書くことの意味

希藤俊

第1話 何のために書くのか

 何のために書くのだろうか?

 単に書きたいから書くのか?

 それとも、読んで欲しいから書くのか?


 本当に単に書きたいから書くだけなら、他人から読まれるかどうかなど気にはならないし、他人からどのように評価されようと気にはならないはずだ。


 しかしプロであれ、アマであれ、ものを書く者はやはり読まれることを常に意識し、同時に評価についても気にせざるを得ない。


 プロであるなら読まれないことや評価されないことは、即ち売れないということであるから商売にもならない。


 アマであっても読まれるつもりがなかったり、評価される必要もないならサイトなどに投稿する必要などなく、ノートにでも書いて机の中に置いておけばいいのだ。


 では人は読まれ、評価されるために書くのか?否、日記などは読まれようとは思わないし、もちろん評価など必要がない。


 ただ、自分の気持ちを吐き出す方法の1つとして、書くという表現を使用しているだけだ。


 小説はどうだろう?

 やはり小説は読まれるため、評価されるために書くものだと思う。


 では、読まれないで評価されないものは、小説とは言えないのだろうか?


 それは小説を目指すものではあるが、小説にはなり得なかった単なる文字の羅列でしかないのだろう。


 小説になり得ない単なるメモであるとしたら投稿などする意味は無くなる。


 つまり作者が小説を目指して書き記したものは、読まれて評価されてこそ初めて小説になる。読まれず評価されなかったものは、たんなるメモとして放置される以外ないのだ。


 であるとしたら読者は心して読まなばならぬし、評価者は心して評価しなければならない。


 また小説を書こうとするものは、まず何とか読んでもらうための努力と、評価してもらうための工夫をしなければならない。


 例え内容がいくら面白いものであっても、読まれない限り小説にはなり得ないし、評価されない限り小説として書く意味さえないのだ。


 自分が小説として書いたものの内容が例え極めて簡単で、特に面白いと思われないものであっても・・・・・


 『面白いお話です』


 この一言でも多くの読者に読まれ、高い評価さえ得れば、この作品は立派な名作である小説なのだ。


 多く読まれれば、自ずと評価は上がらざるを得ないし、評価が上がれば勢い読者もさらに集まる。


 読まれることが先か、評価されることが先かは、本来は読まれることにより評価が上がるというように、読まれることが先であることが望ましい。


 しかし現実には、先ず恣意的に評価さえ高めれば、読まれることも多くなるという逆転的な展開もあるようだ。


 また読まれること自体も、本当に内容を読む場合と、ほとんど読まずに閲覧数を増やす場合があり、結果としては同じ多く読まれたことになり得る。


 つまり仲間や元々のファンなどを利用すれば、閲覧数は増やすことは可能であるし、それにより評価を上げることも可能ではある。


 本当に面白い作品を探す方法など元々ないのだ。面白い作品を探すには、全作品を読まない限り。


 真に面白い作品を書くことができる作者を探し出すには全作品を読まないと不可能なのかもしれない。


 コンテストやイベントなどを行うと、ランキング上位に上がる作者は残念ながらいつも同じようなメンバーばかりである。


 なぜなら彼らは、応援してくれる固定のファンや仲間が多いからだ。


 大勢の投稿者が集まるコンテストやイベントこそが、才能がある新人が埋もれさせてしまう場なのかもしれない。


 むしろ才能ある者は小さな静かな投稿サイトで、少ない作品の中でこそ読まれる機会も高くなるし、評価される機会も与えられるのかもしれないですね。


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