ロードストーン 魔術師と巨人要塞

あすいち

プロローグ

 黒々とした雲の切れ間から、白く輝く月が顔を覗かせた――

 夜陰に包まれていた漆黒の森が、青白い月の光によって暗く沈んだ蒼色へと染められていく。


 昼間は太陽のもと瑞々しい緑をいっぱいに湛え、森を住処とする生き物たちが響かす営みの音に満ち満ちていた森。

 それが今は木々の枝葉を蒼く沈ませ、まるで嘘のように静まりかえっている――否、静かすぎた。

 つねのならば聴こえてくるはずの蟲の声、小鳥達の囀りひとつすら聴こえてこなかった。

 多少暑さがマシになり始めたとはいえ季節は晩夏、夜になったからといって森が静かになることは決してない。

 昼中には姿を見せなかった動物達が、夜になればなったらで活発に動き始めるためである。

 しかし今、月下の森を支配するのは風も音もない異様な静寂。

 夜闇に乗じて動き出すはずの動物達の姿も、何処かへ逃げ出してしまったかのように見当たらなかった。

 枝葉が擦れる木々のさざめきさえ聞こえてこない静けさは、まるで森そのものが息を殺してるかのようで。

 どこかピリピリとした落ち着かない空気を漂わせていた。


 その時森の中の、苔むした古いナラの根元にできた水溜りに、風もないのに薄い波紋が広がった。

 他の音のいっさいが消えた森の中で……いや、そのような状況だからこそ殊更はっきり聞き取ることができたのだろう。

 森の奥から響いてくる――微かな地響き。

 振動が地面から幹を伝って木々の葉を震わせていく。


 しかもそれは一度だけではなく、断続的に何度も発生しているようであった。

 何かが爆発したかのような鈍い音。

 森の奥の蒼く靄がかった木幹の間には、火と閃光の灯りが瞬いては消え。

 それに混じって微かに悲鳴と怒号のような声も聞こえてくる。

 何かが砕ける音がすると、大きな大樹が一本、音を立てながら地面に倒れ伏していった。


 それは戦いの音だった。

 誰かと誰かが殺し合いを興じる音。

 静粛とした森の静けさを破る血と断末魔。

 最初は遠慮がちに……それから徐々に無遠慮に騒々しく。

 森の獣達が息を殺し隠れ潜んでいたのは、ひとえにこの血と戦いの気配を感じ取ったが故に他ならなかった。 


 ――バリリリッ!


