#6 病①



「それにしても本当に飲み込みが早いね、あんた!見かけ以上に使えるじゃないのさ」




ヒサが満足そうに目尻に皺を作る。



「ありがとうございます!今日もがんばりまーす!」



野分は朝日を反射するほどにピカピカに磨いた欄干の脇で、元気に答えた。

側から見たら長年勤めている雑仕の娘にしか見えない。

それくらい、彼女はこの風景に馴染んでいる。




──ここに来て一週間。




最初は、早朝……もとい真夜中に叩き起こされ、面食らっていた。

しかし、それもこの数日で慣れた。

任される一つ一つの仕事自体が、とても簡単だったのだ。


(学校の授業受けるより楽だわ、これは)


さらに、野分から見たこの世界の人たちの動きは、随分緩慢に見えた。

もちろん、他の人たちが手を抜いているわけではない。

それでも、現代社会の慌ただしい雰囲気よりも大分ゆったりとしている。


のんびりとした雰囲気にのまれ、野分は思わずあくびをこぼす。



「……あいつさえもっと早く動けば、こんな早起きする必要ないんじゃないの?」



野分は恨めしそうに清麻呂がいつもいる部屋の方向を見た。


そう。

真夜中に叩き起こされる理由は、清麻呂の朝支度に時間がかかるからなのである。



彼はまだ星明かりの消えきらない早朝に起き出し、自分の生まれた年の星の名前を七回唱える。

そして星や暦を確認して、その日の吉兆や運勢を調べる。

それが済んでから、やっと洗顔や歯磨き、食事などを始めるのだ。

そして、朝日がのぼる頃には家を出て仕事場へと向かう。



身支度や食事に時間がかかるというのなら、野分にもまだ理解ができる。

しかし、占いやおまじないに、あんなに時間をかける必要はあるのだろうか。



しかも、やたらとゆっくりと動くのだ。

足が短いから通常の人よりは時間がかかるのはわかる。

だとしても急いで動けば、今の半分の時間で済むのではないかと野分は考えていた。


一分一秒でも長く眠っていたい彼女は、この無駄にも思える習慣を一刻も早く廃止してもらいたいと願うばかりだった。


しかし、相変わらず清麻呂とは顔を合わせれば醜女醜女と馬鹿にされ、その度に険悪な雰囲気に陥るという有様。


見下している野分からのアドバイスに聞く耳を持つとは思わない。



「なんでみんなに慕われてるのか、マジで分からないな。あの麻呂」



野分は手にした雑巾をちぎれそうな勢いで絞り上げる。

さらに、彼女が寝不足なのには、もう一つ理由があった。



「……やっぱりダメか」



首から下げたストラップを手繰り寄せ、スマホをみる。

特に何の通知も来ていない画面を眺めては、肩を落とした。



初日の夜から、野分はしきりにSNS上で救援要請をしていた。

友人のアカウントに何度もダイレクトメールを送ったが、名前も書いていないメッセージに誰も返信はしてこない。それでも、誰かが心配してくれているだろうと思い、友人のタイムラインに必死になって張りついているのだ。


しかし、彼女たちの記事には、野分のことは一切書かれていない。


同級生が行方不明になっているという緊急事態にもかかわらず、そこには楽しそうな修学旅行の写真や感想ばかりが並んでいるのみだ。



「……薄情者」


野分は、画面に写っている馴染みの笑顔を、親指でそっとなぞった。


彼女は他にも、警察や学校、消防から市役所、さらには国の公式アカウントにまで、見境なく捜索依頼を送っていた。

しかし、いまだにどこからも反応はない。


名前も住所も連絡先も一切含まれていないメッセージは、イタズラだと思われたのかもしれない。


野分は頭を抱え込んで、その場にしゃがみ込んだ。




ここに来て、もう七日だ。



その間、彼女は『この世界に馴染むこと』、『この世界から脱出すること』、その両方に全能力を集中させていた。

他の雑仕たちは何も知らない彼女を哀れんでか、とても優しくしてくれた。


特にタエなんかは、茶化しながらも仕事やこの世界の常識を甲斐甲斐しく教えてくれた。


知り合いもおらず心細い思いをしていた野分にとって、彼女はここで初めてできた友人だった。


しかし、それでも緊張感を捨て切れるわけではない。


さらに、現代とは違って食事も住居も全てが質素なのだ。

彼女の体が、急にこの環境に慣れるわけがなかった。


栄養と睡眠が不足している中、ずっと脳みそをフル活動させている状態だった。


精神力には自信のあった野分だが、この慣れない環境で、しかも希望の見えない状況下に置かれ続けるのは流石にこたえる。



(ああ〜……、心の電池が切れそう。心の……電池……が……)




野分はバッとスマホの画面を見た。

右上に表示されているバッテリーのマークがひとつも減っていない。










──おかしい。










この数日間、彼女は命綱であるスマホを極力節電しながら使用していた。

さらに言えば、たとえ一切使用していなくても、スマホの充電というものは減っていくはずだ。

それなのに、充電マークの横には100%という数字が並んでいる。



「ええ……、なんで?」


「ちょいと、野分!」



スマホをくるくるとひっくり返しながら眺めていると、いつの間にかヒサが背後に立っていた。野分は素早くスマホを隠して、



「あ、はい!次はあっちを磨きますね!」



と、手にした雑巾を掲げて笑顔を作った。



「それよりも、タエを探してくれないかい?あの子ったら、井戸に水汲みに行ったまま、ちっとも帰ってきやしない」


腰に両手を当てて、ヒサが大きな縦皺を眉間に作る。



「タエが?わかりました。探してきます」



野分は不審に思いながらも、ついでに桶の水を変えようと、汚れた雑巾を水桶に入れて井戸に向かった。









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