immature
夕雨 夏杞
immature
1
「ねぇ、ずっと子どものままでいたいと思うこと、ない?」
目を細めながら言った
「そりゃあ思うよーだって今年で大学生活も終わっちゃうし、これからは社会の波にもまれて生きていかなきゃならないんだから。」
私がうんざりとした顔で言うと、
「…そうだね。」
と楓子はぽつりと呟いた。
一瞬どこか寂しそうな表情をしたように見えたが、私はあまり気にしなかった。
私と楓子はともに大学四年生で、同じゼミで知り合った仲だ。楓子はとても真面目で大人しく、時々冗談か本気か分からないようなことを真顔で言うため、ちょっと変わり者というか、ゼミでも少し浮いた存在だった。でも、流行に敏感なイマドキの大学生と居るよりも落ち着くし、なにより気が合った。
楓子がこんな風に自分の世界に入り込み、感傷に浸ることは珍しくなかった。それに、これから卒論やら就活やらで忙しくなるだろうから、 楓子も気が滅入ってしまっているのではないかと私は思った。
「そういえば楓子はさ、子供のときどんな子だったの?」
私はふと気になって聞いてみた。友達とはいえ、大学以前の楓子のことを私は全く知らなかった。すると楓子は、昔を懐かしんでいるのか、優しい表情になって話し始めた。
「んーあんまり変わらないかな。静かで、本ばかり読んでいて。ただ、今より少し明るくて正義感が強かったかも。ルールを守らない子を叱ったり。」
「えー!それはちょっと意外かも。」
「でしょ。あと、魔法とか妖精とか本気で信じてた。」
「なにそれかわいいー!あっでも、楓子なら今でも信じてそう…」
「んーさすがにそれはと言いたいところだけど、実はまだちょっとだけ。でも信じてるというよりは、希望、みたいなものかな」
楓子は遠くを見つめて言う。
「やっぱり?でもさ、そういう希望って大事だと思うんだよね。大人になるとさ、なんでも理屈で考えようとするじゃない?私は子どもの感性とか感情こそ、大人が最も忘れちゃならないものだと思うな。」
私がそう言うと、楓子は少し驚いた顔をした後、「私もそう思う」とにっこり笑った。
楓子は気の許した人には案外表情豊かであった。まるで子供のようにコロコロ変わるその表情を見るのは楽しかった。
2
新学期が始まると、なんだかんだお互い忙しく、ゼミ以外で楓子と会う機会は次第になくなっていった。たまにLINEでやりとりしたり、時間が合えばお昼を一緒に食べたりするくらいだった。
「そういや楓子、ちょっと痩せたんじゃない?」
その日の楓子のお昼はおにぎりひとつだけだった。しかもそれさえ残していた。
「そうかな…?最近食欲なくて」
そう小さく呟く楓子の顔はますます痩せこけてみえた。
「ちゃんと食べなきゃだめだよ。何かあったの?」
「…ううん。なんでもないの。ただ、ちょっと疲れちゃっただけ。」
「…就活のこととか?」
「就活……そうかも。そういう感じ。」
無理して微笑もうとしているようにみえた。今はそっとしておいた方がいいのかもしれない。
「そっか…。あんまり無理しないでね。話ならいつでも聞くからさ。」
「…ごめんね。」
私は楓子と別れたあとも、モヤモヤとした感覚がずっと胸の中に残っていた。もっと話を聞いてあげればよかったと後悔していた時、ふと、楓子は何に対して謝っていたんだろうという疑問が頭をよぎった。しかし、私は私のことで精一杯でもあった。忙しい日々を送る中、楓子のことを心配する余裕はなくなっていった。
3
月日が経って、なんとか就職先が決まった頃、楓子から連絡があった。
「就職先決まったってね。おめでとう。私も、ようやく決まったよ。」
私はメッセージをみて一安心した。忙しい時でも、たまに楓子の痩せこけた顔を思い出しては、不安になっていたからだ。
「楓子もおめでとう!どこに決まったの?」
とメッセージを送り返す。
私たちは、会っている時くらいは就活のことを忘れていたいという思いがお互いにあったからか、どこに面接に行ったとか、受かったとか落ちたとかの話は全くしていなかった。
しばらくすると返信が来た。
「眺めがいいところだよ。」
…あれ?