 突如その時、戦いの音響く森の中から飛び出すように立ち上がったのは……一本の稲妻。

 上から下ではなく下から上へ、落ちるのではなく駆け昇る。

 黒い夜空にひび割れが走るように紫がかった閃光が瞬く。

 稲妻は昇るほどに細く細くなっていき――やがて消えた。

 稲光は黒い森をほんの僅か白く照らした後、再び暗闇が森を支配する。

 同時にあれだけ騒がしかった戦いの音も途絶えた。

 音と光が消え、月下の森に再びあの不気味な静寂が戻ったかにみえた。


 だが次の瞬間――

 ドウッ!と響く轟音。

 そして巻き起こる一帯の木々を吹き飛ばす紫電の爆発。

 突如として森の一角に、荒ぶる紫色の稲妻で出来た半球ドームが出現していた。

 森を揺るがす閃光と轟音に、隠れ潜んでいた鳥や獣達が一斉に飛び出す。

 逃げ遅れたものは容赦なく雷に焼かれた。

 吹き飛ばされた木片や石と共に、焼き殺された野鳥の死骸などが地上へ雨のように降り注ぐ。


 内部を荒れ狂う稲妻で満たしながら、半球ドームは膨張するように徐々に拡大していった。

 圏内に入ったものは、木であろうが岩であろうが獣であろうが、等しく焼かれ砕かれ破壊されていった。

 さらに半球ドームから放たれる放電と、吹き飛ばされ瓦礫によって被害は圏外にまで波及していく。

 まさしく災害であった。


 災害に焼かれる月下の森で逃げ惑う鳥獣たち。

 飛来する瓦礫や放電を避けながら我先にと退散して行く。

 だがこの時、森には獣以外にも災害から逃れようと足掻く者たちが存在した。

 動きがあったのは、荒れ狂う雷の嵐から少し離れた箇所。

 野鳥が飛び回り、瓦礫や電流が乱れ飛ぶ上空ではない。

 鹿や猪が逃げ回る地表でもなかった。

 動きがあったのは――その中間。


 ――ザザ、ザザザザ……。


 青々と茂る樹冠の陰に隠れるように、鳥の羽音のような音を響かせて、木幹の間を大挙して通り過ぎるものがあった。

 いや、鳥ではない。

 木々の間を風に舞うように運ばれる、あれは木の葉だ。


 一枚、二枚…、いや、数百、数千……。


 風もない森の中で、葉っぱだけが大量に宙を舞い。

 枝の下を潜り木々の間を縫いながら、意思を持った生き物のように、ただ一つ方向へ流れて行く。

 数千を超す葉が擦れ合う音は、木々のさざめき音や小鳥の群れの羽ばたきにも似た異音となって森の中に響きわたる。

 大挙して木の葉が群れる様は、まるで樹海で大群を成して泳ぐ、緑鱗の魚を思わせた。


 葉の群れはやがて、森のある一箇所で降下し滞留する。

 海蛇が体を海底に横たえるように、地面に接すると、とぐろを巻くようにぐるぐると、集まって塊にとなった。

 やがて力尽きたように、ハラハラと木の葉を舞い散らせ、蕩けるように崩壊する。

 元の落ち葉へ戻った木の葉を掻き分けて出て来たのは、二人の男。


 両方ともに揃いの頭布フード付きの黒い長衣ローブを見に纏い、

 手には先端に水晶の付いた長い杖を握っている。

 二人のうち片方は、白髪の混じった頭に、柔和そうな細い眼の年嵩の男だ。

 男が手に持つ杖の水晶が、一瞬だけ短く振動した。

 すると、男の長衣ローブに付着していた木の葉が全て、独りでに弾かれるよう剥がれては、舞い落ちていく。

 さらには、進行方向に積もった落ち葉が勝手に、まるで男達の通る道を空けるように両脇に分かれ、歩く二人を避けて行くではないか。


 もう一方の男は、黒い髭を顔に生やした男で、年嵩の男より幾分か若い印象を受ける。

 こちらは手に持った杖を目線の高さまで掲げ持つと、

 なんと杖の先端の水晶がじんわりと光りだし、松明も無いのに二人の周囲を淡く照らしだす。


 ――魔術師だ。


 人でありながら人ならざる術を操る者達。


 彼等は常に先端に水晶の嵌った長い杖を持ち歩き、

 火も使わずに灯りをともしてみせ、

 あるいは家屋を不可思議な力で吹き飛ばし、

 あるいは雨雲もない空にいかづちを呼ぶと云う。

 尊き聖人の御業と、その担い手達以外で、この場でその様な超常を操ることができる者達がいるとすれば、それは魔術師をおいて他にない。


「光りはよせ、バルサム」


 年嵩の方が踵返し、後ろの連れに注意を促す。


探知波サーチも使うなよ?勘づかれるでな」


 言われた黒髭の魔術師――バルサムは、無言で水晶の光量を絞る。

 そして返事の代わりに、年嵩の男に不安そうに問い掛けてきた。


