第2話 立教大学日本拳法部

  立教大学日本拳法部もまた、様々な次元と位相によって自分たちの拳法を楽しみ、更には、同じ拳法をやる仲間との交流を、殴り合いという物理的な面だけに限定するのではなく、形而上からも見る(観戦する)ことで、大学日本拳法を二倍楽しんでいらっしゃるようです。

  日本拳法という、現実(物理的)に殴り合う「超現実」の世界にのめり込むことができるからこそ、それと対称的な精神世界(形而上)に遊ぶことができる、ということを証明してくれている(ひとつの)大学、とも言えるでしょう。


  こちらの2021年度キャプテンは「大学日本拳法を楽しんで」をモットーにされていましたが、現役時代の彼女の拳法とは、直線的で攻撃的で、駆け引きや小手先の技術のない「ストレート拳法」であり、まさに「純粋理性」を批判的に楽しんでいる(戦いの中で理性の実践をされている)という趣(おもむき)がありました。

  そして、現役引退と同時に書き残された彼女の「大学日本拳法五輪書」とでも言うべき書とその精神は、彼女たち日本拳法部の精神世界を余すところなく見せてくれました。

  物理的な拳法と精神的な日本拳法世界の両方を、彼女たちとは全く縁のない私たちにまで理解できるように見せて(書いて)くれたわけですが、それはこの書が、武蔵「五輪書」と同じく、普遍的・一般論的に通用するほど「煮込んだ」「よく練られた」精神(純粋理性)によって書かれていたからです。

  そして、今年2022年度には、彼女の「一番弟子」のような大学日本拳法(女性)拳士が、全く別の個性(個人の性質)と、彼女の先輩と同じ精神によって、2022年度立教大学日本拳法部の形而上的存在を描画してくれました。


  去年と今年の2点(二人の「純粋理性・実践理性批判という鏡」)によって、立教大学日本拳法部のスピリッツは如何なるものであるかが、よく理解できるわけです(この学校と全く関係ない部外者の私が言うのは、全くの見当違いなんですが、視点のひとつということで御寛容戴ければ)。

「数学の上で、一点は線を決定しないが二点によって線が引かれる、という。中国の歴史学においても、『史記』の次に『漢書』が現れて、初めて歴史記述の正式な体裁が紀伝体と決定された」。(宮崎一定『中国に学ぶ』「中国人の歴史観」)

2021年度

https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12712966333.html


2022年度

https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12778359378.html

もちろん、第一の点の前には数十年もの伝統があり、第二の点の後には第三の点も育っている。これが伝統ということなのでしょう。「今はまだ先輩の遠い背中を追いかける立場ですが、いつかその背中を追い越せるようになりたいです。・・・」

(https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12705742644.html)

けいじ‐じょう【形而上】

①[易経(繫辞上)「形而上なる者は之を道と謂(い)い、形而下なる者は之を器と謂う」]形式を離れたもの。抽象的なもの。無形。(広辞苑から)

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 → 警察や自衛隊で行われている日本拳法(逮捕術・徒手格闘技)とは「器(形而下)」或いは「道具」「技・術」であり、大学日本拳法は「道(形而上)」「スピリッツ」或いは「哲学」と言う(これは私 平栗雅人の考えです)。

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②〔哲〕(the metaphysical)(井上哲次郎の訳語)時間・空間の中に形をもつ感覚的現象ではなく、超経験的で理性的思惟によってのみ認識されるような概念・対象・存在などのあり方。明六雑誌(12号)「西人の説によれば凡そ学問の事たゞ二大分あり…即ち―形而下の二項に過ぎず」⇔形而下。(広辞苑から)

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