机上の殺戮で報いる
彼苑兎
0 序夜 Jo-Ya
仕事がヒマすぎてみなが雑談に耽っていたときだ。Instagramで宣伝していたダイエットに効果がある漢方や推しのアイドルの眉唾な美談から同僚の噂話まで話題がスライドして、ふいに訪れた夕凪のようなすきま。サナは瞬きもせずにこう打ち明けた。
「わたし、去年まで太陽に住んでたんです」
サナと向かい合わせのクミコは親子ほど歳が離れている。クミコは「ええ、なに、南国に住んでたの?」と尋ねた。サナは無視して続ける。
「とてつもなく熱くて、目も開けられなかった。わたしは、そんな過酷な環境に家を建てて、十五年間も過ごしたの」
今日から研修の新人が集まって廊下からオフィス内を覗いている。クミコは頬杖をつき半笑いでそちらのほうをじっと見ていた。サナの左側に座っている美白ツーブロックのイセドンが「知ってる? 太陽って地面がないんだよ」と苦言を呈する。右側から高学歴元ギャルを自称するトヨマルが「どうやって家を建てたの?」と訊いてもサナは動揺せずに抗う。
「太陽の灼熱でも溶けたりしない特殊な素材があるんですよ。その素材で組み立てたシェルターのなかにいました」
イセドンは「すごいな、マジで太陽まで行けたら肉体が蒸発しちゃうよ」と、口元に笑みを浮かべながらフクロウのように目を丸くした。オフィスの敷居を跨いだ新人の男がクミコの視線に気づき、こちらを見る。クミコは視線をサナに戻すと一瞬真顔になり、やがてそれは苦笑いに変わった。
サナは
廊下で待っていたケンと合流したサナは足音で不満をあらわしながら歩き出した。爪先で一歩先を先取りするような狩猟的リズム。廊下の突き当りの窓の外の高層ビルの窓の内で働く顕微鏡の接眼レンズに映るミジンコのような人間まで視線を射ながら、あらためて声で不満をあらわす。
「誰も信じてくれない」
ケンは同調しながらサナを
「ドロドロに溶けなかっただけでもすごい」
サナの眉間にしわか影かわからない線が走った。床を踏むのに合わせてサナの右耳のイヤーカフに垂れ下がるつややかなタッセルが振り子のように揺れる。
「蒸発するんだって」
そう言ってサナはケンと視線を合わすことなく歩き続けた。
ハンバーガーショップで着席してからもサナは落ち着いた表情で先刻と同じ話題を続けた。今度はまっすぐケンを凝視しながら。
「死ぬと思うでしょ? でも意外と平気なんだよ」
サナは以前から虚言か冗談かわからない話をすることがあった。整形に五百万円以上かけているとか、生き別れた双子の妹がいるとかいう話を、サナは自虐のように話した。だが幼いころの写真はどれも現在と変わらない並行二重で鼻筋が通った顔立ちだし、双子の妹の影すら見つからなかった。虚言や冗談はふつうの皮を被った人間が語るふつうでない話だ。だが太陽に住んでいたと語るサナはふつうの皮が剥がれかけていた。麻薬の副作用で妄想があふれているのかもしれない、そうケンは思った。
サナの話に機械的な相槌を打ちながらケンは迅速にハンバーガーを食べ終えた。傾聴の姿勢に入るためだ。サナはセットメニューを一口食べただけで手を止め、延々と話し続けている。ケンは話の切れ目が訪れるのを待ちわびていた。ときおり話の要点をiPhoneのメモ帳に打ちながら。
一瞬、サナの話が途切れる。サナが軽く息を吸い込み、吐くタイミングに合わせてケンは訊いた。
「最後にクスリやったのいつ?」
相手に呼吸を合わせていると、感情の動きが手にとるようにわかるときがある。ケンは神経を集中させてサナに潜入しようと試みた。
「クスリはもうやめた」
「やめたって、一週間前に俺の前でやってるじゃん。そうじゃなくて、やりすぎてないかなと思ったの。あれが最後?」
サナは含み笑いを浮かべて黙っている。
「今日ウチ来る? 見せたいものがあるの」
目を見開きアッシュグリーンの髪を耳にかけなおす。スティックシュガーを五本も入れた甘すぎるカフェラテを口にするサナを、ケンは余裕の笑みで眺めていた。「お汁粉好きだっけ?」とケンは訊く。
「うんん、べつに好きじゃない」
「ふーん、でさ、見せたいものって、愉快な気分になるもの?」
「え、なるよ、ほんとに見てほしい」
ケンは軽くため息をつく。どうにもきな臭い。サナは悪だくみをして俺を困らせようとしている。薄弱ではあるが看過できない根拠があった。喉の奥あたりの焼ける感じ、サナの犠牲に飢えているような眼。だが、店の外から引き延ばされた金属音が狂ったうめき声をあげるせいで集中が途切れてしまった。工事などしていないはずなのに。
「行くけどさ」
昨日、電話した母親から心療内科で診てもらうように言われたらしい。ケンは行く必要はないと答えておいた。どうせウチに行けば異変の原因はわかるだろう。
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