第4話 銀の仮面の男
「あの、私は……」
フィーネは焦りを感じたが、思うように言葉が出ない。
「こういう場は慣れていないのですね? 私も同じです。しかし、連れがどうしてもだれかと踊れとうるさいので……。無理強いはしませんが」
困ったように銀色の仮面をつけた男が言う。
凝った刺繍を施された上等な黒のジュストコールに、シルクのクラバットを身に着けた彼は、所作も美しく、いかにも育ちがよさそうに見えた。
「私、あなたの足を踏んでしまうかもしれませんよ? それでもよければ」
気後れしながらも、フィーネはありのままを伝えた。
「はい、ぜひ」
意外にも男性は快諾した。
おりしもフィーネが唯一自信のあるワルツが奏でられていた。
「では、隅の方で目立たないようにお願いします」
フィーネはそう言って、差し出された手を取った。
「望むところです」
どちらからともなく笑いだす。おかしなところで意気投合してしまった。
二人は舞踏場の片隅で、ひっそりとワルツを一曲踊る。
曲が終わると彼は一礼して会場の雑踏へ消えていった。
仮面の男性は慣れていないと言っていたが、リードがとてもうまかったように思う。
フィーネは壁際にもどり、給仕から果実水を受け取り、喉を潤し一息ついた。
「さて、いつ帰ろうかしら……」
華やかな場所は苦手だ。フィーネは、めまいがして壁にもたれかかる。だが、気分は一向に良くならないどころか、再び咳が出始めた。ハンカチで口元を押さえると血が付いていた。
フィーネは会場の人込みを抜け、テラスから庭園へとふらふらと出る。
噴水のへりに腰かけると少し楽になったので、ここでしばらく休んでから帰ることにした。
「はあ、仮面舞踏会だなんて。お姉さまはどうしてこのような騒々しいものがお好きなのでしょう。早く帰りたい」
血で赤く染まったハンカチを不安な面持ちでながめた。
(なにか、悪い病気なのかしら)
きらびやかに明かりのともる舞踏会場では宴もたけなわで、男女の笑いさざめく声や、明るいダンス曲が流れてくる。
薄暗い魔法灯がさす噴水のへりに、一人ぽつんと座っていると、取り残されたような寂しさを感じる。フィーネはみじめな気持ちになった。
その時、後ろの茂みがガサリとなる。何事かとフィーネが振り返ると、二人組の男が立っていた。かろうじて礼装ではあるが着崩していて、だらしない印象。
「やあ、こんなところで一人で何をしているんだい?」
羽根飾りのついた仮面の男がなれなれしく声をかけてきた。
「いえ、別に。もう帰るところです」
フィーネは彼らに警戒心を抱き、まだ少し具合が悪かったが、無理をして立ち上がる。
「ねえ、ここで俺たちと遊ばない?」
もう一人の白い仮面の男も声をかけてくる、息が酒臭い。二人とも酔っ払っているのだろう。
フィーネが明るい会場の方へと足を踏み出すと、羽根飾りの仮面の男が腕をつかんできた。
「離してください!」
振り払おうとするが、がっちりつかまれていて振りほどけない。フィーネは恐怖を感じた。
「いいじゃないか、少しくらい」
「せっかくの夜だ。一緒に羽目をはずしたっていいだろう? どうせ仮面で誰だかわからないのだし」
男はフィーネの体を引き寄せようとする。フィーネは手を突っぱり、必死に男を拒んだ。
「おい、いやがっているだろ。離してやれ」
明るい会場の方角から、一人の男がやって来た。銀色の仮面、先ほど、ダンスを踊った相手だ。
「なんだ、お前は?」
「俺たちが先に声をかけたんだ」
男たちが気色ばむ。
「どうやらここには招待客だけではなく、ごろつきも混じっていたようだな。だから、こういうおふざけの舞踏会は嫌いなんだ」
吐き捨てるようにいった。
「何だと」
かっとなった男たちが殴り掛かろうと、銀の仮面の男に迫る。
だが、その目前で二人の男達は派手に吹き飛ばされ、したたかに地面にたたきつけられ、二人そろって地面に転がっていく。
フィーネは一瞬何が起こったのかわからなかった。
「もしかして、風魔法?」
これほど強力な魔法を目の当たりにしたのは初めてで、フィーネは目を見張った。
「お嬢さん、大丈夫か?」
銀の仮面の男は、先ほどより砕けた口調で話しかけてくる。こちらが彼の素なのかもしれない。
「は、はい、ありがとうございます。私、もう帰りますので」
フィーネは絡まれた恐ろしさもあり、震えていた。
「ああ、そのほうがいいだろう。ポーチまで送る。家の馬車がまっているのだろう?」
「いえ、あの大丈夫です」
「いいから、ついておいで。酔客も多くてひとりでは危険だ」
そういってフィーネを先導してくれる。親切な人のようだ。
彼とはハウゼン家の馬車の前で別れた。
馬車が走り出すと、フィーネはほっとした。それと同時に彼の名前を聞き忘れたことを思い出しす。
「悪い人もいれば、いい人もいるものね……。でも舞踏会はもうこりごり」
馬車に揺られながら、フィーネは一人つぶやいた。
その晩から、フィーネの体調は悪化し、次第にベッドから起き上がれなくなる日が多くなっていった。
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