青丹の少年 Ⅰ

 リュディガーに下賜された所領へ向かう旅。


 それは、新年に入ってから四日が経ってから実行された。


 まずは当初の計画通り、帝都から一日離れた小さな村へと向かう。


 主要な街道から外れはするが、それなりの規模の村である。


 キルシェはビルネンベルクの馬車に乗り、リュディガーは自身の馬サリックスで伴走する形だ。


 帝都から離れるにつれ、街道は人の姿が減っていく。


 朝の早い時間から出、目的の村に着いたのは夕日が沈んだ頃だった。


「宿は、手配済みだから」


 馬車が止まり、扉が開く。


 そこにいたのは、御者ではなくリュディガーだった。


 まずはビルネンベルクが出、その彼が振り返って手を差し伸べる仕草をするが、途中で思い出したように手を止めて、リュディガーへと目配せする。すると、彼はビルネンベルクと入れ替わるようにして進み出て、降車のためにキルシェへと手を差し伸べた。


 その手をとって礼を述べ、車から降りるキルシェ。


 車内に比べて格段に寒い風に、キルシェは身震いし、息を深く吸い込む。深いところまで肺を満たす乾いた冷たい風に、頭は冴えた。


 日が沈み、全景は把握しきれないものの、窓から漏れる明かりのお陰でぼんやり、と家々がある範囲は視認できる。


 話に聞いていた通り、それなりの規模の村__ドッシュ村らしい。


「まさか本当にドゥーヌミオン様が、お越しになるとは……」


 停車した目の前の建物から、人が出てきた。


 ビルネンベルクと取引が数年前からある工房__その主人だろう。


「手紙は信じられなかったかね?」


「いえ、そういうわけでは……」


 くつくつ、と笑うビルネンベルクは工房の主人へと進み出て、握手を交わす。


「直接、礼を述べたかったのでね。とてもいい仕上がりで。大ビルネンベルクも、先日ご覧になって、褒めていらっしゃった」


「それは……恐れ多い」


 ビルネンベルクが言っているもの__それは、昨夜知ったことだが、吹き抜けに誂えたシャンデリアのことらしい。


 キルシェが在学中に誂えたそれ。それからの付き合いらしく、屋敷の硝子の照明はここに頼んでいるという。


「私が依頼していたものもできたとのことだが、それも受け取ろうとね」


 ビルネンベルクの仕事場で使う物を依頼したということだった。それを受け取り、代金を支払うというために彼は来た。


 __ちょうどいい口実だろう?


 出発前に彼はくつり、と笑ったのだった。


「ああ、そうだ、ベッセルさん。こちらはキルシェ。故あって私が後見を勤めていて、今は帝都の学生だ。そこの彼はリュディガー。彼もまた大学の学生」


 キルシェは丁寧に礼をとり、紹介を受けたリュディガーもまた頭を下げる。


「ベッセルさん、村長はおられるかね?」


「ええ、ご案内いたします」


 お願いします、と言ってからビルネンベルクは、キルシェらを示す。


「彼女たちは、こちらで待たせてもよろしいでしょうか? ご挨拶は私だけで」


「ええ、どうぞ」


 狭いですが、と恐縮した風に彼は建物の扉を開けて、中へと誘う。


 踏み入ると、ベッセル夫人が現れて挨拶を交わした。その傍らには、今し方まで一緒に炊事を手伝っていたのだろう少女がいて、母親に倣ってお辞儀をする。


 夫人はイザベラ、娘をドーリスと紹介された。


 入ってすぐが居間となっていて、大きな暖炉が目につく家。ちょうど夕食の準備中で、暖炉の近くの大きな作業台には、調理の途中だった様子がうかがい知れる。


 暖炉の近くの別のテーブルへ案内されるキルシェらだが、背後で扉が開く気配に一同は振り返った。


 扉を開けたのは、少年だった。


「父さん、片付け終わったよ。ねぇ、表の馬車って__」


 そこまで言って、見慣れない一行のことを認めて彼は言葉を逸した。後ろ手で扉を締め、固まる少年。


 彼はリュディガーのことを、目を細めて見つめていた。


「ナハトリンデンさん……?」


 怪訝な顔でまずは数歩__


「あ! やっぱり、ナハトリンデンさんだ!」


 ぱっ、と明るく顔になって駆け寄ってくる少年は10歳前後。


 明るい茶色の髪に、青丹あおにの双眸。表情は人懐っこそうであるものの、利発そうな顔立ちで、その顔や服はいくらか煤けていた。


 __この子……どこかで……?


 ふいに、キルシェの記憶にも似たような面持ちの子供がいたように思えた。だが、自分がこのぐらいの年齢の子供を知っていることは稀だ。


 帝都の文具屋、雑貨屋、本屋__そこの小倅だろうか、と思いもしたが、なぜ小倅だけがここにいるというのだ。


 ビルネンベルクのお供で出かけたときに、食事をしたところでは、子供はそもそも見なかった。どこぞの宿屋では見かけたりもしたが、この少年のように印象に残るような子供はいない。


