伸びすぎる髪
栗亀夏月
出会い
皆さんは髪が1日どれくらい伸びるか知ってますか?
日本人は1日約0.3~0.4cmづつ伸びていると言われています。
1年では約12cm伸びる計算になるそうです。
私は、髪が伸びるのは遅い方だと思っていました。
しかし、ある出会いが私、増永光希のヘアスタイルライフを一変させたのです。
春の陽光に包まれた朝。
私は、仕事に向かうために準備を始める。
特に時間をかけるのは髪の毛だ。
ここで、私の髪に対する意識の強さが、どのような経緯で育まれたか説明しよう。
私は、中学、高校時代強豪バスケ部に所属していたため、髪型は超ショート。オシャレなヘアアレンジなどせず部活に打ち込んでいた。
大学生になり、自分磨きを始めるとまずファッションを勉強した。
メイクなんかその時初めて覚えた。
大学時代からの親友、長里麻理は高校時代ギャルだったらしく、麻理に初めてメイクをしてもらった時、大きな変化を感じた。
大学1年の冬、彼氏が出来た。
ひとつ年上の法学を学ぶ将来有望な彼だった。
しかし、彼とは長続きしなかった。
別れ際彼は、性格が上手く合わなかったことと、私の髪型がどうしても好きになれないと言った。
当時の私の髪型は、今まで1度も染めたことのない原色の黒髪ボブだったのだが、それが彼には刺さらなかったらしい。
数ヶ月後、その元彼に出来た彼女は金髪でロングヘアだった。
その事に対する反抗意識からか、私は今日に至るまで、黒髪を維持している。
こんな経緯があり、私は生まれたままのこの髪を大切に、ケアしているのだ。
全身、全ての準備に1時間半ほどかけて、私は家の扉を開ける。
マンションの3階、一人暮らしだ。
仕事場に到着した。
私は編集者をしている。女性美容雑誌「RAIN」で、メイクやヘアアレンジ、ファッションなどについて主に20代をターゲットにした内容を掲載している。
同じ部門には、親友の長里麻理もおり時々一緒の企画を担当することがあった。
この日は、6月号のファッション企画について、話し合い、モデルやカメラマンの手配などをした。
今日は金曜日、飲みに行こうかと麻理を誘ってみた。
「ごめーん。私、今日彼氏とデート」
「そう。なら仕方ないけど、返事そろそろしたら」
笑いながら、私の肩を叩く麻理。
「この前のプロポーズでしょ。私もうちょっとじらしてみようと思ってるの」
「えー。早く答えてあげなきゃ可哀想じゃない」
麻理がプロポーズされた彼氏は、どんな経緯で知り合ったかよく分からないが、大手スポーツメーカーで働く男性だ。かなり忙しいらしく、海外転勤の可能性もあるとかで、麻理には早く結論を出して欲しい心境だと思う。
「光希はなんでも急ぎすぎ。結婚は慎重にならなくちゃ」
「そうかな」私は少し疑問に思ったが、私が急ぎすぎな性格なのは確かだった。
「じゃあ、また来週ねー」
そう言い残すと、麻理はロングヘアで部分的に編み込まれた髪を揺らしながら外へ行った。
1人で飲むのは心細い、とりあえず買い物をして今日は家で静かに過ごすことにした。
帰る途中、今日決めた企画について後輩から電話があったため、買ったものをその場に下ろし、対応した。
辺りは人通りが多いが、もうかなり暗かった。
今日買ったのは、なくなりかけていた化粧品と食品だった。
家について、それらを選別していると見慣れないパッケージの商品が現れた。
それは見たことの無い、恐らく外国製のヘアオイルだった。
成分なども市販の物と変わらない、間違えで買ったのだろうか。
化粧品は多くて困ることはない、今夜試しに使ってみようと思った。
さっそくお風呂上がりにヘアオイルを使ってみた。
タオルで髪の水分を軽くとばして、髪の毛全体に馴染ませる。
香りもアロマ系でとても良かった。
ヘアオイルは髪の保湿やパサつき、うねりの改善に効果がある。
自分の雑誌の取材でなんとなくの知識は持っていた。
新しい化粧品やケアアイテムを使うと新鮮な気持ちになる。
私は、テレビを少し見た後、眠気に負けて布団に潜り込んだ。
翌朝、バッチリ目が覚めた。土曜日なので、思いっきり2度寝してやろうと意気込んでもう一度布団に潜ろうとしたが、なんとなく頭に違和感があった。
ぼーっとしている脳みそを無理やり起こして、私は鏡の前に行く。
そこには衝撃的な光景が広がっていた。
「髪が、長い!」
昨日まで、ミディアムで肩ほどまでしかなかった髪の毛が、腰ほどまで伸びていたのだ。
これは異常事態。すぐに写真を麻理に送った。
まだ起きていないのだろう、返信は来ない。
また鏡の前にたってみた。
「夢じゃないよね」
