#2 邂逅③

男が立て膝のまま、恭しく頭を下げた。

野分も思わず頭を下げる。



しゅるっしゅるっと布を引きずる音が聞こえた。

御簾の向こう側に誰かが座る。



野分は顔を上げるタイミングがわからず、動かせる範囲ギリギリのところまで目玉を上に向けて、相手の様子をうかがおうとした。



「先ほど助けたこの者が目を覚ましましたので、ご挨拶をしたいと」



隣の男が頭を下げたまま、平坦な声で告げる。




「……左様か」




御簾の奥から聞こえたのは、気品を感じさせるような涼やかな男の人の声だった。


野分の持っている語彙力では表現できないほどの美しい声だった。

男の人の声に対してこのような感想を抱いたのは、生まれて初めてだった。



きっと品のある人なのだろう。



その声は確かに若者の声だったけれど、そこにはゆったりとした落ち着きが含まれている。

声だけでもう、美形だと分かる。




「……そなた、面を」




ミーハーな彼女は、「これはチャンス!」と言わんばかりに顔を上げた。

しかし、御簾越しでは相手の顔は見えない。





「あ、あの!あなたが助けてくれたんですよね?私、あの時、めちゃくちゃ怖くて……。助けていただき、本当にありがとうございました!」




なるべく好印象を与えられるように、ハキハキとした声で伝えた。

隣からなぜか突き刺さるほど痛い視線を感じるが、今は気にしている場合ではない。

この御簾の向こう側にいる男性の顔をひと目見たいと、必死なのだから。






「なっ……」






ガタッという物音と声が部屋の中から聞こえた。

続くように、ドスドスという足音がすごい勢いでこちらに向かってくる。




──もしかして、若様、私に一目惚れしちゃったとか?!




誰もが一度は夢見るようなことを考えていると、目の前の御簾が突然バサっと捲られた。




(やだっ!心の準備がっ!)




そう思いつつも期待に胸を膨らませた野分は、咄嗟に瞑ってしまった目をうっすらと開いていく。












部屋から現れたのは、まるで漫画のマスコットキャラのような二頭身くらいの小さな生き物だった。














「醜女ではないかぁあ───ッッ!!」














屋敷中の柱を揺らすような大絶叫に、思わず後ろに倒れ込む。

隣の男は慣れているのか、微動だにもしない。





「なんじゃ、この醜女はッ!そなた、美女と言ったではないかッ!だから助けたのじゃぞッ?!なんじゃ、その品のない目ッ!なんじゃ、その変な座り方ッ!礼儀も知らんのかッッ!」





突然の罵声ラッシュに、鼓膜はキーンと鳴り響き、こめかみがズキズキと痛み始める。




は?しこめ?ブスってこと?

え、何?

私を美人だと思って、勘違して救ったの?

は?




こんなに罵声を浴びせられたのは、生まれて初めてだった。


本当に、先ほど聞こえたあの上品な声の持ち主と同じ人物なのだろうか。

もしかしたら、もう一人別の人間が奥にいるのではないだろうか。



野分は自分が想像していた見た目とあまりにもかけ離れている目の前の人物を、まじまじと観察してみた。




何かでべったりと塗り固められた白い肌に下膨れの頬。

楕円形の短いぽわぽわした眉毛がちょこんと顔に乗っている。

そこからずっと下に下がったところについている目は、開いているのかさえ疑わしくなるような細さだ。

絵に描いたようなおちょぼ口には口紅が塗られているのか、赤く染まっている。




そう、絵巻物に出てくる麻呂顔そのものなのだ。




黒くて長い烏帽子を被り、平安貴族のような装束を身に纏っているが、お腹の部分が丸く膨らんでいる。

まるで赤ちゃんのような体型だ。






(そもそも、この人、何歳だろう?声だけ聞いたら、私と同じか、それ以上に聞こえたけど。でも、どう見ても二頭身にしか見えない。というか、もう本当に人形にしか見えない。あれに似てる。おきあがりがりこぼし。頬を膨らませているから、なおさらだ。本当は着ぐるみを着てて、中に別の人間が入っているんじゃない?)







 「あ〜あッ!あんなに大変な思いをして救い出したのに、骨折り損じゃ!」






 扇で口元を隠し、ものすごく汚いものを見るような目でこちらを一瞥する。

呆気に取られている野分を見ながら、爪先をちょいちょいと動かし、






「なんとか言ったらどうじゃ?この、しぃ〜こぉ〜めぇ〜!」





と、小学生男子がふざけている時のような口調でからかわれた。

ぽかんと口を開いたままの彼女の頭の中で、何かがぷつんっと切れる音が響いた。














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