相和する杯事 Ⅴ


__とても評価してもらっていて、信頼もされているというのはわかっている。卒業しても、人材と思ってもらえているのは本当にありがたく思っているのだけれど……。


 今まで学問に当てていた時間を、そっくりそのまま布支度へ割いてしまっているが、目は疲れるし指先も疲れるし、休憩する頻度は高い。細かい作業ばかりだから、日暮れ以降は魔石の照明がなければ危なくてできない。


 魔石の照明は高価で、ありがたいことにビルネンベルクはとてつもなく資産家だから、惜しむことなくキルシェの部屋にも置かれているからできはするが、夕食は貴族のそれの着替えからはじまる長い夕食である。その後できるとすれば、寝る支度を終えてからで、もうその頃には睡魔もあって長い時間できない。


 朝早く起きてかじかむ指をごまかしつつ、布団の中で__それが一日の始まりとなっている。


 そこから時間が許す限り、集中力が続く限り、布と糸と針と、図案とにらめっこし__リュディガーが来て、夕食になるようなほぼほぼ一日籠もっている状況である。


 __そこに割ける時間が、間違いなく目減りする。


 いっそ諦めてしまえば楽だろうが、自分の評価は自分を娶ったリュディガーの評価に直結するからゆめゆめ手抜きなどしてはいられない。彼ならば、気にするな、と言うだろうが__。


 すっぱり断ってしまえばいい話だ。だが、そうと断れないのは、打診されて嫌な気持ちなどないから。リュディガーも、反対はしないと言っているから。


 __自分で決めないと……。


 ほとほと自分で決めるというのは苦手なのだ、とため息をキルシェは零した。


「__見習いか……」


 椅子に腰を下ろしたリュディガーの呟きはひとりごちていて、キルシェは我に返って彼を見る。


 彼は暖炉へ視線を投げていて、顎に手をおいて見つめるその視線は、どこか懐かしんでいるよう。


「私も、ああいう目を向けていたんだな……」


「ああいう?」


 リュディガーは苦笑を浮かべ、肩を竦める様にして首を軽く振る。


「__こんなに子供だったんだなぁ、と思った。自分もきっとそうだったんだろう、と……現役の龍騎士が時折指導にいらしたんだが、きっと同じだっただろうな」


 __見習いの頃のリュディガー……。


 あまり想像できない。


 かなり小さい頃であれば、一時いっとき偶然にも交わったことがあるから想像できるが、入団したての頃となると、大人と子供の間、という時期ではなおのこと。


 片翼院で世話をしたことがあるという女官から、リュディガーはもっと背が小さくて、巣立つときよりもさらに背が伸びたということぐらいしか聞いてはいない。


 __龍騎士としてのもといとなった時期……。


「__羨望の眼差し、というのか。……その立場に今日なって、そんな偉いもんじゃない、と……諸先輩方も思っていただろう」


 龍帝従騎士団は、帝国の誇る少数精鋭部隊。


 子供であればその殆どが、将来なれたらいいな、と思っている。龍を操り、自在に空を舞う龍騎士。


「裏切ってはならないな、とも同時に思ったよ。照れ臭いが……。それ以上に身が引き締まる思いだった」


「……そう」


「おそらく、現役の龍騎士を指導に回すのは、立場を自覚させる為でもあるんだろう。自分じゃ大したことない、と思っているが……もちろん、龍騎士というのがどういう職業なのかは百も承知だ。だが、なんというのか……負っているものの重み__負っているものの中に、ああした期待や羨望があるのだ、という自覚をする必要もあるのかもしれない」


 __確かに、その立場になってみないと見えない部分はあるのかもしれない。


 現に、自分が彼の話しを聞いて、そうした見方まで想像できなかったように。


「__だから、君ぐらい優秀な指導役は必要だと思えた」


 キルシェは、思いも寄らない言葉に目を見張った。


「我々武官は、武官として後輩になる者として指導する。とんでもない理不尽を味わわせることもある。甘くはないからな、龍騎士になれば。龍騎士になれなくても、国軍になろうが関わらず。そうなると、周りの指導役が皆武官ばかりじゃ、逃げ場がないだろう?」


「私は、逃げ場?」


「逃げ場、というか……息つける場所、とでも言えばいいのか。実際、私も座学の教員には救われた。愚痴を言っても許されるからな。無論、尻を叩かれることもあったが」


「ぇ……」


「おいおい、変な想像しないでくれよ。言葉の綾に決まってる。叱咤激励だ、叱咤激励。龍騎士見習いとは言え、まだ16そこらだ。子供といえば子供で……気を許せる大人がいるというのは、大きいんだ」


「気を許せる……」


「そう。それまで親元を離れたことなんてない者ばかりだろう? そこまで深く関わるわけではないが、寮生活をおくる者にとっては、生活の補助をする女官らと座学の教員はかなり大きな存在だ」


「支えということ?」


 ああ、とリュディガーは頷く。


「__実際、厳しい規律の生活を強いられて、郷愁に駆られて夜な夜な泣いている輩はいた。親元を離れて急激な変化だからな……」


「リュディガーも?」


 思わず問いかけると、リュディガーの目元が細められて、彼は窓の外へと視線を移した。


 落日に向かう景色は、いくらか寂しさを抱かせる。


「……その頃は、親元を離れることにとっくに慣れていたからな。__可愛げがないな」


 自嘲気味に言うリュディガーに、キルシェは胸が苦しくなった。


 今の彼を見ているとつい忘れがちだが、彼は相当な半生を送ってきた。彼の紆余曲折あったそれを知っているキルシェには、掛ける言葉がない。ましてや、彼の雰囲気に便乗して茶化して返すことなど無理だ。


「__だからという訳ではないんだが……辛さだとかは理解できるが、私が武術の教員だったら、甘ったれるな、と言っているな。切って捨てることしか出来ないと思う。龍騎士になったら、待っているのはそこでの生活の比ではない苦痛が多いから」


 親元を離れ、ひとり寮生活を開始する。


 そこで、いずれ国を守る立場になる可能性を秘めているのだから、そうした人物になるよう仕込まれる。


「そう、ね……親元を離れて……」


 __親元を離れる……というと、寄宿学校は……辛かった……ように思う。


 ふいに思い出す、自分が入れられた寄宿学校。


 頼れる者はいないといっても過言ではなかった生活は、頑張って思い返そうとしても、霞掛かった灰色の記憶ばかり__。


 __必死だったことはよく思い出せる……。


 一生このままでは、という不安がよぎっていたことも思い出せる。


 歯を食いしばって耐えに耐えて、それでもどこか不安に苛まれ__。


 __そうしていた中で、リュディガーに遭遇したのよね……。

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