一年の計 Ⅲ

 談話室へその後現れたヘルムートに促され、リュディガーは彼に肩を借りる形で私室へと下がった。


 手当を、ということらしい。


 その場にとどまることになったキルシェらは、改めて運ばれてきたお茶とお茶菓子を口にしながら、先ごろあったアルティミシオンの指導の内容やらで歓談していた。


 歓談というが、キルシェだけどこか落ち着けずにいたのは言うまでもない。


 そうこうしていると、手当を済ませたリュディガーが談話室に戻ってきた。彼は、出ていったときとは違い、肩を借りることもなく自力で歩いて現れたので、キルシェはほっ、と胸を撫で下ろすものの心配にはかわりないから彼へと歩み寄る。


 脂汗もなく、変に力んで痛みをやり過ごしている風でもない彼は、キルシェに苦笑を浮かべて大丈夫だ、と告げた。


 そして皆が囲む卓へと足を向ける。


 しっかり歩いているとは言っても、時折、脇腹を抑える仕草があるから、まだやはり痛むことには違いないらしい。


 彼が均衡を崩した場合に備えて、キルシェはその直ぐ側に、ヘルムートとともに続いた。


「__聞いたよ、リュディガー」


「何をです?」


 ビルネンベルクがくつくつ、と笑いながら言い、リュディガーは、キルシェの飲みかけの茶器が置かれた席__三人掛けのソファーの並びの席へ座りながら問う。


「さっきの……しごきのことだ」


 肩を竦めながら言ったのは、アルティミシオン。


「宙を飛んだそうじゃないか。ライナルトの高さは軽く」


 これはキルシェも耳にしていて、固まった話だった。


 あのリュディガーが軽々と、である。信じられないことに、リュディガーほども腕が太くない、アルティミシオンによって。


 リュディガーの体重は、一般的な男性に比べ、大柄でかつ筋肉質だから確実に重いはずだ。


「そんなに……飛んでいましたか」


「圧巻でしたね」


 ライナルトは笑って頷き、アルティミシオンは、自らの腕を示すように揉んだ。


「__左様か……」


 リュディガーは乾いた笑みを浮かべた。


「あ、飛んだ、で思い出したのだけれどね、ちょっと提案したいことがあるのだよ。昨夜思いついたこと」


 ビルネンベルクは一口お茶を飲んでから、リュディガーをまず見、続けて視線を滑らせてキルシェを見た。そして柔和な笑みを浮かべる。


「__キルシェ、卒業前にちょっと遠出に付き合ってくれるかい?」


「遠出……遠乗り、とは違うということでしょうか?」


 うーん、と唸りながら、ビルネンベルクはまたお茶を口に運ぶ。


「__まぁ、遠乗り、にはなるのかな」


「どちらまででしょう?」


「帝都から一日の距離の村だよ」


 以前から、一日程度の距離には、お付きとして同行する機会はあったから、特段用事があるわけでもないキルシェはいつも通り頷こうとするが、ふとリュディガーのことが浮かんで、彼を見る形で頷くのを止めた。


 話し合うことが山積している。これから色々と話し合って今後を決めていく__そうした約束にも似たことを交わしていたからだ。


「あぁ、これにもリュディガーはもちろん来てもらうことになるよ」


「キルシェが行くのであれば、ついていくだけですので」


「それはそうだろう。というか、目的はそこじゃないのだよ。そこから更に遠方へ向かってもらうことになる」


「向かってもらう……? 先生は行かないのですか?」


 怪訝に尋ねると、ビルネンベルクは頷いた。


「そこからは、リュディガーとともに向かってほしい。私は、大学に戻って允許のことや新年の運営についてやることがあるのでね」


「お使い、ということでしょうか?」


「いや、お使いということでもない。__リュディガーの所領へキルシェ自身が向かうべき、と思ったのだよ」


 キルシェは驚きに目を見開いた。そしてリュディガーへと視線を向けようとしたのだが、それとほぼ同時にリュディガーが声を発する。


「お待ちを。何日かかると__」


「__半日も掛からんだろう」


 リュディガーの言葉を遮るように、さらり、と言い放ったのはアルティミシオンだった。


 アルティミシオンはソファーに深く腰掛けて、背もたれに身を預ける形でお茶を飲んでいる。


 リュディガーの所領は、話によれば、帝都から馬を使っても片道3日は掛かる場所に位置するという。

 