とても不思議な心境だった。
原因はなんだろう。少し考えてふと頭によぎったのは、あのヘアオイルだ。強力な育毛剤だったのだろうか、だとしても伸びすぎだ。後で製造会社を調べようと思った。
しかし、すぐに次の行動に出た。美容院への予約だ。
普段は会社の近くの美容院に通っている。
電話をかけてみることにした。
なかなか繋がらない、この時間ももどかしかった。
「もしもし」
やっと繋がった。
「もしもし、増永ですけど今日カットできますか」
「すいません。今日は予約で埋まっております。明日なら空きがありますが」
明日まで待つか?少し考えたが、この髪の毛は今すぐになんとかしたかった。
「すいません。じゃあまた後日にします」
そういうと電話を切った。
最悪商店街の床屋でもいい、私はこの髪で歩き回りたくないのでできるだけ近くの美容院や床屋を検索した。
「あった」声に出してしまうのも無理は無い、徒歩3分程の場所につい最近オープンしたばかりの美容院があったのだ。
私が必死に髪を編み込んだり、束ねたりしていると10時頃麻理から返信があった。「やば。合成?」たったこれだけだ、そんなわけあるか!とつっこみたい気持ちを抑えて、私は事情を説明し、とりあえず切って貰う事を伝えた。
しかし、麻理の反応は予想外だった。
「せっかくだから、ヘアアレンジ楽しんじゃいなよ」というのである。
それも一理あると思った。とりあえず美容院で決めることにした。
準備を整え、美容院に向かうことにしたが念の為空いているか電話をしてみた。
若い男性の声が聞こえ、「いつでもお待ちしています」ということだったので、帽子を被り、人目を忍んで、美容院に向かった。
美容院の名前は「ETERNITA」。オシャレな名前に対して、店は古びて見えた。
「いらっしゃいませ。先程の増永さんでよろしいですか」
現れたのは若い男性だった。まだ大学生と言われても分からない。新人さんかアルバイトさんだろうか。
「はい、今日はカットをお願いしたくて」
「分かりました。僕はここの店長の西坂海路って言います。よろしくお願いします」
店長だとは、気づかなかった。
「お願いします」
私は挨拶すると髪の毛を解いた。西坂はかなり驚いていた。
「そんなによく伸ばされましたね」
「いや、そうじゃないんです。信じられないと思いますけど、今朝起きたらこんなに伸びてて」
「まあ。とりあえず座って下さい」
私は経緯を話しながら、カットは始まった。
内装もよく見ると美容院というより、床屋に近かった。
そんな私の視線に気がついたのか、西坂が「ここは祖父が最近まで床屋をやってたのを僕が引き継いだんですよ」と、美容院を開くまでの経緯を説明してくれた。
その間も私の注文どうり、元のミディアムになるように丁寧にかつ迅速にカットは進んだ。
西坂のカットの腕は素晴らしいかったし、普段なら進んでしないトークも彼とならスラスラ自分のことを話していた。カットも終盤になると、西坂がこういった。
「とても綺麗な髪質ですね。染めたり、縮毛矯正とかブリーチしたことはないんですか」
「ええ、1度も無いです。生まれたままの髪の毛を大切にしてます」
「そっか、どうりで綺麗なわけだ。ぜんぜんうねりもないし、くせ毛もない。最近はずっとこの髪型なんですか」
「大学生からずっとですね。アレンジとかもしたことないから」
「もったいないですよ」
そこだけ、西坂の熱意が込められていた。
「せっかく、毎日こんなに髪が伸びるんだから、オシャレな髪型にしてみませんか」
麻理と同じような事を言われ私もその気になった。
髪が綺麗と褒められて嬉しかったことも重なって気分はとても良かった。
「そうですが、でもその度に美容院に行ってもお金もそうですし、迷惑じゃありませんか」
「迷惑なわけありませんよ!僕はまだ新米です。もちろんいい経験にもなりますし。大歓迎ですよ」
鏡越しに見える西坂の表情はキラキラしていた。
「普段、月何回くらい美容院行きますか」
「そうね。月2回くらいだと思います」
「じゃあ、2回分の料金でひと月使い放題、これでどうですか」
美容院なのにサブスクみたいなシステム。思わず吹き出しそうになったが、それはありがたい。
「西坂さんが良ければ、お願いします」
そんなわけで、私は毎日ヘアアレンジを楽しめる最強な環境を手に入れてしまった。
帰りながら、明日はどんな髪型にしようか考えた。
同時に、西坂と何を話そうか考えている自分もいた。
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