「なぁ、皆は無事逃れられたろうか、どうだろう?ホークビット」


「それは、わからん。逸れてしまったからなぁ」


 ホークビットは立ち止まり、顎に手を当てて、考え込む仕草をする。細い眼と柔和そうな眉がぎゅっと搾られた。

 その動きにつられて、バルサムも歩みも止める。 

 別の拠点の仲間と合流しようとした矢先、ホークビット達は襲撃を受けた。

 無防備な移動中を襲われたとはいえ、こちらも警戒を怠っていた訳ではなかった。


 が手練れ過ぎたのだ。

 でなければこうも易々と、ホークビットらが潰走するはめになどなるものか。

 は警戒を掻い潜り、ホークビットらの不意を打ち。

 同時に有無を言わせぬ圧倒的な火力による先制攻撃を仕掛けて来た。

 おかげでホークビットらは反撃らしい反撃も出来ぬまま、敗走するはめになり……

 仲間達は散り散りに分断され、お互いの安否さえ分からぬ有様だ。


「不幸中の幸いとも言えるのは、だけは既に移送済みというとこか……」


 ホークビットは口に当てた手の中で呟く。

 バルサムが後ろから低く抑えた声で、ホークビットの顔色を伺いながら、さらに問うてくる。


「ホークビット…その……バレていると思うか?敵に……」


「いや、それはないだろう。で襲撃を受けた事こそが何よりの証拠だ」


 ホークビットは首を振りながら、それを否定した。

 本当に一網打尽にするつもりなら、わざわざこんな辺鄙な場所で攻撃せずとも、彼らが拠点にいる時に直接叩けば良いのである。

 それをしないということは、つまり、まだ拠点の場所や目的は敵に割れてはいないということだ。


「しかし、それも時間の問題か……」


 今回の襲撃で、多くの仲間が捕らえられた以上。

 諸々の情報が敵に漏れるのは時間の問題であろう。


「計画を急がせなければ――もはや事を慎重に進めている場合ではない。 他の仲間達にも情報が漏れたことを伝えねばならない。しかし今は、そのようなことより――」


 そして、顎から手を離しバルサムを振り返る。

 目尻を緩め、安心させるような笑みを浮かべてみせた。


「――まずは何処か安全な場所で、しっかり腰を落ち着かせるなりしなければな。そうだろうバルサム?」


「ああ、その通りだホークビット」


「では、この場から逃れんとな」


 二人の魔術師は再び森を歩き出す。

 しかし夜の森を、しかも灯りも『探知波サーチ』も無しで歩くとなると、ほとんど何も見えず手探りしながら歩くようなものだ。

 樹冠の隙間から漏れる月光のみが頼りな上に、おまけに二人は森を歩き慣れているわけでないので、杖で足元を探りながら慎重に進む。

 それでも油断するとすぐ、突き出した木の根や地面の陥没に躓いて、足を折ってしまいそうになる。


「少し待て……」


 しばらく歩いたところで、

 ホークビットは、ハァハァ言いながら額の汗を拭いながら立ち止まった。

 それから懐に手を入れると薬瓶を取り出す。


「それは?」


「これは臭いで追跡して来る猟犬なりの嗅覚を麻痺させ、追わせないようにする為のものよ」


 ホークビットが薬瓶の封を開ける。

 硝子瓶を指で軽く撫でると薬瓶が微細に振動し始め、中に入っていた香水が瞬間的に霧と化して、瓶の中から漂い出た。

 ホークビットはそれを後ろにばら撒く。

 霧となった香水は風に乗り後方に広く散布された。


「……このまま森の中を進めば深い渓谷に出る。そこからは『浮揚レビテート』使って一気に追手との距離を稼ぐぞ」


 ホークビットは霧を操り香水を散布する作業をしながら話す。


「なに、谷を越しさえすれば敵も追っては――」


 その時、


 ――ッふぉん!


 という甲高い音と共に、目に見えない波紋の気配が空中を伝う。

 見えない波紋は森の木々やホークビット、バルサムの体を貫通し後ろへ通り過ぎて行った。


「……ッ⁉し、しまった⁉」


探知波サーチ』だ。

 おそらく、いや間違いなく敵が放ったものだろう。

 波に当たったものの位置を特定する術である。

 今すぐ対策を講じなければ、敵に自分達の居場所を知られてしまう。

 しかし間が悪い事に、ホークビットは直前に別の術を使用していたせいで反応が遅れてしまった。


「バルサム!打ち消しレジストしたか!?」


「す、すまない!突然のことで……」


「『浮揚レビテート』だ!今すぐ飛べっ‼……すぐに追撃が来るぞ!」



 ――イイィィィン!