 __それがどうやって、半日もかからないだなんて……。


「いや、数時間もかからんか」


「まさか……」


 動揺した声を発するリュディガーに対して、お茶を飲んだアルティミシオンは、にやり、と口元を歪めてソーサーにカップを乗せると膝に下ろした。


「__そこから、龍での移動だな」


 __龍……。


 どきり、とキルシェは心臓が跳ねる心地に、身をこわばらせてしまった。


「どういうことです」


「遠方に所領等がある場合、あるいは私的にも出向く用向きがある場合、龍を伴ってもよし、となっているはずだが? 有事に備えて」


「それはそうですが」


「実際、お前さん、その所領が拠点となれば、龍での行き来になるだろう」


「そうだよ。そして、その君の所領__その屋敷は、龍の厩を用意する必要があるはず。先日、下見のようなことがあったけど、厩のことまで考えてなかった、と昨夜言ってなかったかい?」


 それは、とリュディガーは口を引き結んだ。そして、視線を向けるキルシェに気づいて彼は視線を交える。


「龍で改めて私が行くために警護対象であるキルシェも、ということでしょうか? それでしたら、私だけ赴いて、すぐに戻ってくるということができます。わざわざ彼女まで連れて行く必要が__」


「彼女だって、見ておく必要はあると思うよ。君と婚姻を結ぶのであれば、そこで過ごすのだからね。政略結婚で唐突に嫁入りする訳じゃないのだから、下見できるのであればすべきだ」


 ビルネンベルクの言うことに、一理ある。


 自分は彼と婚姻を結んだら、下賜された所領で過ごすことになるのは間違いない。


 話で今後聞くにしても、おそらくだか聞くにつれ、現地を見たくなるだろう。想像と実物は違うものだから。

 

 __そして、その頃には卒業していて、リュディガーは復職してしまって、時間の余裕はなくなる……。


「ライナルトや私が道中の警護についてもいいが、往復の日数があまりにももったいない。で、視察となれば、現地では数日過ごすべきだろう? リュディガーの龍に乗せてしまえばすぐ。卒業までに戻ってくるとなると__」


「荷造りなどを今から数日で始めても、現地では3、4日は余裕をもって過ごせます」


「__だ、そうだ」


 リュディガーは乗り出していた身を引いて、視線を落とした。その顔は難しい顔をしている。


「一年の計は元旦にあり、というだろう。まだ昼前だから提案したのだ」


 冗談めかした言い方に、リュディガーは顔を上げるが、相変わらず難しい顔である。


「__キルシェ嬢は、どう思う?」


「私、ですか……」


「左様。龍に乗るし、しばらく見知らぬ土地だ。慣れた使用人もおらん土地」


 一同の視線にキルシェは、思わず生唾を飲む。膝の上においていた手をぎゅっ、と静かに握り込んだ。


「私は……その……そうですね……。漠然としか所領については思い描くことしかできていませんし……」


 視界の端で、リュディガーが見つめてくるのがわかるが、あえて見ないふりをする。


「卒業前でなければ、リュディガーは今のように動けませんから……できれば、見てはおきたいです。__ただ……」


「龍に乗る、というのが不安か?」


「それは、ええ。__恐れ多いことですから……」


 キルシェ、と笑ってビルネンベルクが口を開いた。


「__龍騎士の龍に、一般人は乗ってはならない、なんて法はないよ」


 それは、知っている。


 大学で法も学んだ身なのだから。


 一般人が乗ったとしても、龍を下そうという下心があれば、龍は見抜くもの__だから、そんな法は整備されていないのだ。それは同時に、有事に際して、一般人を運搬する必要性を制限しかねないから、作らなかったとも言われている。


 ただただ帝国民からすれば、畏敬の象徴である。


 それを龍騎士でもない、ましてやまだ身内でもない者が、私的に使うとは、なんとも恐れ多いことだ__キルシェは口を引き結んだ。


「すごく、寒いぞ」


「低空で行けばいい」


 キルシェへの言葉を、アルティミシオンが変わりに返した。


「お言葉ですが、限度があります」


「休み休み行けばいい。そんなに急がず……いつも以上に慎重にいけば済むだけの話だ」


 アルティミシオンは、くつくつ、と喉の奥で笑う。


「……彼女と自分は__」


「婚姻を結んでいない間柄で__と言うのであれば、リュディガー、お前は要人の警護だ」


 言う先を切って捨てるアルティミシオンに、リュディガーは口を引き結ぶ。


「後見人の私は、この旅を許可するよ」


「ほら。体裁だって、完璧に整っているだろう」


 リュディガーはため息を吐いてから、承知しました、と言うと腕を組んで天井を仰ぎ見るのだった。

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