第2話 止まない吹雪
「どうぞ、体が温まりますよ」
「ああ……どうもありがとう」
あれから俺は彼女に手を貸してもらって、近くにあった山小屋に避難した。
俺たちが入った山小屋は、控えめに言ってもボロかった。
隙間風はひゅうひゅう入るし、木の壁にはあっこっちシミができてる。
屋根は外の風のせいでガタガタうるせえし、窓なんて見ろ、今にも割れそうだ。
けれどさっきの倒れていた場所からすれば、天国には違いなかった。
とりあえず雪はしのげるし、ボロだけど体にかける布もある。
水道もあるし部屋の真ん中には囲炉裏もある、ずいぶん古いがカセットコンロもあった。
とりあえず、すぐに死ぬって事は無くなったらしい。
俺は彼女に貰った白湯を、ゆっくりと体に流し込む。ただのお湯のくせに、今はずいぶんと体に染みる。
「生き返ったよ」
「良かった」
そう言って笑った彼女を見て、死にかけていた頭がやっとまともに動き出した。
こいつは誰だ? なぜあそこにいた? やっとそんな疑問が浮かぶ。
スキーウェアを着ているが、ここらにスキー場は無い。
それに板のような道具も持っていない。
俺は自分の前にいるのが、本当に人間なのか分からなくなってきていた。
「どうかしましたか?」
「いや……別に……」
彼女はそう言って不思議そうな顔をしてこちらを見る。
俺は素直に疑問をぶつけたかったが、あまりにも美しい容姿をした目の前の彼女に、なるべく嫌われたくなく思い、言葉をあれこれと選んでいたため返答が遅れてしまう。
しょうがないだろう、前までの仕事はそう言ったことに現を抜かす暇なんてなかった。
仮にそうじゃなかったとしても、俺はきっと彼女と流れるように話はできない。
指を通せば心地よく流れていきそうな細くて長い黒髪、雪のように白くきめ細やかで触れたら壊れてしまいそうな肌、はっきりとした大きな瞳、少し赤らんだ唇は男の本能を艶やかに刺激するような魅力に満ちていた。
そしてその美しさは、顔だけに留まらない。
全体的に女性らしい丸みを帯びた体は、俺の目をしっかりと奪ってしまった。
声に関しては、もはや言うまでもない。
兎にも角にも、いやに煽情的な美しい女性だった。
「でも驚きました、まさかこんな雪の日に散歩をしている人がいるなんて思いませんでしたから」
「いやぁ……ツイてなかったんだよ。転げ落ちた辺りから急に雪が強くなってきてさ、君がこなければあそこで春まで冬眠する羽目になってたよ」
俺の言葉に彼女はクスクスと笑う、普段はあまりこういった冗談を言わないが、どうしてかこの彼女の前では余裕があるように、異性に慣れているように見せたかった。
「君も山を歩いていたのか?」
「ええ、日課ですから」
さっきの話しぶりからして、彼女は雪が降り始めてから山に入り俺を見つけたらしい。
日課とはいえ物好きなものだと思ったが、そのおかげで助かった身からすれば何も言えない。
話が途切れ、俺たちの間に静かな時間が流れる。
窓から見える天気はひどいものだ、もうしばらくは動けそうにない。
「そういえば、君の名前は?」
「私ですか? 私は……ゆきと言います」
ずいぶんとおあつらえむきの名前というか、らしい名前だと思ってしまった。
名は体を表すというが、こうもぴったりとその言葉が当てはまる場面はそうないだろう。
「あなたのお名前は?」
「俺は
俺がそういうと、ゆきはふふっと可愛らしく笑う。
「私たち、会ってからけっこう時間経ってるのにまだ名前も知らなかったんですね」
そういえばそうだ、俺が助けられてからそれなりの時間が経っているのに、まだ名前も聞いていなかった。
そんなちょっとした事で笑うゆきを見て、俺は自然と口元に笑みをつくっていた。
ああ、久しぶりに笑ったような気がする。
昔はこんな、何でもないような事で笑えていた。
特別な事も場所も金もいらない、傍から見れば何でそんな事でって思われるような事で笑えていた。
いつからだろう、簡単に笑えなくなったのは。
理屈っぽく理由をこねて、価値のあるものでしか笑えなくなったのは。
人の冗談を卑屈っぽく受けとるようになったのは。
テレビ番組の穴ばかり探して文句を言うようになったのは。
本をただ自分が好きか嫌いかだけで読めなくなったのは。
いつからだっただろう。
「どうかしましたか?」
「……いや、ここがあんまり静かで心地よくて。らしくもない、なんていうかな……感傷に浸ってたって言うのかな」
「何かあったんですか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「こんな日にこんな場所にいるなんて、何かあったとしか思えませんよ」
吹雪はまだまだ収まりそうにない、俺たちはしばらく動けないだろう。
もういいか、こんな雪山で死にかけて初対面の人間に助けられたんだ。
俺はもうきっとあそこで、いやそれよりもずっと前に死んでいたんだ。
ならいいじゃないか、何も隠す事なんてない。
「話……聞いてくれるか」
「ええ、まだ吹雪は止みませんから」
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