表裏一体

 「まだ、眠いみたいですね」


 何度もあくびを繰り返しているので心配された。


 「普段はもう少し、いや後四時間はあとに起きていたからな」


 もともとは早寝早起きができるほうだったんだが……魔力切れはかなり肉体的に疲労が蓄積しやすいせいで早寝遅起きになってしまった。早く魔力量を増やしたい。


 「まあ、約束の時間はもっと後出しそれまで寝ておくか」


 「だったらもっと家で寝てもよかったんですよ?」

 「人の家にあまり長居するのもなんか悪い気がしてな」


 正確には殺気から逃げたかったからなんだが。


 「急ぎのようでないなら日にちをずらしてもらったらどうですか?そうしたらもう今日は宿でゆっくり休めますよ」

 「いやそこまでする必要もない」



 さてどうするかな。


 フィアたちの話が本当だとして、箱が戻ってきたことがばれない限りフィアの一族はたぶん襲われない。で、問題は俺のほうなんだが……あの三人が死んだ以上別に狙われる心配ないんじゃないのか?あの時いたのってあとはもうロル君ぐらいだし、箱を狙ってるやつらで俺の顔を知っているやつはいないはずだ。



 このまま今の生活を続けてもいい気がする。それともその考えは甘いのだろうか。



 「あの……、ワタルさん」

 「ん、なんだ?」

 「昨日の話の続きですけど、周りに私しかいないときは素の話し方でいいと思いますよ?」

 「……どうしてこれが素じゃないって思ったんだ?」

 「えっと、何となくなんですけど…口を開こうとしてから開くまでいつも間があったりとか、あと今朝私のことを「お前」って呼んだ時そう呼ぶことに抵抗があるような表情を一瞬したりとか……ただそんな風に感じただけで何の根拠にもなりませんけど」


 「ただ……」


 「すごく似ていたんです。私の知り合いが今までの話し方を頑張って変えようとしていた頃に。だからあぁきっとそうなんだろうなって」



 あなたはイギリスの名探偵ですか?


