(7)お前の職務には作家を敬うが含まれていないのかい?

「さっきから何を読んでいるんだい?」

「サテパン最新刊のあらすじです」

「あぁ、さっきの」

「出オチ感ありますが、すでに5巻まで発売されているんですね。上野界隈で人気というのは本当のようです。これは……可能性を秘めてますよ」


 やりすぎなくらいの白黒押しがまた可笑しい。


「編集者の血が騒ぐのかい? よかったじゃないか。ちょうどいい。その担当になるといいよ。私はこれで失敬するからね」

「何言ってるんですか。それはそれ。仕事はやり切りますよ」

「ちぇっ……」


 タクシーの運転手に尋ねたところ、世田谷の一本松公園はすぐに見つかった。地元ではやはり知られた名前らしい。ここまで運んでくれた運転手も、懐かしそうに公園を見ていた。ただ、件の家については聞いたこともないという。そううまくはいかないものだ。


 一本松公園は校庭くらいの広さだった。遊具が並ぶスペースと、ネットで囲まれた野球グラウンドに分かれており、そのふたつを遊歩道がぐるりと囲んでいる。さらに遊歩道を囲むように、広葉樹が植えられていた。


 名前にあるくらいだから、と松の木を探してみたもののそれらしき木は見当たらない。


 ちょっと一服、と逃げ出そうとした先生の手をひき、野球グラウンドのほうから遊歩道を通って遊具ゾーンまで向かう。


「本当に厄介な弟子を寄越したもんだよ。目の付け所が一緒じゃないか」

「ということは、久遠さんも人を喰う家の話を?」


「そもそもあいつが持ち込んだんだ。私は外に出たくないと至極真っ当な主張をしたのに、あいつは無視して私を外に連れ出して地道な聞き込み調査。思い出したくもない」

「場所の見当も、久遠さんが?」

「あいつの唯一すごいところは、目的のものを必ず見つけ出す情報収集能力だね……まさか受け継いでないだろうな?」

「さぁ、どうでしょう?」


 と見栄を張ったものの、私の取材力は久遠さんの足元にも及ばない。2年いっしょにいた今でも、あの人の背中に近づいた気がしないのはそのせいだ。


 とにかく、調べ方が上手い。私が思いつかないような方法で、久遠さんは情報へアプローチする。正攻法では決して辿り着かない場所に、久遠さんはいとも容易く到達できる。


 だからこそ、一色琴乃もことごとく捕まったのだろう。


「一本松って、あれのことじゃないのかい?」


 先生が指差した先、遊具ゾーンの中心あたりに、赤いロープで構成された三角錐のオブジェクトがそびえたっている。見ようによっては松の木に見えなくもないが、どちらかというとあやとりで作った東京タワーだ。高さは4メートルくらいだろうか。紐状のジャングルジムといった感じだ。


「あれはザイルクライミングというんだよ」

 こともなげに、先生が説明する。

「そういうところだけは作家先生って感じですよね」

「気になっていたんだが、お前の職務には作家を敬うが含まれていないのかい?」

「必要ならばそうします」


 ザイルクライミングの麓から天辺を見上げると、意外と高い。掲示板の内容に即せば、件の家はこの上から見えるらしい。ふと冷静になり、周りを見回す。平日のお昼過ぎだからか、私たち以外に人はいなかった。


「私はね、こういう楽しそうな遊具が大好きなんだ」言うが早いか、先生はロープに足をかけするりするりと登っていく。「人を見下せるのも最高だね」


 慌てて私も後に続いた。彼女を調子に乗らせてはいけない。


 先生にできるんだから、と高をくくっていたが、意外に登頂は難航した。足場も手元も不安定で、力を上手く込めることができない。どうしてあんなに速く、と先生を見上げると、器用に紐と紐の結び目近くを選んで渡っている。なるほど、支点に近いならたわみも少ない。しかしなぜ、そういう知恵だけは回るのか。


「案外見事な眺めじゃないか!」

 頂上に着いた先生が感嘆の声をあげている。

「家は見えますか?」

「いやぁ……」

「ちょっと!」


 息も切れ切れに頂上に辿り着き、視線を遠くに投げる。これは、と思った。遊歩道を囲んでいた木々がちょうど目線の高さにあり、さらにその先の風景を見渡せる。周囲に自分より高いものはなく、ささやかな優越感が胸を満たした。なるほど、これは子どもが好きかもしれない。


「とはいえ、ここで鬼ごっこは危険そうですが……先生、あれじゃないですか?」


 公園の外に広がる住宅街に目を走らせていると、レンガ作りの建物がパッと視界に飛び込んできた。2、3ブロック先だろうか。建築様式のせいか、それとも曰く付き物件特有の雰囲気が滲み出ているのか、探すのに苦労はしない。


「すぐ見つかるじゃないですか」

「えぇと」

 先生は煮え切らない。


「まさか、この期に及んで見えないふりでやり過ごそうとしているわけではないですよね」

 先生の肩に手を置く。

「この手はなんだい?」

「4メートルの高さから落ちてみた、で一本書いてみませんか?」

「それは脅迫だよ! あのね! 見えないんだ私には! 本当だ! 久遠も見つけられなかった。だから本になっていないんだろう!」


 それもそうか、と妙に納得してしまった。

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