 バルサムとホークビットが手に持つ杖の、それぞれの魔導水晶マギアクォーツが激しく振動を始めた。

 次の瞬間、地面に落ちた枝葉や苔の欠片を撒き散らしながら、見えない力が風のように二人の体を持ち上げる。

 突風に攫われたか木の葉のように、円を描きながら勢い良く上昇する二人。

 木幹に沿ってある程度の高度まで一気に上昇した後、葉陰に身を隠すように木々の間を縫って逃走を開始した。

 長衣ローブの裾をはためかせ重力に逆らって浮遊するその姿は、まるで花茎の間を舞う黒い蝶にも見えた。


 二匹の黒い蝶は天敵から逃れる為、文字通り蝶のように音を立てることなく、浮遊しながら素早く移動する。

 しかし幾らも進まないまま、その進行を妨げられた。

 行く手の木々の間に一瞬、紫色の光がよぎったと思われた次の瞬間――。


 ――再びの紫電の爆発が、森を薙ぎ払った。


 今度の爆発は、先刻顕われた広範囲を無差別に巻き込む半球ドーム型ではなかった。

 それは遠距離から狙い撃たれるように放たれた紫電の奔流。

 しかしそれでも薙ぎ払うように放たれた紫電は、進行方向にある木々も何もかもを蹂躙するように破壊していった。


「ッ⁉……ぐああああぁ⁉」


 巻き込まれて吹き飛ばされるホークビットとバルサム。

 攻撃の余波を受けただけで、ホークビットたちは文字通り嵐の中の木端のように、空中を錐揉みしながら飛ばされた。

 そして破壊された木々の木片や、砕かれた石礫に身体を打ち据えられながら、地面に叩き落とされる。

 落下した勢いのまま苔の臭いのする腐葉土の上を、土を飛ばして横転しながら滑った。


「ぐ、うぅ、む……」


 ようやく体の回転が収まりホークビットは地面に倒れる。

 しかし暫くは地面に這いつくばったまま呻くだけで、立ち上がるすらできなかった。

 打撲で身体中が恐ろしく痛たんでいたし、攻撃の余波で体が麻痺して全身に力が入らなくなっていたからだ。

 一緒に飛ばされたはずのバルサムも、何処に行ってしまったのかも見当はつかない。

 暫くして体の痺れが弱まった頃になってやっと、杖で体重を支えながら手を付き、よろよろと体を起こす。



「――ほう、まだ立ち上がるか」


 月光が差す森の中に、声が響き渡る。

 木々が幾数本なぎ倒されて、少し森の見晴らしが良くなったおかげで、先程の攻撃を放った主の姿が良く見えた。


 苔生した森の土から剥き出した巨岩。

 月光で白く光るその岩の上に立ち、こちらを見下ろす男が1人いる。


 丈の長い、紫紺色の上質な長衣ローブを纏った魔術師だ。

 銀髪を前から後ろに撫で付けるように流している。

 両手を腰の後ろで組んでゆったりと立ち、その手には先端に紫色の魔導水晶マギアクォーツを嵌めた、銀色の細身の杖を遊ばせていた。

 森の中に不釣り合いなほど上等な身なりをしている。

 纏う紫紺の長衣ローブも、ホークビットやバルサムの、粗く厚手のものとは違い、シルクのように薄く滑らかなものだ。


「……モーヴ…!」


 自分の相手が誰なのか確認したホークビットは、

 口に入った土を唾と一緒に吐き捨ててから、呻くように敵の名前を呟いた。

 それから視界端で、バルサムのことを探す。


「バルサム…バルサム!……生きているか?」


「……ここにいる…ホークビット」


 そう離れていない所から返されるバルサムの応答。

 バルサムがうず高く積もった落ち葉の間から、腕を出した。

 木片と腐葉土に身体が半分埋まっていたが、どうやら喋れるだけの元気はあるらしい。


「バルサムよく聞け、私が時間を稼ぐから、お前は1人で谷を越えるのだ」


「なっ⁉ホークビット⁉」


 驚いたバルサムが、土をバラバラと降らせながら起き上がった。


「逃げ切れたなら身を潜め、そして残った同胞達へ警告を。……方法は任せる」


「いや、待ってくれ!時間稼ぎなら俺にやらしてくれ!

