人間の空間及び文字認識能力を用いた情報の保存及び展開手法についての研究
@yowamura
第1話
居酒屋のトイレでふと上を向くと、チェ・ゲバラと目が合った。
本当にチェ・ゲバラのポスターが貼ってあったわけじゃない。壁紙の模様がそう見えただけだ。わたしは昔からこういうのをつい見つけてしまう性分で、床のシミ、壁紙のランダムな模様、空に浮かぶ雲の一つ一つ、そういう不規則なものの中に私は何かを見つけてしまう。ヒット曲のサビの直前に、スーパードンキーコング2でディディーがやられるときの「キャン!」という音が入ってるように聞こえると言ったら、友達から怪訝そうな目で見られた。今わたしが見てる革命家だって、多分他の人から見たらただの模様にすぎないんだろう。
よく見たら、この壁紙はランダムなようで実はある特定のパターンのループになっていることに気づいた。ひょっとすると、このキューバの革命家は他にもいるのかもしれない。そう思って探すと、思ったとおり30cmぐらい右上にもあった。この居酒屋ではこの壁紙をどの部屋でも使ってるんだろうか。昔、イエス・キリストそっくりの壁のシミが話題になったとニュースで見たけど、この居酒屋には一体何人のチェ・ゲバラがいるんだろう。そう思うとちょっと笑ってしまった。
席に戻る。今日は会社の親睦会に来ている。みんな日常の疲れから逃げ出すようにグイグイ飲んで酔いに酔っている。わたしはビールが苦手だからウーロンハイをちびちび舐めている。左隣の男はダウンして、3人分の席を占領していびきをかいている。そういえば、いびきをかくのは何か悪い病気の兆候だったか?まあ気にしないことにする。何しろわたしはこの男の名前も覚えていない。向かいの席、3つ右に座っている男は良く話題になるので覚えている……たしか坂本だったか。隣の部署で、爽やかな風貌で、入社以来業績を上げ続け、おまけに顔がいいので、女子ウケがいいのだ。気づけば私の周りからは女子はいなくなり、みんな坂本の近くに座っている。
モテる男というのはどんな気分なんだろうな。わたしは非モテだし、そもそも生物学的には女だから、なんの共感もない。それよりも、私は坂本の右上にチェ・ゲバラがいるのが気になっている。こころなしかチェも坂本を見つめている気がする。おい、坂本、おまえ狙われてるぞ。革命家に。
そんなことを考えていたら坂本と目が合ってしまった。待て、わたしは別にそういうつもりでお前を見てるんじゃないんだ。
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解散して駅に向かう。女子どもの「坂本クーン、二次会行こうよ二次会ー、私まだ飲みたーい」という声と「向井ちゃんは帰るよね?おうち遠いもんね、また飲もうね!」という声を同時に聞きながら、私は家路につく。そう、おっしゃるとおり、わたしの家はへんぴなところにあるので、本数の少ないこの時間は二時間近くかかるのだ。まったく難儀なことだ。世界的な景気後退の中で、運良く悪くない会社に紛れ込めたのはいいが、この遠さだけは全く慣れない。早く金を貯めて会社の近くに家を持ちたいものだが、まだ先の話だ。
幸い、ラッシュとは無縁のローカル線なので、あわよくば席に座れる……だが今日は少し違うようだ。座るにも立つにも微妙なラインの込み具合。酒臭いおっさんに囲まれて座るか、ダイエットも兼ねてしばらく立ってるか、悩ましいところだ。体型に自信はないが、ふくらはぎは入社からの一年で良く鍛えられた……ヒールと通勤はヒラメ筋を強くする。
それにしても通勤は退屈だ。つまらない飲み会の後は特に。居酒屋のチェ・ゲバラのことを思い出しながら、アルコールでぼんやりした頭で、メガネを拭きながら何か面白いものがないかあたりを見渡す。
ふと、QRコードが目に止まった。新書の広告の右下にそれとなく付いているが、よく見ると広告にもともとプリントされているものではなく、シールで上から貼られている。何かの管理用に後から付けられたのか?
別にQRコードなんて珍しいものじゃない。コード決済で毎日のように使っているし、Wi-FiのパスワードだってQRコードで共有できる。ただ、そのQRコードは何か普通のものと違うようにわたしには見えた……別にQRコードの仕様を良く知っているわけじゃない。これはただの二次元コードだ。でも、わたしにはそのQRコードが文字にしか見えなかった。
遠くから見ると、それは明らかにQRコードだった。でも、わたしにはなにか違和感があった。居酒屋の壁紙に革命家を見出した時のように、わたしはそれがどうしても「何か」に見えたのだ。そして一歩近づくと、一つ一つのピクセルが浮き出してくるように見えた。もう一歩近づくと、それは文字に見えた。英語のようだった。錯覚だと思い、目をこすってもう一度見た。それはやっぱりQRコードだったが、同時に文字に見えた。
それは例えて言うなら婦人と老人の絵のようだった。ある人にとっては貴婦人のように、ある人にとっては老婆に見える、あの絵のようだった。二つのものに同時に見えるように、注意深く描かれたもののように見えた。それは二次元コードであり、同時に文字だった。
わたしは書かれている内容をよく理解したいと思ったが、あいにく英語はさっぱりだったし、それが本当に英語かどうかも自信がなかった。他の言語かもしれなかった。そして、あいにく乗り換えの駅に付いてしまったので、わたしはとっさにスマートフォンで写真を撮った。
家に付いてから、写真を見直してみた。それはQRコードにしか見えず、文字には見えなかった。せめて最初の何文字かだけでも覚えておければと思ったが、気にするほどのことじゃない。きっとあれは、居酒屋の壁紙に人の顔を見出したような、いつものちょっとした錯覚だったのだろうと思うことにした。
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