 「……すごいですねは。実は人間観察が趣味だったりします?」

 「いえ、別に趣味というわけでもないですよ?」

 「だとしてもすごい観察眼ですよ。には到底まねできませんよ」


 「どうして変えていたんですか?」

 「ほら、人間って初対面が大事っていうじゃないですか。だから初っ端から舐められないように自分のこと俺にしたりとかいろいろやってみようかなって」


 召喚した人たち見た目が怖そうだったから尚更ね。うっかり僕って言わないように心の中でもそういってたんだけど……でもちょっと不自然だったか。


 「別に変えなくていいと思いますよ。口調がどうであっても見下す人は見下しますし」

 「まぁでもほら、同年代や年下の人にもずっと敬語が混じった話し方するのもなんかおかしい気もするし、俺って言ったほうが大人っぽく感じるから」

 「話し方なんて人それぞれですしおかしくなんてないですよ」

 「そうかな?」

 「そうです。あと個人的な意見ですけど……一人称を俺にしたからと言って大人に見えるかと言ったらそうでもないですね」

 「そ、そうなんだ」


 そうか、見えないのか。


 「大人っぽく見られたいんですか」

 「うん、見た目より下に見られることがほとんどだったから」

 「えっと、おいくつですか?」

 「十九」

 「えっ、十九⁉」

 「ちなみに何歳だと思ってた?」

 「十五ぐらいだと」


 ああうん、わかるよ。だってちっこいもん。


 「じゃあ私のほうが二つ下ですね」

 「ということは十七歳?」

 「はい」


 見た目通りの年齢っていいですよね。


 「もっと身長があったらなぁ」

 「いいじゃないですか、今のままで。とってもかわいいですよ」

 「か、かわいい?」

 「あっ、ごめんなさい。私ったら一体…」


 急にノルンさんが顔を少し赤らめながら目をそらした。



 かわいい、か。家族にはしょっちゅう言われてるけど、ほかの人からもたまに言われていた気がする。こっちでは初めてだけど。


 「えっと、かわいいって具体的には?」

 「そうですね。顔というか全体の雰囲気が小動物そのものですね」


 うーん、ちょっと嬉しい気もするけどやっぱり男として生まれたからにはかっこいいって言われたいんだけどな。



 「そういえばクルスさんの話を聞いた限り僕がいたから襲われたんじゃなくてノルンさんがたまたま目を付けられたからっていう風に認識してるみたいだけど」

 「正直に話すとなんかワタルさんが悪いって空気になりかねないような気がしましたから」

 「ごめんね、そこまで気を遣わせちゃって」

 「気にしないでください」


 本当に何から何まで申し訳ないな。


 特に……。


 「どうかしましたか?急に暗い顔してますけど」

 「ん?ああ……あの時、もしクルスさんが来ていなかったら僕たちはどうなってたんだろう、って思ってね」


 少なくともこうして街を歩くことなんてできなかったはずだ。


 「殺そうと思えば三人とも殺せたんです。心臓に穴をあけられて生きていられる人間なんていませんから」


 でも、そうしなかった。


 いや、できなかった。


 「人を殺すのが嫌だったんです。相手が誰であろうと、過去にどんなことをしていようと、その命を奪うのは間違ってる、それが当たり前の世界で生きていたから」


 「そもそも人を傷つけること自体抵抗があったんです。血が出たらすごく痛い。痛い思いはしたくないし、させたくない」


 止まらない。隠していた気持ちがあふれ出してくる。


 「でもそんなんじゃだめだってことぐらいはわかってます。そんな甘い考えじゃすぐに死にますから」


 治安は日本と比べたら悪いほうだ。それに外へ出たら獣やモンスターがいる。怖いからといって何もしなければ、何もできないまま終わる。


 「すぐに慣れようと思ったんです。手ごろな討伐依頼をこなしていけばいつかは血を見るのも平気になれますから」


 だからクマと戦うことになったときはチャンスだと思った。


 怖さを隠して全力で自己暗示をかけようとした。


 勝った時の爽快感。戦うことへの喜び。達成感。プラスの感情で自分のマイナスの感情を塗りつぶそうとした。


 それでも。


 結局、慣れることはなった。ロル君を助けに行ったり襲われたりでほかのことを考える余裕がなかったからあの時は平気だった。


 でも何もなかったら?考える余裕があったら?


 「今でも血を見るのは苦手です。人間はもちろん生き物を殺すのも嫌です。で、その結果僕は足しか狙えませんでした。自分や友人が命の危機にあるっていうのにずいぶんと甘ったるいですよね」



 僕が殺される分にはまぁ行ってしまえば自業自得だ。でもノルンさんまでひどい目にあったら?



 あぁ、本当に。



 「本当に情け_」



 思考が停止した。


 両手が温かいもので包まれている。



 ノルンさんの手だ。


 いつの間にか僕の真正面まで移動していたらしい。



 


 「ワタルさん」


 まるで母親が子供を慰めるような。


 「確かに、クルスがいなかったら今どうなっていたかはわかりません」


 そんな優しいまなざしに。


 「生きるか死ぬのかの瀬戸際でその考えは危険です」


 心の中の黒いものが収まっていった。


 「それでも、それは命の重さを深く理解している証拠なんじゃないですか?」



 「いつか、血を見るのも平気になるかもしれませんし、ずっとそのままかもしれません」



 「私は無理に変わらなくていいと思います。変わってしまうことでその人の一番大切な何かが壊れてしまうなら、そのままのほうがいいです」



 「だからワタルさん。何があってもその優しさだけはそのままでいてください」



 それでいいのだろうか。確かに僕の弱さは優しさなのかもしれない。


 ただ、その優しさのせいで誰かが不幸になったら……自分の弱さを恨むかもしれない。






 でも、この人がそれを望むなら、今は今のままでいよう。


 まぁ、強さまでそのままになんかしないけどね。

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