 生き残るなら、あんただ!ホークビット!」


 バルサムの訴えを聞いて、

 ホークビットは乾いた声で笑うと、巨岩の上に悠然と立つ魔術師を顎で差し示す。


「あれを見ろ、悪いがお前では時間稼ぎにすらならん」


 それから地面についた杖に力を入れると、膝をついて立ち上がる。


「行け‼時間を浪費するな!」


 ホークビットの一喝に、バルサムは身を震わせた。

 そのまま何も言わずに踵を返すと、『浮揚レビテート』を発動させると自身の体を浮き上がらせる。

 未練がましく後ろを振り返りながら、バルサムは徐々に加速しながら後退。

 やがて森の闇へと消えて行った。


 しかし、当のモーヴは、その動きを制止するようなこともなく、ただ岩の上に立ちながら、悠然とその様子を眺めるのみである。

 バルサムが森の奥に逃げ去った後も、動こうとせず、追跡しようとする動きは見せない。


「……行かせて良いのかな?」


ホークビットが、モーヴを見上げながら尋ねる。


「逃げられはせんよ」


 巨岩の上からホークビットを見下ろしながらモーヴは冷酷に告げた。


「もっともそれも、今から私がする質問に、貴様がどう答えるかによって……それも変わるがな、ホークビット」


 モーヴは岩の上にゆったり立つのみだが、坐する獅子ライオンのようにその立ち姿には隙がない。

 ただそこに居るだけで見た者の視線を固定してしまう凄味が、モーヴにはあった。

 まるで猛獣に行き会った人がそうなってしまうように。


「必要な答えが手に入りさえすれば、もはや貴様らを追う必要もない。私も館に帰って、ゆっくり紅茶でも楽しめると言うものだ。……お前達も、何処へなりとも好きな所へ行くがいい」