 __では……?


「こら、失礼だろう」


 ベッセルが諌めると、少年は一同への挨拶をする。


「まったく……お前、今日は大事なお客様が来るから、もう着替えていなさいって言っておいただろうに」


「だから今、着替えに来たんだよ……」


「着替えておけっていってから、どれだけ経ってると思ってるんだ。てっきり部屋にいるのだとばかり思っていたが、お前、工房にずっといたのか」


 やれやれ、と呆れたため息を漏らすベッセル。それに少しばかり口を尖らせる少年。


「あ……君は、マリウスか?」


 その不満そうな顔をした少年に、リュディガーが思い出したような声を上げた。その名前を聞くと、途端に少年の顔が破顔する。


「そうです! お久しぶりです!」


 リュディガーは少年へ、体を屈めた。


「ここ、君の家なのか」


 はい、と力強く答える少年。


「息子をご存知で?」


 ええ、とうなずいてリュディガーは、キルシェへと顔を向ける。


「ほら、三年前の夏至祭で硝子の雑貨を売っていた店のこと、覚えているか?」


「ええ__え、まさか」


 キルシェは、そう言われて、はた、と気がついた。


 そうだ。


 この子供の面差し__あのとき、独りで店番をしていた少年のそれだ。


「ああ! あのときの」


「お姉さんも、あのときいらっしゃった方ですよね! お久しぶりです」


「ごめんなさい、気づけなくて。お久しぶりです。あの時より、背が伸びましたね」


 にっ、と笑う少年の歯には、生え変わりだからだろう、隙間があってなんとも愛くるしい。


「腕も上がりましたよ」


 屈託なく笑う少年だが、ベッセルが頭に手を置く。それはいくらか体重を乗せているらしい動きで、少年が若干体をこわばらせた。


「まだまだだろうが。__では、貴方があのとき息子を気にかけてくださった、ナハトリンデンさんで」


 リュディガーは苦笑を浮かべ、頷く。


 ベッセルは、そうでしたか、と柔らかい笑みを浮かべてマリウスの頭においていた手で、そのまま頭を軽く撫でる。


「あのとき、初めて帝都へ連れてきて、いっときわずかではありますが独りで店番させたので、心細かったと思うんです。そこへ気にかけてくださった方がいて、それも軍人さんで……このあたりの街道の警備にも当たられたことがあると。困ったら、ナハトリンデンという名前で警備に声をかければ、相手にされないなんてことはない、と仰ってくださったりとても心強かったと思います。そんな方が自分の作った物を手にとってくれて、気に入ってくれたというのが、本当に嬉しかったようです。__ありがとうございました」


 親子ともども、それこそ夫人まで頭を下げるものだから、リュディガーは慌てた。


「大したことは。どうか頭を上げてください」


 そのやり取りに、ビルネンベルクはくつくつ、と笑う。


「あの、ナハトリンデンさん、ペンはその後どうですか?」


 頭を上げたマリウスの言葉に、きょとん、とするキルシェ。


 ペンは自分が贖ったはずだ。


 金銭のやり取りは自分ではなかったが、それでもあの当時のやりとりから、自分が手にしていることは、少年でもわかっていそうなもの。


 リュディガーはキルシェの様子に、肩を竦める。


「翌年も行ったら、約束通りの硝子ペンをちゃんと作っておいてくれたんだ。__今でも愛用しているよ。それから、重石もな」


 そういえば、そんなやりとりを自分が贖った際にしていた__キルシェは当時を思い出して、胸の奥が温かくなる。


「私も、大切に使わせてもらっていますよ」


「お姉さんのは、父が作ったものでしたよね」


「ええ、確か」


「おや、そうでしたか」


 そこで会話に入ってきたのは、ベッセルだった。


「__光栄です」


 軽く頭を下げると、ベッセルはマリウスに顔を向ける。


「マリウス。父さん、これからドゥーヌミオン様を村長のところへ案内するから、お二人のことを母さんとドーリスと頼むぞ」


 はい、と少年は元気よく答えた。

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