーツはレース継続が不可能になり、完敗を喫したはずです。

 それどころか、死んだかもしれません。

 ヒロはこの時点で、カーツに完勝できた。

 しかし、わざと、そうしなかった。

 つまり、手加減したのです。


 このことは、カーツも薄々と気付いていたはずです。


 “あいつ、わざとキャノンの砲身を捨てた、そして機銃弾は俺の身体に命中できたのに、わざと防弾版を狙って当てやがった……”と。

 しかし、それは怒りではありません。

 さすがにシャア様、もとい、カーツ大尉です。

 内心、ヒロの実力に舌を巻いて、脳内では土下座状態だったはず。

 レースの終盤でヒロの車体を執念深くボコボコに銃撃してクラッシュさせたものの、実はその前に自分自身が銃弾を食らっていたはずだったことは、心の内で認めるしかありません。

 しかし、そこはシャア様、もといカーツ大尉。

 男のプライドってものがあります。

「ヒロ、本当は君の勝ちだ」とは、どうしても言えません。

 自らの敗北を公然と認めることはできない立場なのです。

 そのため、まことに曖昧な勝利宣言になりました。

「タイヤだけでは、勝ったとは言えんな」

 ヒロ、お前の……とは断じてはいないのです。ここがミソ。

 じつは、勝ったのはヒロであることを悟りながら、そう公言できないので、オトナの苦しい言い回しとなったのでしょう。

 カーツはこの時、心中でシャア様の“天の声”がこうさとすのを聞いたのでは?

「認めたくないものだな、若さゆえの“負け惜しみ”というものを……」


 これ、やはり、カーツ君の苦しい言い訳、すなわち負け惜しみだったと思います。

 その証拠に、決闘に際してヒロに課していた条件を、カーツは緩めます。

「ヒロを含めた全員が残る」のでなく、「ヒロ一人が残ればいい」……と。

 軍事機密が他者に漏れるリスクを承知で、カーツはヒロに譲歩したわけです。

 ヒロはその譲歩に同意しました。

「本当は僕の勝ちだ! 僕も出ていく!」と真っ向から主張してもよかったのですが、それでカーツのメンツを潰して、事態をこじらせても益が無い……

 ここで、ヒロはオトナの判断をしたのです。


 この決闘、実質的にヒロの完勝だったはずだ、ヒロはこの俺に手加減したのではないか……

 そんな疑問は、以降ずっと、カーツの脳裏に引っかかっていたのでしょう。

 なにぶんシツコイ、粘着質の性格ですので……

 だからカーツは後日、ヒロに確認したのです。

「(モノバイの)シートの後ろは防弾版だ、知っていたのか?」と。


 ヒロは否定します。「いや」と。

 しかしこのときヒロは、同じ否定でも、「えっ、知らなかった!」と驚くのではなく、一瞬、どう答えるのか、一秒ほど考える間を置いて答えています。

「いや」でなく、正しくは「……いや」なのです。


 ヒロは、一瞬考えて、あえてウソをつきました。

 そりゃあ、知っていたでしょう。

 シートの後ろを叩いてみれば誰でもわかります、カンカチコンの板なんですから。

 しかし「もちろん、知っていたさ」と真実を告げれば、カーツはさらに踏み込んで問いただすでしょう。

「ならばあのときお前は、防弾版と知って、それだけを狙って撃ったのだ。どうしてだ? 俺を殺したくなかったのか? 情けをかけて手加減でもしたのか?」……と。

  そうなると、ヒロはどう答えていいものか、ちょっと困ったことになります。

「手加減した」のが真実ですが、それを認めれば、カーツのプライドを痛々しく傷つけますね。

 ヒロは、そんなことでカーツの憎しみを買いたくないのです。

 だから、ウソをついて「……いや」としらばくれたものと考えられます。

 これはしかし、カーツにしてみれば、全く予想外の対応でした。

 ここぞとばかりにヒロが「そうだ、知っていた、ボクの勝ちだったんだ!」と自慢げに主張すると思っていたのです。

 シートの後ろが防弾版であることは明々白々、当然、ヒロが知らないはずがないからです。

 だからカーツは、刹那、きょとんと眼を丸くして、戸惑いを見せたのです。

 カーツは悟ります。

 ……そうか、ヒロはもう、俺との関係で「勝った、負けた」などと、ケチ臭いプライドでマウンティングすることをやめているのだ……。

 “これは一本取られたな”と、カーツはヒロをリスペクトします。

 だから呵々大笑して誤魔化し「ハハハ……面白いやつだ」とヒロを高く評価したのでしょう。

(このいくらか自嘲の混じった笑い、さすがシャア様の笑いですね、声が声だけに)


 そして続いて、こう提案します。

「そうだ、こうしろ、タコを見たら俺だと思え……(おれを)殺す!」

 これは挑発です。ヒロの、カーツに対する怒りを掻き立てて、その力のベクトルを敵に向けさせることで、ヒロの憎悪を戦争に利用する戦術です。

 しかし、ヒロは沈黙をもって答えます。

 これ、全編を通じて、ヒロ自身の物語の中で、最も重要な局面だと思います。

 ヒロはここで、カーツと対等な位置に立ち、そして彼を超越したのです。


 カーツとの“峡谷の決闘”がヒロを変えました。

 ヒロは自分の怒りで我を忘れるのでなく、怒りを静かに自分の胸に収めて、自分の本当の戦いとは何か、それをどのように戦い抜くのか、合理的に思案することができるようになったのでしょう。


 カーツは未だに、ヒロとの“峡谷の決闘”の“勝ち負け”にこだわり、気にしている。

 本当に自分はヒロに勝ったのか、その“勝利の証明”が欲しいのだ。


 しかしそんなことは、今のヒロには、もう、どうでもいいのです。

 あの決闘で、カーツに「勝った負けた」など、どちらにしても大した意味はない。

 大事なのは、ミランダと三人の少年を、無事に軍隊から解放してやれたこと。

 それで目的は達した、それでいいんだ……と。

 ミランダたち四人を戦場から脱出させてやれたことで、ヒロは心から満足を感じたのでしょう。

 それがヒロにとって、真の勝利となったのです。

 “決闘の勝敗なんか意味がない、それよりも四人を幸せにできたことが、はるかに大切で、意味のあることだ”


 そのように判断したことで、ヒロは決定的に成長しました。


       *


 これ、『ヴイナス戦記』における“戦争と平和”というテーマに関する見事な回答となっています。

 “戦争の勝敗なんか意味がない、それよりも人々を幸せにできたかどうかが、はるかに大切で、意味のあることだ” ……と。


(ただし降伏のススメではありません。白旗を揚げて人々が自由を奪われ、敵の奴隷にされたら“幸せ”とは言い難いでしょう)


       *


 さて、ハウンド部隊を運ぶ巨大キャリアー車は三台あり、それぞれに名前がつけられて、車体側面の円形ベンチレータみたいな突出部分に表示してあります。

 シムスが乗る司令車は不明ですが、残り二台は「MARY」と「HANAKO♡」となります。ヒロたちは「HANAKO♡」に滞在していました。

 ミランダたち四人をハウンド部隊から出してやれたことは、奇蹟的に幸運な判断だったことが、のちに判明します。宇宙港の激戦で、「HANAKO♡」に敵弾が命中、爆発炎上してしまったのですから……。


       * 


 ヒロは自分の中の“怒り”を、ついに克服することができした。

 “自らの怒りの克服”……

 戦争と平和を見つめた『ヴイナス戦記』の本質的なテーマは、そこにあったのではないでしょうか?





   【次章へ続きます】



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