思ってた回答とだいぶ違ったため、少し混乱してしまった。普通に○○社とか、○○系の仕事って返ってくると思っていた。まぁでも、楓子は変わったところがあるから、そんなに不思議なことでもないかと思い直した。もしかしたら本当は聞かれたくなかったのかもしれないとも考えた。
「いいじゃん!気に入った場所なら少しは頑張ろうって思えるしね。」
ここは無難に返して、また今度改めて色々話そうと思った。
4
数日後、私はゼミの先生に就職先が決まったことを報告しに行った。
「まぁ何とかなって良かったです。そういえば、楓子も就職先が決まったみたいだし、お互いに一安心って感じで…。」
すると先生はおかしな表情を浮かべながら、
「そうだったのか。いや、芽森さんからそのような報告は一切なかったから…。最近は連絡もとれないし、私も心配していたところだったんだよ。それならよかった。」
と言った。私は嫌な予感がした。確かに楓子がスーツを着ている姿をみることは1度もなかった。どこに就職したかも結局分かってない。
どくどくと心臓が脈打つ。私は急いで教室を出たあと、震える手で携帯を開いて電話を掛けた。……繋がらない。何度かけても結果は同じだった。
楓子の家にも行ってみたが、留守だった。もしかしたら普通に出かけてるだけかもしれない。ふらっと散歩にいくことも結構あるって言っていたような気がする。私の考えすぎだ。とりあえず今日は帰ろうと思った時、大家さんらしき人が敷地の掃除をしているのを見つけた。私は思い切って聞いてみることにした。
「あの、私ここに住む楓子って子の友人なんですけど、楓子のことみかけませんでしたか。」
すると、大家さんらしき人は掃除をしていた手を止める。
「ああ、楓子ちゃんね、あの子ならもうすぐ引っ越すからって最近色々整理していたけど。引越しはまだ先だから、どこかに出かけてるんじゃないかな。」
引越し…。私はもちろん何も聞いていなかった。いや、就職先が決まったのだから、引っ越しなんてありふれたことだ。忙しかったから話す余裕もなかっただろう。焦る必要はない。わかってる。なのに、落ち着かないのはなぜだろう。
「そう…ですか…また時間を置いて来ます」
そう言って私が立ち去ろうとするとき、
「そういえば、引っ越すとはいってもあんなに家具や物を捨てるなんてもったいないよなぁ。今の若い子は、そういうのも心機一転で変えちゃうのかねぇ。」
と後ろで呟いているのが聞こえた。
5
夜中、着信音がなった。
私は画面にうつる名前をみて、すぐに電話を取った。
「楓子っいまどこ!無事?」
「……未来、そんなに慌ててどうしたの?」
「だって…電話には出ないし、家にもいないし、ゼミの先生にも何も連絡してないんでしょ?そりゃ心配するよ。」
「うん…ごめんね」
「それで、いまどこ?」
数秒の沈黙がやけに長く感じた。
「…私のお気に入りの場所」
私は言うかどうか悩んだが、おそるおそる聞いてみる。
「……それって就活で決めたって場所なの?」
楓子は再び沈黙した後、小さな声で質問に答えた。
「…そうだよ」
「ねぇ、楓子のシュウカツってさ」
「…うん、終わる活動って書いて終活。色んな場所を調べて見に行ってね、ここがいいなって思ったんだ。あとは部屋の中のものを整理して捨てたり、遺書を書いたり。まあ本来の終活と私のじゃあ意味が違うのかもしれないけど。」
「どうして…」
「前に私話したでしょ。大人になりたくないって。」
「でもあれは…」
「確かに就活そのものが嫌だなって気持ちもあるよ。でもね、私ほんとうに大人になりたくないんだ。ずっと子どもでいたい。
お父さんとお母さんと一緒に、いつまでもいつまでも子どものままでいたいの。
