後悔自責
その後も彼は何度もこの酒場に来た。
そのたびにまたあの寝顔がみられるか期待していたが、あれ以来一度も寝ることはなかった。ただ、いつも疲れ果てたような顔をしていたので我慢していたのかもしれない。
彼女の数少ない楽しみが増えた一方、心配事も増えた。
勇者召喚が失敗したらしいのだ。
もしそれが何も起きなかったという意味ならまだよかった。
しかし、実際はそうでなかった。
召喚自体は成功したが、その召喚された人物は大した力を持っていなかったのだ。
数日後、その少年はグリングルド領を出たという。
どれほど後悔したかわからない。
やはりそんなことはすべきではなかった。
皆を説得できていれば彼は今まで通りの生活を送れていたというのに。
もっと強く反対するべきだった。
その少年の名前はワタルというらしい。
彼はこれからどうやって生きていくつもりなのだろうか。
突然見たことも聞いたこともない世界に放り出され、今までの常識が通じないであろう環境下で生活する。果たして耐えられるだろうか。家族や故郷が恋しくならないだろうか。いや、なるに違いない。
彼はきっとこの街に来るだろう。
そして少なくとも数日はここにいる。
次期魔王として、皆を止められなかった者として、絶対に謝らなければならない。
謝って済む話ではない。どんな言葉を重ねようと彼が元の世界に帰れるわけではない。召喚された勇者が帰った話など一例もない。
罵倒されるだろうか。殴られるだろうか。それでもかまわない。
自分の身に何かされようが罰として受け入れよう。
私にはそれしかできないから。
祖父からの伝書鳩で彼の特徴は黒髪黒目、低身長童顔だと知らされた。
ノルンは給仕を、クルスたちは冒険者の仕事をしながらその特徴に合う人物を探し出した。
とはいえ、この国で黒髪は珍しくない。その中でつい最近この街に来たものを割り出すのは気が遠くなりそうだった。
「それじゃノルン、ここにあるやつ全部洗っといてくれ」
「はい、わかりました」
いつも通りの仕事をてきぱきとこなす。
城にいたころよりも誰かの役に立てている気がした。
あの頃は仕事らしい仕事を任せてもらえなかった。
でも今はちゃんとした仕事をもらえている。
それが少しうれしかった。
今日もあの人はここに来てくれるだろうか。
できればあの時の寝顔を……いや、来てくれるだけで十分だ。
あの小動物のような見た目はいつも見ていて癒される。
……。彼の顔を思い出した途端、何かが引っ掛かった。
その原因を探る。
はたと気づいた。
黒髪、黒目…、低身長……、そして童顔。
もしや……。
全身に衝撃が走る感覚と、客席から大きな音がしたのはほぼ同時だった。
そして、うっかり手を滑らせ、皿を割ってしまった。
その結果、彼と話す機会が得られたのは怪我の功名かもしれない。
そして。
「あの、そういえばお名前は?」
「えっ?あ、あぁ、名前ね。俺はワタル。そっちは?」
やはり私の予感は間違っていなかった。彼こそ勇者に選ばれ、召喚されてしまった人間だ。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。
すぐ近くにある探し物ほど見つからないのと同じだろうか。
いや、彼に夢中になっている間はいつも召喚された者のことを忘れてしまっていたからだ。
いつも疲れていたのはここでの生活に慣れず心身ともに負担が重なってしまっているからなのではないだろうか。
だとしたらもっと早く気づいてあげるべきだった。かわいいなんて思っている場合ではなかったのだ。
彼が疲れていたのは魔力切れ寸前まで魔力を使い続けていたかららしい。ここでの生活にもだいぶ慣れているようなので少しだけ安堵した。
そういうことなら彼の眠そうな顔をかわいいと思っても罪はないかもしれない、と考えたりもした。
彼は独特な発想で新しい魔法を作り上げていた。これからさらにその才能を開花させていくかもしれない。
実際、彼が昨日放った針状の弾丸は初見であればまず見破れず、不意を突かれるだろう。
威力そのものはほかの魔法と比べてしまえば大したことのないものだが、確かに彼の言う通り心臓まで貫通すれば即死だ。
しかし、彼は人、さらに言えば生物を殺すことに忌避感を持っていたため、怪我を負わせることしかできなかった。
そんな自分自身を嫌っているようでどうにか変えようとしているようだが、そんな無茶はさせたくない。
彼は優しい心の持ち主だ。無理に自分を変えようとして心が壊れてしまえば、その優しさはなくなる。
そんなことは望んでいない。彼には彼のままでいてほしい。
そういう意味では、勇者召喚が失敗したのはよかったのかもしれない。
もし、強大な力を獲得してしまっていたら無理やりにでも戦わせられようとしていたはずだ。彼こそ唯一の希望なのだから。
そして、仮に勇者との戦いに勝利した結果、殺人の罪の意識に押しつぶされ自暴自棄となって世界に害をもたらす存在となってしまったら。
無理に戦う必要などない。彼には望むような人生を歩ませたい。
召喚してしまった者の責任として、一生をかけてでも彼を支え続けたい。
ワタルは私が守る。
それが私にできるすべてだから。
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