第44話 それぞれの決着
逃げられる距離ではなかった。フィーネが思わず目を閉じると、突風が吹きぬける。
「貴様、フィーネに何をする!」
フィーネが恐る恐る目を開けると、ミュゲはノアに腕をつかまれていた。
直後に三人の従者が飛び込んできて、ミュゲを取り押さえる。
みなフィーネを心配して、見守っていてくれたようだ。
ミュゲはぎょっとしたようにノアを見る。
「フィーネ、この人は誰?」
心底不思議そうにミュゲが問う。
「ノア・シュタイン公爵閣下よ。とても素晴らしい方です」
「うそ、うそでしょ? こんな綺麗なわけない。そうか、フィーネはこの人の愛人になったのね。そうよね? 変人公爵がこんな綺麗な顔しているわけないじゃない! どこかの大店の息子でしょ。この恥知らず!」
怒りに顔を赤く染めミュゲがフィーネを非難する。
「違うわ。お姉さま、ひどいこと言わないで。あれはただの噂。ノア様は素敵な方です。私は今、もったいないくらい幸せな生活を送らせてもらっている」
外が騒がしくなり、憲兵が入って来た。どうやらフェルナンが呼んできたようだ。
ミュゲはその場で、傷害未遂容疑で拘束された。
泣きわめき、フィーネに悪態をつきながら、彼女は役人たちに引きずられていった。フィーネはその姿を見て、ショックのあまり座り込んだ。
「フィーネ、けがはないか?」
ノアがぎゅっとフィーネを抱きしめる。
「もっともっとあの人が憎いと思っていたのに。めちゃくちゃに仕返ししたいと思っていたのに、私……」
可哀そうだと思ってしまった。なぜなのか自分でもわからない。涙があふれて止まらなかった。
越えられない壁のように、もっと強い人かと思っていたのに。
「おそらく顔の傷は、魔力暴走に巻き込まれた時についたものだろう。お前の家族の行方は俺が探しておく、だからとりあえず家に戻ろう」
フィーネはノアに抱きかかえられるようにして、元実家のあった場所から去っていった。
◇
三日もするとフィーネの気持ちは落ち着いた。
その間ノアがそばにいる時もあれば、リジーやフェルナンが支えてくれる時もあった。ノアは裁判と本物のエリクサーの発表を控え忙しかった。
そんなある日、フィーネが王都タウンハウスのサロンでお茶を飲んでいると、ふらりとノアが入って来た。
「フィーネ、これはハウゼンからお前宛の手紙だ」
ノアに手渡された。
「父も母もどうしているのでしょう。彼らにとって、私は家族ではなかったようですが」
ぽつりとフィーネが言う。誰も消息を知らせてこなかったのだ。
「お前の父母は隣国で平民となって働いている。もうこの国には居場所がないのだろう。人に使われて苦労しているようだ」
「え?」
フィーネは驚いてノア見る。
「それから、ロルフは、しばらくは両親とともに働いていたようだが、逃げ出した。野垂れ死にしたのか身を持ち崩したのかは知らない。爵位が継げなくてかなりショックを受けていたらしい」
「兄らしいですね」
貴族であることだけが彼の誇りだったのかもしれない。許せないはずなのに、ふと哀れに思う。
「お前の妹は、この国の療養施設にいる」
「え?」
「劣悪な施設に入っていたが、ましな施設に預けなおした。余計なことだったか?」
フィーネは首をふる。
「いいえ、ありがとうございます。マギーは顔に傷などおっていませんか?」
ノアの計らいに感謝し、マギーの行く末を案じた。
「爆風の中心にいた本人は無傷だ」
「よかった……」
ノアはそんなフィーネに様子に軽く眉根を寄せる。
「フィーネ、言っておくが、俺は彼女を引き取る気はない。変に情に流されるなよ。一度裏切った人間は何度でも裏切る。
そのうち魔力過多症の治療薬をやり、お前の父母の元に送る。それでお前と元家族の関係は終わりだ。いや、それより前に終わっていたな。自室で重い病で臥せるお前を、誰もかえりみなかったのだから」
ノアがきっぱりと言う。なぜかフィーネより、ノアの方が怒っているように感じた。