 モーヴの冷たい眼光が、ゆっくり細められる。


「最後にもう一度だけ質問するぞホークビット」


 そう言ってモーヴは巨岩の上から一歩踏み出す。

 何も無い空中に踏み出された一歩は、通常なら踏むものも無く落下するだけだ。

 しかしモーヴの身体は滑るように空中を浮遊した。

 そして地面に着地し、そのままの速度で歩き続ける……

 まるで『浮揚レビテート』自体が歩行の一部であるかのような、自然な術の行使。

 モーヴ自身はそれに気負う素振りもない。

 散歩でもするかのように歩いて、ホークビットの間合いに堂々と侵入すると、彼の前に立つ。



「――答えろ。……『あれ』をどこにやった?」


「……」


 ホークビットはモーヴの問いに答えない。

 その代わりとでも言うように、手に持った杖の水晶が、高い音を立てて振動し始めた。

 モーヴはそれを、戦う意思表示と受け取った。


「あくまで戦うと言うのか…」


 モーヴは依然、両手を後ろで組みゆったりと立つのみだ。

 だが後ろ手に回された杖の、先端にある魔導水晶マギアクォーツは、既に細かい振動を刻んでいる。


「……愚かだな」



 ――イィィィィン


 静寂の支配する月下の森で、

 対峙する2人の魔術師の、水晶の奏でる高い音色だけが響きわたる。


「……シッ!」


 最初に動いたのはホークビットだった。

 目前に立つモーヴに向かって、至近距離で『衝撃波ショックウェーブ』の術を放つ。

 モーヴは、これを杖を軽く一振りする動作のみで打ち消しレジストし――逆にホークビットに向かって衝撃波を撃ち返した。


 ホークビットもこれを打ち消しレジストしたが、こちらはその強い勢いを完全に殺すことができず、大きくのけ反って少し後退させられる。


 しかしホークビットは、ここで『浮揚レビテート』を発動。

 いったん浮き上がって後方に距離を取ると、着地し体勢を立て直した。

 ――そしてお互いの出方を伺い合う為の、一瞬の間。


 その後、怒涛の魔術の応酬が始まる。

 炎が畝り、稲妻が飛ぶ。

 衝撃波は叫び声を上げながら迫り、

 攻撃を打ち消しレジストする逆波長の波が、敵の魔術とぶつかり合う。


 モーヴが杖から、電流が鞭のように唸り、ホークビットに襲い来る。

 ホークビットはそれを、杖で横に弾くように打ち消しレジストした。

 しかし鞭のような電流は、止む事なく何度も空中を奔り、

 振り下ろされるように上から、ホークビットを何度も何度も打ち据えてくる。


「くっ……お、おお……っ!?」


 たまらずホークビットは、再度『浮揚レビテート』を使い、右横に飛んで稲妻を避けた。

 地面を焼きながら追撃してくるモーヴの雷鞭を避けつつ、地面すれすれを、落ち葉を撒き散らしながは滑るように低空飛行する。


 飛びながらホークビットは、腰帯ベルトに差さっている薬瓶の1つの封を解いた。

 たちまち薬瓶の中の眠り薬が、ホークビットの術により霧化して散布され、モーヴを取り巻くように包み込んだ。


 ――魔術、『眠りの霧スリーピングミスト


 しかしモーヴが杖を振ると、突風のような力が巻き起こって、眠りの霧を文字通り霧散させてしまう。


 その間にホークビットは着地した。

 ホークビットも、この術が効かないのは想定済み。

 次の術への繋ぎにする為に放ったものだ。

 攻撃が途切れた隙に、ホークビットは杖を構え直す。

 杖の水晶が、殊更大きい音を立てて鳴り響き始めた。

 火炎が呼び出され、それが収斂され球体の形に練り上げられていく。


 凄まじい熱量が一箇所に集められて、ホークビットの胸の手前辺りに炎の球体が出来上がっていった。

 空中に浮遊しながら心臓のように脈動する球体。

 球体は脈動する毎に、熱量と大きさを増大させていった。

 熱はホークビットと周囲から水分を奪い去り、

 夜露に湿った腐葉土から、蒸発した水分が白い筋のようになって幾つも立ち昇る。


 ――『火球ファイヤーボール


 ホークビットが術を解放した。

 膨大な熱を宿した灼熱の球体が、ホークビットから勢いよく放たれ、吹き出した炎で流星のように尾を引きながら、轟音を上げてモーヴに迫る。


 しかし、モーヴはこれを予測してよんでいた。

 次の瞬間、モーヴと火球ファイヤーボールの間で――バシッ!っと空中に花が咲くように展開した衝撃波の盾。

 ――『波紋盾サージシールド


 火球ファイヤーボールは行く手を阻む波紋盾サージシールドと衝突し激しく爆発を起こす。

 発散された熱と炎は、夜の森を昼間のように明るく照らした。


 波紋盾サージシールドはその炎を、雨を受ける傘のように、円周状に受け流し散らして防ぐ。

 よって火球の熱はモーヴいる周辺の地面を激しく炎上させ焦土化させたのみで、モーヴ自身には届くことはなかった。


 炎球の不発に怯む事なく、ホークビットは、更に次の手を繰り出す。


「はああぁっ!!」


 自らの杖を地に力強く突き立てた。

 すると地表を震動が走った後、なんと森の地表に落ちていた木の葉達が、風に巻かれたように浮かび上がり始める。

 ホークビットが、木の葉の一枚一枚に『浮揚レビテート』をかけて操っているのだ。

 先程のモーヴが木々を薙ぎ払った一撃により、地表は今大量の落ち葉で覆われている。

 舞い上がらされた数百数千の木の葉はホークビットの指揮の元、意思を持った生き物の様に畝り蠢き、やがて一つの流れとなる。


 そして緑の濁流となってモーヴに襲い掛かった。


「むぅ……!?」


 この戦いで初めて、モーヴが動揺を顔に出す。

 木の葉の攻撃自体は大したことない。

 モーヴは攻撃が始まった瞬間に、全身から念動波を放出して木の葉を寄せ付けないようにしている。

 現に荒れ狂う緑の渦巻きは、モーヴに触れることもできず周囲を取り巻くのみであった。


 問題は意表を突かれた事で、モーヴがホークビットの姿を見失ってしまったこと。


 モーヴは、先程からホークビットの特定する為に、探知波を発して周囲を探っているのだが。

 周囲を取り巻く緑の濁流が邪魔をするせいで、上手く位置を特定することができないでいた。


(……ふん、めんどうだな)


 おまけにこの物量、多少の衝撃波で押したとしても全て散らすことは難しそうだ。

 考えを巡らすモーヴは、ふと自身を取り巻く木の葉の青臭い匂いに混じる鼻をつくような臭いの存在に気づく。


(これは……油……!?)