毎日学校から帰ってくると、おかえりってお母さんが優しく迎えてくれて、お父さんが仕事から帰ってくると、家族みんなで晩御飯を食べて。夏休みにはキャンプとかプールに行ったり、花火をしたりして、誕生日には丸いケーキに蝋燭を立ててお祝いしてもらって、クリスマスにはプレゼントが枕元に置いてあって、あとあと、雪遊びなんかもしたりして。
お母さんに甘えて、大好きって抱きしめたいし抱きしめてもらいたい。それが永遠に続けばいいなって。でも、時間は止まってくれない。
だからね、もう終わらせようと思ったの。私、ずっと思い出の中で生きてた。もう限界だった。でも今ならまだ間に合うって。子どもの頃の記憶や思い出に包まれて終われる最後のチャンスだって思ったんだ。」
「そんなの、お母さんとお父さんと大人になっても一緒にいればいいじゃん!まだ死んだわけじゃないんだからさ、大人になってもできることたくさんあるよ。」
「ううん、私にとって子どもって特別なの。子どもであることに意味があるの。自分でもわがままだと思う。最低だと思ってる。馬鹿だよね。でも、私…ほんとうに大人になりたくないの…。もう生きてるだけで苦しくてたまらない…。」
少し呼吸が乱れて涙声になっている。
「楓子…」
「私、幸せだった。もちろんいい事ばかりじゃなかったけれど、お母さんとお父さんがいて、私がいて、すごく幸せだったんだ。」
私が黙っていると、楓子が続けて言う。
「ひとってさ、生まれてくる日を選ぶことはできないじゃない?だから、死ぬ日くらいは選べてもいいんじゃないかなって…私思うんだ。」
私はもう何も言うことができなかった。止めればいいのか。でも、なぜだかそれができなかった。楓子の声が、どこか安堵と幸せに満ちていて、幻のようにさえ感じたからかもしれない。
気がつくと電話は切れていた。最後に「ありがとう」と聞こえたのは気のせいだっただろうか。泣き疲れたせいか、私はいつの間にか深い眠りについていた。
6
朝日に照らされて、私はゆっくり起き上がった。目がかぴかぴに乾いてしまっていることや、赤く腫れていることから、昨日の出来事は現実なのだと思い知らされる。
数時間後、私は楓子が亡くなったことを知った。
私は、未だに信じることが出来なかった。だから涙も出なかった。昨日出し切ってしまったからか。それとも、楓子は本当は子どもの頃へ戻って行ってしまったのではないかと、そんなことをぼんやり考えていた。
楓子の葬儀はすぐに行われた。楓子は死んでいるとは思えないくらいとても安らかで、幸せそうな顔をしていた。そして、どこか幼い子どものようにもみえた。周りにはたくさんのぬいぐるみやおもちゃ、絵本が敷きつめられていた。遺書にそうして欲しいと書いてあったらしい。どんな死に方をしたのか知ることはなかったが、だからこそ、本当はまだ生きてるんじゃないかと思ってしまう。
葬儀の後、私は楓子が選んだ場所を訪れた。そこにはたくさんの花が置かれていた。私も花を添えて手を合わせる。
楓子は、幸せだったのだろうか。大人になることを嫌って、思い出の中でずっと子どものまま生き続けていた楓子のことを、私はただ可哀想だと同情することは出来なかった。置いていかれた方からすると、なんて身勝手なんだろうとも思うが、憎めなかった。なんとなく、本当になんとなくだが、楓子の気持ちもわかるような気がするからだ。
それに、未熟で、わがままで、純粋すぎた彼女のことが私は好きだった。
私はあの最期の会話を忘れないでいようと心に誓った。
「大人ってなんだろうね…」
楓子がたまに見せる子どものような無邪気な笑顔を思い出す。私は「またね…」と呟いて、歩き出した。ふと見上げた空は、憎らしいほどに青かった。
immature 夕雨 夏杞 @yuusame_natuki
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