「ふふふ、そうでした。私、ノア様の家の玄関先に捨てられたのですよね」
当時フィーネは怒り狂っていたのに、今は虚しさを感じる。
「それからミュゲだが、近々国外追放される」
「え?」
「お前の実家はすでに他家のものになっている。そこへミュゲはたびたび侵入をくり返し、勝手に家具や装飾品を売っていた。今の所有者を怒らせたんだ」
「姉はそこまで落ちたんですね」
ずきりと胸が痛み、フィーネはうつむいた。
それと同時に膝に置かれた父の手紙が目に入る。正直読むのが怖かった。きっとそっけない言葉か、言い訳がならんでいるのだろう。
しかし、そばにはノアがいる。家族と向き合い、断ち切らねばならないと思った。
フィーネはペーパーナイフを使い、ゆっくりと封切ると、手紙を取り出した。
――フィーネ、すまない。我が家はもうすぐ没落する。これも身から出た錆、甘んじて受け入れる。
お前の余命についてはロルフとミュゲが黙っていたので、ワーマイン医師から聞くまで知らなかった。制約魔法についてはロルフが白状した。
フィーネ、これだけは信じてほしい。知っていたら、お前を辺境へ行かせることはなかった。
髪の色も見た目もお前のせいではないのに、きちんと愛してやることができなくて申し訳なく思う。
ただお前の安らかな最期を祈っている――
手紙は走り書きのような、短いものだった。
沈黙するフィーネの背を、ノアが気遣うようにさする。
「いつ余命を知ったのかはわかりませんが、結局誰も私を迎えに来ようとはしなかった。捨てられたことには変わりませし、そもそも愛されてもいませんでしたね。救いは謝罪と安らかな最期を願うというところでしょうか」
そう言ってフィーネは小さく笑う。
「お前は何も悪くない」
ノアがフィーネの手をそっと握る。
「ノア様。私、前は家族からの愛を望んでいました。認められたくて一生懸命でした。それなのに、今はもう彼らの愛を必要としていないんです。なぜでしょう……」
フィーネがぽつりとつぶやくと、ノアが彼女の肩を抱き引き寄せる。
「フィーネ。俺の愛も必要ないか?」
「え?」
フィーネは、驚いてノアを見る。
「今更、言うまでもないと思うが、俺はお前を愛している」
ノアがフィーネが一番聞きたかった言葉を口にする。
「そんなの言ってほしいに決まっているじゃないですか。私もノア様を愛しています」
「では、結婚してくれるか?」
何の躊躇もないノアのストレートな言葉に、フィーネの心が激しく揺さぶられる。嬉しくないわけがない。ふいに涙が零れた。
しかし、彼の前途を思うと、立ち止まり俯いてしまう自分がいる。
「私の家族は……あなたを騙しました。それに私は、制約魔法にかかったふりをして、余命が半年だということを父母に言いませんでした。
あの時、兄と姉にあらがう体力はなかったけれど。なりふり構わず父母に縋ったあげく、『行け』と言われるのが怖かっただけなのかもしれません。
だから、私も同罪です。せっかくノア様は成功をおさめたのに、ハウゼンの名があなたの足を引っ張ってしまいます」
フィーネは涙を拭いて顔を上げ、ノアを見る。
「フィーネ、俺は騙されてよかった。お前にとっては不幸なでき事だったが、俺はこの出会いを感謝している。ただのフィーネとして、俺の元へ来い」
ノアの言葉に胸をうたれ、彼への思いがあふれ出る。
思えば、彼は出会ったころから、無償でフィーネのすべてを受け入れてくれていた。
「ノア様、私はあなたが大好きです」
フィーネはぎゅっと彼にしがみついた。それに応えるようにノアもフィーネを抱きしめる。
「フィーネ、これからもずっと一緒だ」
そのひと月後、ユルゲン・ノームは有罪となり、無期限で強制労働が科されることになった。
ノア・シュタインは、エリクサーの開発により、華々しい成功をとげ、再び叙勲が決まる。
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