 緑の渦巻きの外側で――ホークビットの放った火炎が一条、渦巻きに向けて放つ。

 轟っ!と音を立てて炎上する渦巻き。

 木の葉に隠れてモーヴを覆っていた油の雲が、火炎が触れたことにより一瞬で炎上したのだ。

 火炎は木の葉も巻き込んで灼熱の真っ赤な渦となり、モーヴをなぶる。


 ホークビットはモーヴの視界を遮った直後、

 腰帯ベルトからもう一本薬瓶を引き抜き、中身の燃焼薬を霧化させ木の葉の渦の中に紛れ込ませていたのだった。

 舞わせた大量の木の葉は、霧化させた燃料に気づかせない為の欺瞞カモフラージュにすぎない。


「……ふぅ、う」


 呼吸を忘れていたホークビットが、やっと息を吐き出す。

 さすがに今度の術は決まったと思った。

 自然と口端が緩む。


 しかし――。


 突如、目の前の渦を巻いていた炎が、紫電の光と共に爆散。

 ホークビットは、思わず腕で顔を庇った。

 燃える木の葉ごと、炎が吹き飛ばされ、中から現れたのは――、


(バカな、無傷だと……!?)


 炎から歩み出たモーヴは、全身に紫電の火花を散らせ、火の陰のせいか、その姿をひと回りも大きく見えた。

 多少長衣ローブの端が焦げているが、それ以外に被害らしい被害はない。

 その顔には鋭い眼光だけが、爛々と光っていた。

 モーヴは、その顔をぐるりと巡らしてホークビットを探す。

 その姿を見て取ると、無造作に、その方向に手に持つ杖を突き出した。

 杖の先に紫電の光が収束し、その凄まじい波動に空気が震撼する。


(まずい……!)


 慌てて対抗魔術を放つ為、準備を始めたホークビット。


 しかし、モーヴの杖から放たれた紫電の奔流が、ホークビットの胸を貫いたのたのは、それよりも早かった――。




 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




 モーヴは膝をついて、

 足元で糸切れた人形のように倒れているホークビットの首元に手をやる。

 呼吸がないことを確かめ、彼の絶命を確認した。


「モーヴ様――」


 背後から彼の名前を呼びかける声。

 モーヴはその場で立ち上がってから振り返った。


 木幹の陰から茂みを掻き分け、頭布フードを被った外套マント姿の人影が姿を現した。

 外套マントの端から、腰に吊った剣がチラチラ見える。

 おそらく剣士だろうか。


 何かを引きずっている。

 襟首を掴んで引きずられていたのは魔術師の黒い長衣ローブ――あのバルサムの死体だった。

 死体がバルサムのものだとわかったのは、彼の特徴的な黒髭が見て取れたから。

 死体だとわかったのは彼の顔の、鼻から上が存在していなかった為であった。


「申し訳ございません、死亡させてしまいました」


 頭を伏せて謝罪する剣士。

 声や体格から察するに女のようだった。

 頭布フードの隙間から赤茶けた栗色の髪が溢れ出る。


「しかし死ぬ直前、使い魔を使って、何処かに連絡しようとしていた痕跡が……」


 そう言って頭布フードの剣士が、一枚の羊皮紙の切れ端をモーヴに差し出す。


「ふむ……」


 モーヴは羊皮紙を受け取り、折り畳まれたそれを広げて見る。


「それで、何処へ向けてのものかはわかったのか?」


「確証はありません。他に捕らえた仲間達からの、情報と照らし合わせる必要がありますが、しかし――」


 頭布フードの剣士が、そこで言葉を切る。


「――おそらく、〈陰り森かげりもり〉かと……」


「……アルケミラ魔術学院か」


 モーヴがそう呟いて、羊皮紙の切れ端を閉じた。

 月光に蒼く照らされた月下の森は、戦いが終息し再び元の静寂を取り戻していた。

 しかしそんな静寂とは裏腹に、ぶつかり合う魔術師達の思惑は、更なる戦いの臭いを漂わせていた。

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